「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年06月03日

ロンドン五輪の聖火が北アイルランドに入った(そして、ランナーの中にこの「和平」を実現させた人の名前が!)

ロンドン五輪の聖火が、2日、北アイルランドに到着した。
http://www.u.tv/News/Belfast-welcomes-Olympic-flame/442e2960-7d49-4b6e-97fc-9f84bc4d28d1

空港でマーティン・マクギネスや自治政府閣僚、五輪関係者らとともに聖火を出迎えたあと、ピーター・ロビンソンは楽しそうなツイートをしている。


聖火リレーは、3日の朝、ベルファストを出発し、少し南東のダウン州の町をめぐってまたベルファストに戻ってそのまま海岸線を進み、ブッシュミルズを経てポートラッシュまで。
http://www.bbc.co.uk/torchrelay/day16

続いて4日は、例の高所恐怖症の人は無理な橋を出発して、ジャイアンツ・コーズウェイを経てデリーへ。
http://www.bbc.co.uk/torchrelay/day17

そして5日はデリーからオマー、エニスキレンと「北アイルランド」の西側にあたる内陸を通ってからポータダウン方面に東進し、そこから南下してニューリーへ。(この日のルートは「北アイルランド紛争」関連で知った地名が多いが、ディシデンツが本当に多いところは通らないようになっていると思う。)
http://www.bbc.co.uk/torchrelay/day18

続く6日は、聖火が唯一「英国外」に出る……ちょっとルートがわからないのだが(微妙だね)、出発点はダブリン(アイルランド共和国)。そこからまたニューリーに戻って、リズバーンを経てベルファストで終点。
http://www.bbc.co.uk/torchrelay/day19

7日にはダウン州の海岸を出発して、北アイルランドの東半分の内陸を回る。この日で(北)アイルランドでのリレーは終了だ。次の日には船で(?)アイリッシュ海を渡り、スコットランドのストランラーに入る。
http://www.bbc.co.uk/torchrelay/day20

各日、基本的にずっとライヴ・カメラで中継されるようだ(「微妙なところ」についてはわからないけど)。

そんなこんなで何となくBBCのページを眺めていたら、「今日の聖火ランナー」へのリンクがあることに気が付いた。



これまた何となくクリックしてみたら……あれっ、この「ブレンダン・ダディ」さん(75歳)って……。



http://www.london2012.com/torch-relay/torchbearers/torchbearers=brendan-duddy-1917/index.html
Brendan had strived throughout his life to bring peace to the world. He has always been a talented runner and ran every day until he had a major stroke in May 2010. At the time he was told he would never regain his mobility. He has worked very hard to learn to walk again,. throughout his life Brendan has been an inspirational figure in the community and had the vision to bring countries and communities together through dialogue. He has always nurtured and encouraged participation in sport locally.


「山登り Mountain Climber」!

http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7303048.stm
Brendan Duddy is an ordinary man from Derry who, for more than 20 years, was at the centre of extraordinary events that eventually led to the historic IRA ceasefire of 1994 and the Belfast Agreement.


http://en.wikipedia.org/wiki/Brendan_Duddy
Duddy ran a fish and chip shop in the late 1960s which was supplied with beef burgers, from a supplier whose van driver was Martin McGuinness. ...

In light of the dissolution of Stormont in 1972, Duddy's role as an intermediary started in January 1972, when asked by friend and Derry's Chief Police Office Frank Lagan to persuade the Official Irish Republican Army and the Provisional Irish Republican Army to remove their weapons from the Bogside. Both sides complied, but the Official IRA retained a few weapons for defensive purposes. After 13 unarmed civil rights marchers were shot dead by British Parachute Regiment troops in what became known as Bloody Sunday, Duddy warned Lagan: "This is absolutely catastrophic. We're going to have a war on our hands."

In the aftermath of the events and repercussions of Bloody Sunday, MI6 agent Michael Oatley arrived in Dublin in 1972, seeking to understand the situation in Northern Ireland and hopefully create a communications channel between the IRA and the British Government, Duddy became the go between for the communications. ...

続きは本で! これは読むべき本です、ほんとに。何より、とてもおもしろい。

0007325533Talking to Terrorists: A Personal Journey from the IRA to Al Qaeda
Peter Taylor
HarperCollins Publishers 2011-09-01

by G-Tools


いや、資料そのものはウェブでも見れるんだけど、今ちょっとサイバー攻撃くらってるみたいなので気を付けてね!
www.longkesh.info/category/brendan-duddy

そんなこんなで、オタクor研究者向けですよ、この聖火リレー……。きっとスコットランドでもウェールズでもイングランドでも「おお!」とか「ああ!」という瞬間はあるのだろうけど、北アイルランドはね、こういうイベントが「普通に」行われていること自体が……。しかもランナーに含まれているのが、1994年の停戦(これがすべてを変えた)を実現させるために非常に重要な役割を果たしたMI6とIRAのパイプ役、パネェっすわ。



聖火リレーのライヴ・カメラのキャプチャ。

ベルファストの南東、Newtownardsのタウンセンター。現地朝で、「町の人たちが総出で出迎える」という感じ。



ランナーは、上のキャプチャではティーンエイジャーと思われる男子で、沿道の歓声がひときわ大きくなったところは家族がいたか、学校の友達とかがいたのかな、という印象。下の画面ではやはり若い女性で、トーチが重くて辛そうでした(途中で走るのをやめて歩いていた)。

その後、海岸線に到達したあとに少し北上したDundonaldという町での様子。



キャプチャでは見えづらいけれど、道路を横切って上の方にかかっている旗は「レッド、ホワイト&ブルー」。これはブリテンなら「なるほど、ジュビリー・ウィークエンドですね」というところかもしれないが、ここは元からこうかもしれない(ユニオニストの地域だが、街の規模が小さすぎて資料がない&Google street viewでは旗の写真がないため確認ができず)。

さらに進んでストーモント(北アイルランド自治議会&政府が置かれている)。



ランナーは学校で美術を教えて30年のキャンベルさんだそうだ。


※この記事は

2012年06月03日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 18:04 | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼