「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年06月07日

本当に、どうしてこんなに「内向き」なのだろう。

正当な批判であれ何であれ「悪口を言われる」ととらえ、感情的に反発するというのは、子供のやることだが、どうもこの10年、特にこの5年ほど、そういう「子どもっぽさ」がオフィシャルなものになっているというか、「《権力》が世間の子供っぽさを全面的に肯定し、それに媚びる」ような流れが目に見えるような気がしている。以前から私はこの「社会に横溢する子どもっぽさ」が嫌いで、そう発言すると「変わっている」だの「アメリカかぶれ」だの(誰の何が「アメリカ」ですって?)と、ぶっ「叩かれ」てきたのだが(この「叩く」という表現も子供じみていてみっともない)――それゆえ、より過敏に反応しているのかもしれないが――、最近の日本語圏は(個人と個人のやり取り、個人のそのままの言葉は別として)ものすごく内向きだ。「自分たちは常に被害にあう側」と位置付けていて、そうでないという事実はおろか、そういう視点の存在すら忘れている。「私たちは常に被害者」と位置付けることに安住する心の在り方というのは、たぶん精神病理学で何か呼び名のある状態だろう。

今日、また、そういうことを感じさせられた。大型の津波デブリのニュースだ。

【写真&英語記事】米西海岸に津波の巨大デブリ漂着、「外来種」の懸念が生じている。
http://matome.naver.jp/odai/2133905329338607201

上記でできる範囲で確認しているが、日本語圏に存在する情報では漂着先のアメリカに“「外来種」の懸念”が生じている、という視点すら提供することもない。完全スルーだ。

アメリカとは関係のない、BBCですら取り上げているのに、である。

しかも日本は何かというと「外来種がー」と神経質に反応しているではないか。

もう心底、ばかばかしい。


なお、BBC Newsではどのくらいに報じられているかというと、ウェブ版だが、最初に漂着のニュースがあってから12時間近くも経過してもなお、トップページの3番目という扱いである。



私はテレビは見ないので日本での取り上げられ方はわからないが、漂着デブリのことはテレビのニュースなどでまともに取り上げているのだろうか。ほかに大きなニュースがあるから(ゴビンダ・マイナリさん再審決定をはじめ……ようやく、ですね!)、「当方は所有権放棄しますので、まあ適当に処分しておいていただければと思います。よろしくお願いします」的に一件落着のニュースと解釈されて、ろくに取り上げられてもいないだろう。サッカーボールやハーレー・ダヴィッドソンのときのような「感動秘話」を伴う可能性があるわけでもない、地味なニュースだ。もとより、こういうハード・ニュースより、アイドルグループの騒ぎの方が重要視されてるんでしょ?(テレビ見てないからほんとに何も知らない。)

あと、「まとめ」でも明示してあるが、NHKの「報道」がひどいね。「報道」じゃないもん、「うわさ」だ。
これまで、アラスカやカナダには津波で流されたサッカーボールやオートバイなどが次々と漂着していますが、アメリカ西海岸に津波による漂着物が確認されたのは初めてではないかということです。

津波で流出の浮き桟橋 米に漂着 NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120607/k10015664431000.html

カナダやアラスカに小さなものが漂着しているのに、「米西海岸」(シアトルらへんから南)にはこれまで漂着物はないなんて、本気でそんなこと思ってるんですかね。海流に国境線があるとでも?

それに、所有主の名前も書かれていないような小さなものはいちいち報告されてないというふうに考えないんですか?(「アディダスのマーク入りのボール」のようなものは、名前も書かれてなければそのまま「出所不明の漂着物」扱いでしょうよ。グローバル・ブランドの製品では、日本から来たと考える根拠になる手がかりがないんだから。Made in Chinaでも同じ。)

書く前に、論理的に考えるということを、少しはしたらどうだと本気で思う。言葉からロゴスが失われたら何が残るんだよ、ほんとに。

※この記事は

2012年06月07日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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