「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

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2006年11月07日

ヒラリー・ベンがクラスター爆弾全面禁止を訴える。

ヒラリー・ベン国際開発担当大臣が、外務大臣と国防大臣に宛てた書状の中でクラスター爆弾の全面禁止を訴えているそうだ。

Benn calls for cluster bomb ban
ast Updated: Sunday, 5 November 2006, 05:15 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/politics/6117924.stm

書状はサンデー・タイムズにリークされたもの。というわけで、Google News UK経由でサンデー・タイムズの記事を探してみる。ごく最近の記事なので、検索キーワードはHilary Bennだけですぐに記事が見つかる。

Benn slams cluster bombs
David Cracknell and Isabel Oakeshott
http://www.timesonline.co.uk/article/0,,2087-2438022,00.html

サンデー・タイムズの記事から:
The minister wrote to Margaret Beckett, the foreign secretary, and Des Browne, the defence secretary, last week, saying: "The high failure rate of many cluster munitions, and the failure of many militaries around the world to use these munitions in a targeted way means that cluster munitions have a very serious humanitarian impact, pushing at the boundaries of international humanitarian law.

"It is difficult then to see how we can hold so prominent a position against land mines, yet somehow continue to advocate that use of cluster munitions is acceptable."

英国政府は「クラスター爆弾の使用は適正であり、問題ない」とのスタンスなので(上記記事から引用するとThe Ministry of Defence argues that the weapons play a "legitimate" role and that it would be "unfair" on British forces not to use them when they are used by enemy armies.「敵が使っているのに自分たちが使えないのはアンフェア」という理屈は、まるでステレオタイプとしてのアメリカ人の言説のようだが)、ヒラリー・ベンのこの見解は、政府の見解と真っ向から対立するものである。ただしこういう見解を持っているのはたぶんヒラリー・ベンに限らないだろう。(個人的には、「ヒラリー・ベンが至極まっとうなことを言っている」とちょっとびっくりしたのだが。)

ヒラリー・ベンは1953年生まれ。同じく労働党の政治家、トニー・ベンの息子として、ロンドン西部で育ち、1979年にイーリング区議会議員となる。その後総選挙に立つも落選が重なったが、1997年のブレア政権発足時にデイヴィッド・ブランケット教育・雇用担当大臣(当時:後に内相)の特別顧問に指名され、1999年の補選でリーズ(イングランド北部)の選挙区で当選し国会議員となった。2001年の総選挙後にクレア・ショート国際開発担当大臣(当時:2003年に辞任)の下についたときからキャビネットのキャリアが始まり、ショートが辞任したあと国際開発大臣となったバロネス・エイモスが上院議長に任命されると、後継として同大臣に就任した。その出世の早さは「異例」といえるものである。
http://en.wikipedia.org/wiki/Hilary_Benn
http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk_politics/3023827.stm

父親のトニー・ベンは労働党左派の代名詞的存在で(Benniteという言葉がある)、2001年の総選挙に立候補せず議員としてのキャリアを終えた後も政治活動を続けている。イラク戦争直前の2003年2月には、バグダードを訪問しサダム・フセイン大統領(当時)と面会している。
http://en.wikipedia.org/wiki/Tony_Benn

というように、父親は左派で、イラクへの経済制裁に反対し、イラク戦争に反対する大物政治家なのだが、息子は父親のスタンスとは一線を画し、「労働党の現代化を成し遂げた人物(moderniser)」としてのトニー・ブレアを支持し、イラク戦争に際しても父親とは逆のスタンスで行動した。

英労働党は、来年9月までには党首が代わる(ブレアが辞任する)。その際に副党首(英国政府では副首相となる)も代わるが、ヒラリー・ベンはその副党首に立候補することを表明している。下記の書状参照。

Hilary Benn letter
http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2006/10/27/ubennletter.xml

このような動きをしつつ、政府の見解に反して「クラスター爆弾禁止を」と外務大臣と国防大臣に書き送ったということは、「そのようなことをしても副党首・副首相の座は狙える」と考えているということだ。

何かありそうだなあと思ったら、Google Newsでヒラリー・ベンで検索した結果の中に、次のような記事がある。

UN wants cluster bombs to be banned
7 Nov, 2006 1825hrs ISTPTI
http://timesofindia.indiatimes.com/articleshow/356417.cms

UN: Jan Egeland calls for a ban on cluster munitions
Nov 7, 2006, 12:38 GMT
http://news.monstersandcritics.com/europe/article_1219174.php/UN_Jan_Egeland_calls_for_a_ban_on_cluster_munitions

国連の人道問題担当の要職者(the UN Under-Secretary-General for Humanitarian Affairs)であるヤン・エーゲラン(Jan Egeland)が、地雷と同じように戦闘が終わってもずっと人を殺傷し続けるクラスター爆弾という兵器について「実効性のある形で禁止しなければならない」という見解を表明した。

ふむ。。。ヒラリー・ベンの動きはますます興味深い。これが労働党に「左派」の支持を呼び戻そうという動きであるというのは想像に難くないが、国連への働きかけ(あるいは国連との非公式協議の類)があるとすれば(その可能性は極めて高いと思うが)・・・たぶん、「地雷禁止条約」のような形で実効性のあることを英国がしていくことになるだろう。

個人的に次に興味があるのは、同じく副党首に立つことを表明しているピーター・ヘイン(現在は北アイルランドとウェールズの担当大臣を兼務)がどう出るか、だ。

ピーター・ヘインは両親が南アフリカ人(英国系)でアパルトヘイト政権に反対する政治活動を行なっていて、自身も1970年代にはアパルトヘイト反対をはじめとする人権活動を行なっていた。「アンチ・ナチ・リーグ」の設立グループのひとりでもある。
http://en.wikipedia.org/wiki/Peter_Hain

ヒラリー・ベン(Benn's votes)にせよ、ピーター・ヘイン(Hain's votes)にせよ、イラク戦争に至る過程では開戦論を強くサポートしていた。そしてそのイラクでは、クラスター爆弾が大量に使われている。(忘れちゃいけないがアフガニスタンでも。)

来年のブレア退陣は、労働党が「イラク戦争という問題」と決別するための「儀式」になるかもしれない。ブレアがいなくなったら、まるでそもそもなかったかのように「問題」が忘れ去られてしまう、というのが最悪のシナリオかも。

※この記事は

2006年11月07日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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