「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2006年11月06日

「知性が低い」とか「単一民族」とかいう20年ほど前の首相の発言を思い出す。

20年ほど前に日本国首相が「失言」をぶちかましたことがあった。

1点はアメリカ合衆国について「ヒスパニックや黒人がいるから知的レベルが低い」と言い放ったこと。もう1点は「日本は単一民族国家である」とのたまったこと。

唐突だがそういうことを思い出さざるを得ない記事を2つ見たので。

1つ目はLSEのサトシ・カナザワ博士(evolutionary psychologist:進化心理学)が「アフリカの災厄は貧困や病気によるものというよりは、IQが低いためである」、「短命なのはIQが低いから」(<意味がわからない。誤読している?)と学術誌掲載の論文で述べた、という記事。
Low IQs are Africa's curse, says lecturer
http://observer.guardian.co.uk/uk_news/story/0,,1939891,00.html

ガーディアンの人もショックを受けたのか、改行がめちゃくちゃである。読みづらくてかなわん。

論文の内容については、同じLSEのフィリッパ・アトキンソンは「とうの昔に捨てられた優生学の考えが反映されたものだ。優生学は60年代までのアフリカの植民地主義やアパルトヘイトの基盤となったものだが、IQが人種によって決まるという証明は誰もできていない」とコメントしつつ、おもしろいところもいっぱいある論文なのに、なぜまたこのような古びた論を持ち出すのかと疑問を呈している。

検索してみたところ、サトシ・カナザワ博士は以前にもネットで話題になっていた。
「美しい親からは女の子が生まれる」
http://slashdot.jp/science/article.pl?sid=06/08/01/070225

2つ目はイスラエルの副首相が「イスラエルを単一民族国家にするために、ジューイッシュとアラブは分住するのがよい。イスラエルとパレスチナはキプロス・モデルで行こう」と発言した、という記事。(サンデー・テレグラフのインタビューだそうです。)
'Cyprus plan' proposed for Israel
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/6119056.stm

この副首相、先週イスラエルの「極右(ウルトラ・ナショナリスト)」が連立内閣に加わったときに入閣したんだそうですが。

いろいろと、ダイナソーがよみがえってきますなあ。

※この記事は

2006年11月06日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 07:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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