kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年05月30日

「国ごとに厳密には異なる点」をどうするか…… European Arrest Warrantをめぐるひとつの判断(ジュリアン・アサンジとスウェーデン当局と英国の法廷)

英最高裁が、ジュリアン・アサンジのスウェーデンへの身柄の引き渡しは妥当との判断を示した。むろん、当人が「それじゃーしゃーないっすね」とスウェーデンに行くわけはなく、このあとは欧州人権裁判所に行くようだが、その前に英最高裁でre-openするとかいう話もあり(弁護士がそういう動きをしている)、箱の中に箱が入っているamazonの配送か!という気持ちで泣きそうになる。むずかしいです…… (;_;)

そんな私でもなんとかついていけるのは、英国の法律専門家のTwitterと、ガーディアンの解説(非常に細かい)のおかげです……というわけで、アサンジ本人がどうとかいうのは実はどうでもよく、「あのようなケースでの、European Arrest Warrant (EAW) は、有効と認められるのかどうか」というのが問題点なのだが(EAWという制度そのものの問題)、そういった点での解説を多めに、主に現地のジャーナリストや法律専門家のtweetsを一覧できるようにしておいた。

スウェーデンへの移送決定、ジュリアン・アサンジに対するEWAが有効とされた根拠とは
http://matome.naver.jp/odai/2133836999482309501

【追記】
たまたま今日の別のビッグニュースで、ニューズ・インターナショナルの不正な手法による取材についての動きで、アンディ・クールソンの身柄が拘束された件で、「容疑者」、「逮捕」の法的概念が異なる、という事態が発生している。というのは、クールソンの件で動いたのがスコットランドの警察だったので。

(スコットランドは、イングランド&ウェールズとは法体系が異なる。基本的に、コモン・ローではなく大陸法。)

Mr Coulson has not been charged and is not under arrest.

In Scotland, a suspect is detained on suspicion of an offence, unlike in England and Wales where a suspect is arrested.

http://www.bbc.co.uk/news/uk-scotland-glasgow-west-18262740

※この記事は

2012年05月30日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼