2004年の夏の終わり、ウェールズで13歳と14歳の女の子が薬をたっぷり飲み込んだ。2人はネットのチャットで知り合って仲良くなった。「互いに話ができる間柄」になっていた。そしてその夏の終わりの日に、2人で薬を飲んだ。13歳の子は病院に搬送されたが死亡した。14歳の子は命に別状はなかった。
13歳の子の死後、両親が、彼女がずっと書いていたノートを発見した。そこには次のようなことが書かれていた。
母が入ってくるのを待った。「いいかげんに起きて。母さんに何度階段をのぼらせるつもりなの」と言われる。そしたら「具合悪い」と言う。すると「あらどうしたの」と言われる。「お腹が痛い。気持ち悪い。」「まあ女の子だからね、そういう日もある。さあさ、起きなさい。」
起きた。ドアのところに行って、制服を取った。私のサイズはびっくり仰天の24だった。でももうどうでもよかった。とにかく食べて食べて食べまくったから。制服に何とか身体を押し込めて階段を下りる。
お弁当箱を詰めたら、動悸が早くなった。内側からシクシクするような痛み。でもだめなんだよ、今日は特別な日じゃない。何でもない普通の日。
こんなのが何週間か続いていた。私は太っていて不細工。価値のない人間。
さあ学校に着いた。みんながこの脂肪のカタマリを眺めている。私を眺めている。ま、いいかどうでも。
「じゃね、パパ。」車から降りたくなかった。死にたかった。ドア、廊下、ほら階段の手前で男子たちが脚を出して立ってるし。私を転ばそうとしてるのね、まあうれしい。
何とかクリアした。マジでみっともないことにはならずにすんだ。歩きながら、脂肪がぶるぶる揺れるのを感じた。
こんなのマジでいやだ。私は自分の頭の中で自分に話しかけていたものだ。それで私は生きててもいいって気になれる。何も言葉にできなくて、私はただ歩いてその場を離れた。
何であんなことするんだろう? なんで私に? デブだから。
それがもう6ヶ月続いていた。毎日毎日同じことが。男子たちがわたしがデブだという事実を笑っているのも見た。きっと「レズ」だぜ、とかも。泣きたかった。でも泣けなかった。金曜日に泣いた。だからまた今日も泣くなんてわけにいかない。
うん、親には言ったよ。でも親は私が学校をさぼりたいだけだと。これ、誰かほかに聞いてた人は?(笑)
というわけで、最初っから誰も私の言うことを信じなかった。上等。親は「そのうちに飽きてくるって」と言った。私もそうなることを望んだ。でも私はますますデブになり、ますます悲しい存在になる。そしてみんなはますます陰険になる。
「いやほんとマジで、デカくね?」という心ない言葉を無視する努力をしながら、私は進む。これが毎日、朝、ランチタイム、夕方とある。そのうちに慣れちゃうよね。机に就いて教科書を出す。みんなが私を見てる。私って生きてる価値ないじゃん。
「はーい、じゃいいですか、先週の続きです」という先生の声は右から左へ抜けていく。数なんかどうでもいい。綴りもどうでもいい。あんたの内側に何滴のいじめ汁があるかもどうでもいい。私が気になるのは、毎日のこのシクシクする痛みだけ。
教科書を出して、勉強をする。心の一部は勉強に、一部はおばさんのことを考えている。おばさん、肺がんが見つかったって。それを思えば私のいじめなんて何でもなく思える。でも違う。それは違う。
休み時間。教室からみんなわらわらと出て行く。走ったり押したり。みなさん、マナーがよろしくてよ。
「ゴルァどけデブ!」という声。私はどく。目を閉じて、全て消えればいいのにと思う。
あと10分。神様感謝します。もっと長くは無理。吐きそう。でもまた別の病気が必要。先週は腹痛だったでしょ、だから別な病気が。自分で自分のことを気持ち悪くする必要もなかった。だってみんなが私の代わりに私を吐きそうにしてくれる。
どうせ私の言うことなんか信じてもらえない。いじめにあってることも信じてもらえない。具合が悪いっていうことも信じてもらえない。(爆笑)
さて、ようやく帰宅。ひたすら家へと走るのみ。涙をこらえて。「おかえり、学校どうだった?」
「まあね」と答えた。だって他に何を言っても意味ないでしょ。どうせ聞いてくれないんだから。
「トイレ行ってくる」と言って、バスルームに入らず、道具入れに入ってハサミを取り出す。自分が何をしようとしているのかはちゃんとわかっていた。こうすれば、みんなが何をしているのか、みんなにはっきりわかるかもしれない。
彼女の死後見つかったこのノートを、ご両親がなぜ公開したかというと、当初「いじめはなかった」と結論付けられたからだ。そういう結論が出ることの暴力性を、彼女のご両親は知っていた。
「娘のノートを読んで、いじめを受けている子がいかに気力を無くし、どうすることもできないと思っているかを知ってもらいたい。娘は自分の気持ちのはけ口として書いていた。だからこのノートがほかの誰かを助けることになるとは思ってもいなかったはずだ。読むとしたら家族くらいだろうと思っていたはずだ。でも家族以外の方にも、読んでいただきたい。」
'Suicide pact' girl's tragic letter
Wednesday, 22 September, 2004
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/wales/south_west/3680098.stm
※イラク関連とかやってて「悔しい」ってのでうくぅ〜〜となったことは数え切れないほどあるけれども、こんなに「悲しい」翻訳は、たぶんしたことがない。あまりに悲しいので日本語にできなかったところもある。
万が一、「大人の国英国」とかいう一昔前のガセネタを今でも信じている人がいたら、「サッチャーの教育改革で英国の学校の問題はすべて消えた(のだから日本もそれにならうべき)」という思い込み120%の宗教みたいなのを信じている人がいたら、頼むから、BBC程度は見てほしい。「サッチャー改革」の時代のはウェブでは見られないけど、1998年以降(ブレア政権丸ごとにほぼ等しい)のはウェブで見られる。
それから、こういうのを「マスコミ」が載せたということで「マスコミのいいネタ」と思うだけ、ということは、蕎麦屋に蕎麦を食いに行って、ろくろく蕎麦を食いもせず器が備前ですねとかを取りざたしてれば満足、というようなことだ。(比喩が変かな。)
※この記事は
2006年11月12日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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