「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年06月01日

アイルランド、EU財政協定をめぐるレファレンダムの結果は、今日わかります。

ユーロ圏で唯一、新協定についての承認の手続きとして国民投票が行われているアイルランドで、昨日の投票の集計が始まっている。



ニュースを追うにはTwitterの #EUrefが便利だ。RTEなど報道機関が速報を流している。また各報道機関でLive blogもやっている。アイルランド国営RTEのLive blogでは、超初期だが、Yesが55%、Noが45%との数字も出ている。

UPDATE: 日本時間午後5時半ごろ、各地の開票結果(暫定)が報じられ始めました。


投票当日(5月31日)のエントリ:
http://nofrills.seesaa.net/article/272814631.html

投票当日の #EUref のログ(一部):
http://chirpstory.com/li/9104

今日の分:
http://chirpstory.com/li/9155

投票率はものすごく低いです。
The Dublin city returning officer reported that a disappointing 38 per cent of voters had cast their ballots by 8.15pm, with turnout highest in Dublin North-Central, at 46 per cent.

Some 34 per cent of the electorate in Dublin North-West had voted by that time, with turnout at 40 per cent in Dublin South-Central and Dublin North-East; and 31 per cent in Dublin Central. A figure of 35 per cent was reported in Dublin South-East.

Dún Laoghaire-Rathdown reported a turnout of just under 37 per cent by that time, compared with 27.6 per cent in Dublin West; 34.7 per cent in Dublin South-West; 35.95 per cent in Dublin Mid-West; 32 per cent in Dublin North; and 36.4 per cent in Dublin South.

http://www.irishtimes.com/newspaper/breaking/2012/0601/breaking1.html




追記:
結果が出たことを書くのをすっかり忘れていた。(^^;)

アイリッシュ・タイムズのマップ、選挙区ごとに色分け……という感じではない結果になっているけれども、マップの上でマウス・ポインタを走らせると、それぞれの選挙区ごとにY/Nの割合がわかるようになっている。


何があってもぶれないドニゴール△

ダブリンのY/N分布は、Twitterでダブリンの人々が「貧富の差をそのまま反映している」と述べていた。

※この記事は

2012年06月01日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 17:41 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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