kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年05月21日

ラグビー、ハイネケン・カップはレンスター対アルスターだった。(※このエントリでは競技の話はしていません)

サッカーの欧州チャンピオンズ・リーグの決勝が行われた日は、スコットランドではスコティッシュ・カップ(サッカー)が盛り上がっていたし、アソシエーション・フットボールではないフットボールのひとつであるラグビーでは、ハイネケン・カップの決勝が行われていた。私はラグビーはまるで何も知らないので、CL決勝をアクビかみ殺しつつ一応見ながら検索するなどしたところ、ハイネケン・カップというのはラグビーの「欧州チャンピオンズ・リーグ」的な大会、つまりシックス・ネイションズ参加国のクラブの最強を決める大会だそうだ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Heineken_Cup

そのハイネケン・カップ、今年は決勝カードがアイルランド島内で、レンスター対アルスターだった。ラグビーは一足早く(……っていうとユニオニストに怒られるか)アイルランド島全体で協会が統一されているのだが(なのでラグビーの「アイルランド代表」は南も北もない)、どっちが勝ってもアイルランドが一番強いということになる。んなわけで、アイリッシュ・タイムズであれUTVであれ、アイルランド島のメディアはいい感じで盛り上がっていた。そして、ミュンヘンでサッカーの試合が開始されるころには、ラグビーは決勝戦の結果が出ていたと思うが、「2つの競技で欧州一のクラブが決まる」ということがトップニュース扱いだったアイリッシュ・タイムズでは、ラグビーの勝利チームがトロフィーを掲げる写真の横で、サッカーの試合の実況テキストがリアルタイムで流れる、というようになっていた(キャプチャとっとけばよかったかも)。

ともあれ、ラグビーは結果はレンスターがアルスターに対して大勝利をおさめた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Heineken_Cup_finals#2012_-_Leinster

ロンドンのトゥウィックナム・スタジアムでの決勝戦には、レンスターのサポさんたちもアルスターのサポさんたちも、大勢出かけて行ったそうだ。その中に……



もうね、これ、ピーター・ロビンソンのこの顔の写真を見つけたときに勝負あったな、って感じですね。マーティン・マクギネスは、これはよく見る写真なのだけど、ピーターは……(笑)。

んで、なんでこんな不慣れな話題でエントリ書いてるのか、わかるよね。並べてみたいの。


http://nofrills.seesaa.net/article/266650836.html

※この記事は

2012年05月21日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼