kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年11月19日

Omagh bombing公判、「証拠」をめぐる攻防と出廷できなかった「証人」。

1998年8月のオマー爆弾事件(Omagh bombing)の「実行犯」(爆弾製造)として起訴された被告の裁判は、9月末に初公判が行なわれ、現在も続いている。
http://nofrills.seesaa.net/tag/Omagh

当局がこの被告を「実行犯」として起訴した重要な根拠が、RIRAの爆弾のタイマー部分に貼り付けられていたテープに付着していたDNAだった。しかしその証拠能力には大きな疑問がさしはさまれている。

Omagh DNA evidence 'unreliable'
Last Updated: Thursday, 16 November 2006, 21:44 GMT
http://news.bbc.co.uk/1/hi/northern_ireland/6156634.stm
※記事の右側のコラムにある関連記事(OMAGH BOMB TRIALという見出しの下)も参照。流れがわかります。
検察側が証拠として出したDNAは、わずか2つの細胞から得られたものを元にしている。(私はまったく専門外なのでよくわからないのだけれども、こういう場合、細胞を培養するなどして検出に十分な状態にするはずだ。)

これについて、被告側の証人として出廷した専門家が、「そうして得られた結果は信頼しきれるものではない。常に解釈の余地を残す」と証言した、というのがBBCの記事の報道内容。

今年6月、10周年となったマンチェスター爆弾テロ(Provisional IRAが犯行声明を出している)では、容疑者起訴が事実上断念された。「証拠不十分」で容疑者特定ができない、というのがその理由だ。
http://nofrills.seesaa.net/article/24547202.html

オマー爆弾でこの容疑者が「実行犯」として起訴されたのは、オマーとは別の場所であった同じタイプの爆弾のタイマーユニットから、彼のDNAが検出されたからだった。しかしこのDNAの証拠能力については、警察の管理が杜撰だった(ラベルが貼りかえられていた:「杜撰だった」では済まない話かもしれない)ということもあり、疑問符だらけである。

また、この法廷に証人として出廷することができない「証人」がいる。「出廷することができない」というのは病気だとかいうのではない。あからさまな圧力があったというのだ。

その「証人」とは、当時、英国の当局のスパイとしてPIRAからRIRAに潜入していたケヴィン・フルトン(偽名)だ。フルトンは、11月1日に殺人の容疑で北アイルランド警察に身柄を拘束されて、5日にwithout chargeで釈放された。(フルトンがPIRAに潜入していたときに、彼自身が計画の中心として実行された英軍への攻撃で、英軍兵士が死んでいる。こういった件で逮捕されたそうだ。)

この「逮捕劇」、どうやら裏がありそうな感じだ。

British spy 'gagged' over Omagh
Henry McDonald, Ireland editor
Sunday November 12, 2006
http://observer.guardian.co.uk/uk_news/story/0,,1945870,00.html

Fulton, who was being summoned as a defence witness, was prepared to expose the identity of Real IRA activists directly involved in the plot. He was also going to tell the trial that they were informers for the British state.

フルトンは、弁護側証人として召喚されており、その計画に直接関わっていたRIRA活動家たちの名前などを明かすことになっていた。またフルトンはこの公判で、彼ら(=RIRA活動家たち)が英国のスパイだと述べることになっていた。

ここでフルトンが言う「計画に直接関わっていたRIRA活動家たち」は、記事からすると2人のようだ(引用した部分の直下、Nuala O'Loanに伝えたという部分を参照)。オブザーヴァーではなく別なソース(どこだったか失念)で読んだのだが、この2人は、IRA内部でスパイだなどという疑いはまったく持たれていなかったという。(射殺体で発見されたデニス・ドナルドソンもそうだった。)

また、当時フルトンのハンドラーだったマーティン・イングラム(偽名)はこの逮捕劇について次のように語っている。
But a former unit handler of informants and friend of Fulton's, the former soldier known as Martin Ingram, said that the arrest had, in effect, gagged the agent. 'By arresting him during the trial, Fulton has had any chance of immunity from prosecution taken away. Not only is he in grave danger of implicating himself if he was to give evidence of the "dirty war" to the Omagh trial, he is now unable to speak about it to the inquiry in Dublin,' Ingram said.


※イングラムの語っていることの最後にあるthe inquiry in Dublinとは、ベルファストでの刑事裁判とは別に、ダブリンでパブリック・インクワイアリーがあるということ。

オマー爆弾で殺された人たちの遺族の会もまた、「すべてが明らかにされる必要がある」との意見を表明しており、フルトンを出廷させないという方向での圧力には疑問を呈している。

ややこしいのだが、これは、1998年当時の「PIRAからRIRAの分派」や「RIRAの爆弾テロ」の非常に多くの部分が、英国の当局(MI5)による「自作自演」だったかもしれない、という話だ。(ボビー・サンズの姉だか妹だかが立ち上げた32 County Sovereignty Movementの武装部門であるRIRAそのものが丸ごと「やらせ」ということはないと思うが、32 County Sovereignty Movementの動きを当局が最大限に利用したということはありうる。)

確かにオマー爆弾のあと、Real IRAは犯行声明を出している。しかしその後、RIRAは「計画において主導的役割を果たしたのはMI5とFBIのスパイだった。RIRAの関与は最小限」と主張している。

そのあたりのことは、wikipediaにまとまっている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Omagh_bombing
※External linksやNotesも必ず参照。

現時点ではwikipediaにはリンクされていないが(前はあったかもしれない)、分派時のRIRAのリーダー、マイケル・マッケヴィットの支援サイトにもいろいろと情報はある。
http://www.michaelmckevitt.com/

マッケヴィットは2003年にテロ活動で有罪、懲役20年を言い渡された。マッケヴィトはRIRAのあれこれにはFBIのエージェント、デイヴィッド・ルパートが深く関与していたとしてアピールしていたが、2005年12月に却下された。

この、「テロ事件/計画、実は裏で糸を引いていたのはMI5とFBI」というのは、とある小説の最後の1章そのまんまなのだが、どの小説かを言うとネタバレになっちゃうので言わない。(この小説、確かに「探偵小説」としてはイマイチ締まりがないかもしれないのだが、リアリティという点ではかなりすごい。ちなみにこのウェブログのどこかで紹介してある小説です。)

最悪の可能性としては、1998年のRIRAというものそれ自体が、divide and rule的な当局のシナリオ通りのものだった、ということがある。アイルランド独立戦争からアングロ・アイリッシュ条約を経て、アイルランドのナショナリストが内戦に陥った(→映画『麦の穂をゆらす風』)のもdivide and ruleの筋書き通りだったのだが、PIRAとRIRAの場合、PIRA内部の「和平推進派(=武装闘争停止派)」と「武装闘争派」との対立を放置したまま「和平」を進めれば、いつか「武装闘争派」が主導権を握ることにもなりかねないから「武装闘争派」を切り離して(divide)しまう、という方策は、シナリオとしては、十分にありうる話だ。

このあたりは、the Blanketなどを見ればいろいろ書いてある。(このサイトはあくまで「言論の自由」として読むべきサイトだとは思うが。)

いずれにせよ、Omagh bombingは表面的には「誰かれの区別なき卑劣な無差別テロ」であり、「なぜリパブリカンのReal IRAが、同じナショナリストの一般市民をも巻き込む形でテロを行なったのか、その理由は何か」という疑問には「政治的プロセスを妨害するためなら何でもやる卑劣な連中だから」という答えが用意されていたはずだ。

しかしその真相が、「MI5の自作自演」だったとしたらどうであるか。マッケヴィットの支援者たちだけでなく、オマー爆弾で家族を殺された人たちも、それが明らかにならない限りは、何も明らかにならない、という立場である。

ガーディアンの記事から:
The chairman of the Omagh victims group, Michael Gallagher, whose son Aidan was killed in the bombing, said: 'It's in the interest of truth and justice that agents such as Kevin Fulton are allowed to tell their story - either in a court of law or any inquiry.

'Now we learn that he could implicate himself and face further charges if he does so. Our suspicion is that he has been gagged.'


杜撰な管理をしてきた「証拠品」で、精度に問題のある「科学的な証拠」を導き出して、1人のリパブリカンを「有罪」とすることで「すべては解決された」という方向で決着させてはならない、という強い意志。この背後には、北アイルランドのdirty warの長く陰惨な歴史がある。

※なお、これは反ブッシュの立場の人たちが唱えている「9-11は米国政府のやらせ」という説とは次元が異なると私は思う。(私は「9-11は陰謀」という説をまったくサポートしていない。)



ケヴィン・フルトンの著書(私は読みたいんだけど、まだ買っていないのだが):
1844540340Unsung Hero: How I Saved Dozens of Lives As a Secret Agent Inside the Ira
Kevin Fulton Jim Nally Ian Gallagher
John Blake 2006-09-30

by G-Tools

本の内容については下記参照。
http://www.book-25.co.uk/shop-price/1844540340/unsung_hero.html

※この本、オマー爆弾について本気で調べている人には、必読ではないかと思います。

※このほかの北アイルランド関連の書籍のリストは:
http://nofrills.seesaa.net/article/27140709.html

※この記事は

2006年11月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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