……と言われたら、「感覚」的に(あるいは直感で)どう思うだろう。どういう「第一印象」を抱くだろう。つまりどういう「先入観」を抱くだろう。
……と提示するだけでは漠然としすぎているかもしれない。では、「最も多かったのは米国で600、それに続く2位が日本、次が英国とカナダ(同数)、以下、メキシコ、フランス、ドイツ、トルコ……と続く」と言われたら、受け手はどうイメージするだろう。
「米国が600、日本が500、英国とカナダが400、メキシコ、フランス、ドイツ、トルコは300以下」というような感じ(数値は例)か、「米国が600、日本が100、英国とカナダが10、メキシコ、フランス、ドイツ、トルコは10未満」というような感じか、どちらだろうか。
私の個人的感覚では、「トップは米国で600件」と提示され、「続いて日本が2位、次が英国とカナダ」と言われたら、(数値そのものを見る前に)「日本が500、英国とカナダが400……」というイメージを抱く。
そしてその数値の詳細、というか正確な数値を確認する必要性がない場合、あるいはその確認のための時間や手間をかけられない場合は、「とりあえず聞くだけ聞いた話」として「米国、日本、英国・カナダ」という順番だけ記憶するだろう。
そして実際に数値が「米国が600、日本が500、英国とカナダが400……」ならば、自分でその表のことを誰かに手短に伝える場合、「1位は米国で600、日本がそれに続き、英国とカナダが3位」的に短くまとめ、「詳細は表をご参照ください」と書き添えるだろう。
しかしながら、実際には、公開された表が示している数値が「米国が600、日本が100、英国とカナダが10、メキシコ、フランス、ドイツ、トルコは10未満」に近似している場合、私は「1位は米国で、日本がそれに続き、英国とカナダが3位」的に短くまとめるだろうか。
そういう書き方はしないと思う。というか、個人的には、そういうのんきな書き方は「数字」というものに対して不誠実だと思う。
私が書くなら、「米国が並はずれて多く600件、次が日本の100件だが、3位の英国とカナダは10件であり、日本の件数も際立って多いと言える」などと説明する。それが「数字」に対する誠実さというものだと思うからだ。
……という話。
Twitter社の情報公開…警察など公的機関からの削除要請の件数などが明らかに。
2012年07月03日
http://matome.naver.jp/odai/2134129189160320201
※この件、今日のニュースはまだ確認できていないのだが、あとで加えたい(今日は無理かも……)。
詳細は上記の「NAVERまとめ」を見ていただきたいのだが、Twitter社は、2012年1月から6月における国家の公的機関(政府)からの「ユーザーに関する情報開示要請」や「削除要請」の件数と、それに応じた割合、ユーザーに関する情報開示の件数を明らかにした。
http://blog.twitter.com/2012/07/twitter-transparency-report.html
https://support.twitter.com/articles/20170002
※私は日本語で見る必要のないものについては、日本語記事は探さないので、日本語記事の有無などは質問してこないでください。単に知りませんので。
公開された表によると、政府からの要請件数が最も多いのは米国で、679件。
続いて、要請件数が2番目に多いのが日本で、98件だ。
なお、米国はTwitter社の拠点のある国であり、また当該期間において「オキュパイ運動」というムーヴメントが、ピークは過ぎていたとはいえ、残っていた。「アノニマス」の活動もあった(「アノニマス」はグローバルなムーヴメントだが、目に見えるところで最も活発なのは米国と英国だろう)。だから「米国が突出して1位」というのは、予想通りであり、何ら驚くべき要素のないことだ。
米国679件、日本98件、と、ここまでなら単に、「うは、米国の突出っぷりはやはりすごい」ということになる。
ここまで確認した時点で、私は無意識に、「次は(Occupyやアノニマスなどの活動がある)英国で、何十件とあるのだろう」と思っている。実際、英メディアを日々チェックする中で、「Twitterがユーザーの個人データを当局に渡すのではないか」ということが心配されていること(メディアがそれに関心を示し、それについて継続的に取材し、書いていること)に接しているので、日本が98件もあるなら、英国もそれに並ぶくらい多いんじゃないかと思っている。(これもまた「情報操作」されているのかもしれないが。)
しかし事実はあっさりとそれを裏切る。
英国での要請件数は11件だ。(これはカナダと同じ。)
ということは、どう合理的に見ても、米国が突出している上に、日本が際立って多い、と判断せざるをえない。
そのほかの国々、つまりメキシコ、フランス、ドイツ、トルコ、オーストラリア、インドネシア、韓国、スペイン、ギリシャなどなどは、要請件数が10件に満たないレベルだ。
いずれもTwitterの普及がさほどでもない(米英日ほど広く使われていない)のかもしれないが、Twitterが使われていないわけではない。そして言うまでもなく、スペインはかなり大規模な「広場占拠」運動があったし、ギリシャはものすごい緊迫した状態が継続していた。
インドネシアも、私が単に言語がまるきりわからない上に個人的に心理的に遠い存在だから全然チェックしていないのだが、日本語を完全に排除するよう設計されているChirpstoryで英語だけで「まとめ」を作るときに、インドネシア語のツイートを外す作業がえらく煩雑だったりして(特にサッカーの話題でよくそういうことになるのだが、検索ワードによってはインドネシア語でまったく同じ綴りの別の語として大量にヒットし、女子のきゃぴきゃぴした会話らしきものをいちいち手動で外すことになったりする)、とにかくアクティヴなユーザーが多いことは確かだ。(なお、Chirpstoryのトップページはインドネシア語に占領されている。)
となればやはり、米国の600+件は別格として、「日本の98件、英国とカナダのそれぞれ11件、そのほかの10件未満」という数値を見せられたときに、「日本は米国に次いで2位」と書けてしまうその「感覚」は何なのだろう、という強烈な違和感を覚えずにはいられないのだ。
それともこれは、私が「特異」なのだろうか。
かつて、大学入試センター試験の英語の問題で、こんなことがあった。語彙やイディオムの知識を問う短い設問のすぐあとの長文問題(200〜250ワード程度の文章を読み、図や表、グラフを見て必要な情報を正確に読み取り、それについて英語で説明する、もしくは説明されたものを読む能力を問うことを目的とする設問)で、いくつかの小問の最後が、「4つの選択肢の中から、この文章とグラフの説明として正しいものを1つ、選びなさい」というものだった。
そのグラフは何かの数量の増減を示す折れ線グラフで、その選択肢4つを一読したところ、その中には「説明として正しいもの」はないように思われた。(これがK大学の入試なら「選択肢の中に該当なし」という5番目の選択肢が設けられていて、受験者は地獄を見ることになる。)
4つのうち、1つは明らかに間違っている(グラフが否定していることを肯定している、というレベルで)。もう1つは前提が間違っている(グラフが「10代の若者を対象にした調査」であるときに、文は「全国民を対象として」いる、というレベルで)。次は細部が間違っている(グラフは「1990年の数値が最少で10である」と示しているが、文には「1995年の数値が最少で10である」と書かれている、というレベルで)。これらは(センター試験であれTOEICであれ)「英語のテスト問題」には典型的な「誤った記述」である。
となれば、残る1つが「正しい」ことになる。いわゆる「消去法」の方策でいけば、これが「正答」と判断される。しかしその選択肢の記述は、無条件に「正しい」と思えるものではなかった。
最後に残った選択肢は、「1990年の数値が最少で10であるが、最大は2000年の数値で、最少の数値の2倍を超えている」とかいう記述であった(内容はまるっきり覚えていないが、主旨はこんな感じ)。「10の2倍」ならば20である。つまり「2000年の数値は20を超えている」が「真」ならば、この選択肢が「正しい」ことになる。
そしてグラフの示す「2000年の数値」は、80である。
この場合、論理的には「1990年の数値が最少で10であるが、最大は2000年の数値で、最少の数値の2倍を超えている」という記述は「真」であり、(ほかのが全部端的に「偽」であるのだから)「正しい選択肢」はこれだ。
だが、これは論理や数学の問いではない。英語という言語での描写についての問いだ。
そして人が言語で描写するときに、「80」という数字を見て「20(10の2倍)より大きい」と言うだろうか。あるいは単に「80」という数字を見たときに、「20より大きい」と認識するだろうか。「50より大きい」(過半数だ)はあると思う。しかし「20」は、よほど特別な文脈があれば別だが、そうでなければこんな離れた数値は基準にはしないだろう。
センター試験の問題について、「でも数字としては『80>20』なのだから、何も迷うところはない」という人も実際にいた。しかし私は違和感を覚えたし、私が意見を聞いた同僚たちも「違和感あり」だった。上司は「感覚としてはおかしいが、理屈としては合ってる」的な意見だった。
私が言いたかったのは、「80>20なので、この選択肢が正解」という解説を積極的に採用した場合、ユーザー(学生さんたち)が「80と20なんて、ふつー比較しねーよ」的になってしまって勉強モードが途切れるのではないか、ということだったのだが、その点については「ほかの3つの選択肢がいかに間違っているか」を丁寧に、論理的に説明することでカバーできよう、そもそもこういう「悪問」はときどきあるものだし、学生さんたちもそれはわかっている、という結論になったのだったと思う。
「日常生活で80という数値を見たときに、(『これは70より大きい』と認識し納得することはあっても)『これは20より大きい』と認識し納得することはないが」という前置きをして、「80は20より大きい」と解説をすることのばかばかしさ。
「ばかばかしさ」とは、ここでは、「感覚的にまったく日常的ではないが、理屈ではそうなる、という屁理屈」というようなことだ。
この「感覚のずれ」は、「そこにある」ということが極めて自覚されづらいもののひとつだ。
んで、今に限らず、私はその「感覚のずれ」っていうものをよく感じているし、それによって(ある意味)苦しめられてもいる。
「正し」ければよい、というものではない。「80>20なのだから、80は20より大きい」と言うこと、“600>100>10”を、“600>500>400”と等価であるかのように言語的に扱うことは、いずれも「正しい」けれども、しかし「誠実」であるかどうか。
そこに「誠実さ」が感じられないから、つまり「何らかのごまかし」を感じるから、だから私はそういったことに違和感をおぼえる。
そう感じない人もいるのだろうとは思う。
※この記事は
2012年07月04日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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