まず、番組の制作にかかわったEoghan Harrisによる文章が、22日、アイリッシュ・インディペンデントの日曜版、サンデー・インディペンデントに掲載されている。
Eoghan Harris: How Haughey hinterland was rebuffed by O'Reilly regime
Sunday April 22 2012
http://www.independent.ie/opinion/columnists/eoghan-harris/eoghan-harris-how-haughey-hinterland-was-rebuffed-by-oreilly-regime-3088173.html
The Long Silenceの放映後、カトリックのコミュニティからは、ソールターさんを迎え入れたクローリー家・コリンズ家と同じような、あたたかな反応が得られた、という報告。特に、番組内で語っていた2人のプロテスタント(ジョージ・ソールターさんと、100歳のリチャード・ドレイパーさん)には、コークやスキベレーンの人々から同情の気持ちがどっと寄せられている、と。これは、相変わらず「プロテスタントはダメだ」と言いたがる人々や、口先だけのリパブリカン(「おい、プロテスタントの人たちの気持ちも考えろ」と言いつつ、真相を語れば両派の間に軋轢が生じる、と主張している連中)とはまったく逆をいくものだ、と。そして:
... I had more trust in the people of Ireland. For nearly 40 years I have been talking to west Cork Catholics and Protestants about the suppressed sectarian side of the War of Independence. All feared to go public. But I became convinced that both sides desperately craved the truth: the Protestants to tell it, the Roman Catholics to hear it.
ハリスの記事から、The Long Silenceに出てきたお二人についての言及の部分を。ここは「セクタリアニズム」の根の深さを示してもいる。
But it was the sectarian side of the War of Independence that kept cropping up in conversations with local Protestants and Catholics. It must be 20 years since Richard Draper first told me about the "conversion" conversation at the local creamery in April 1922. But he only felt free to talk about it in An Tost Fada in advanced old age.
Richard has always wanted to put his memories on the record. But he feared reprisals, feared making trouble, feared the sheer silence itself. Until recently his fears were well founded.
George Salter's story about sectarian jibes of a few pub bigots happened only a few years ago. Salter got the best of the exchange because he had good Irish and the courage to confront the bully boys. But many a Protestant had to walk away from similar jibes with the head down.
Even today there are fragments of the Haughey hinterland festering in Dublin business circles. We have only to recall what Sean FitzPatrick said to David McWilliams at UCD in November 2008, when it looked as if the allegedly 'Protestant' BoI or AIB would take over Anglo Irish Bank. "No f***ing Protestant is coming near us . . . None of them are ever going to look down on us again."
Seán FitzPatrickは当時、Anglo Irish Bankのトップだった人物だ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Se%C3%A1n_FitzPatrick
こういう、言っちゃ悪いけど、くだらないナショナリズム(プロテスタントである英国の支配を脱したカトリック国、という間違ったプライド)は、自分を元気付けたりするために必要だったのかもしれない。しかし、この狭量さ……。
なお、ハリスのこの記事の締めにあるIMNの社長の件については:
http://twitter.com/nofrills/status/193146431572422656
それから、1つ前のエントリでZenbackによって表示されていた関連記事で、6年前の自分のエントリを久しぶりに読んだ。
2006年06月18日 アイルランド、1904年/1920年代/1940年代――「暴力」は連鎖した
http://nofrills.seesaa.net/article/24547022.html
Bloomsdayにかこつけたエントリなのだが、主要なトピックはアイルランドでの反ユダヤ主義である。
レオポルド・ブルームがいつものようにダブリンうろうろを決行していた1904年、アイルランドでは、ユダヤ人に対する迫害事件が起きていた。「リムリック・ポグロム」と呼ばれるそれは、カトリックの聖職者がアジったことをきっかけとする「そのコミュニティの多数派」の行動であった。(以下、ウィキペディアを参照してまとめた。……)
アイルランド南西の内陸の都市リムリック……には、1870年代、リトアニアから迫害を逃れてきたユダヤ人商人が暮らすようになった。1880年代にはシナゴーグ(ユダヤ教寺院)と墓地が作られた。が、ここでもまた、ユダヤ人たちは差別と憎悪に直面する。1884年のイースター・サンデイには襲撃や抗議行動が発生し、女性がひとり負傷。1892年には2家族が殴打された。そして1904年、年若いカトリックの司祭が「キリストを拒絶し、暴利をむさぼるユダヤ人に懲罰を」などと教会で説教した。「カトリックたる者、ユダヤ人と関わってはならない。」
こうして「ユダヤ人の店では買わない」という不買運動が始まった。(別の説明では、「Buy Irishのキャンペーンだった」とも。)この不買運動は2年間続いた。リムリックのプロテスタントたちはユダヤ人をサポートしたが、結局、リムリックのユダヤ人たちは街にいられなくなった。
激しくアジった「過激な宗教指導者」は、教会によって配属替え(島流し)となった。ユダヤ人たちが脱出した先の港町コーク(アメリカへの船が出る)では、人々は彼らを避難民として受け入れた。しかしリムリックのユダヤ人コミュニティが、「憎悪」によって破壊され取り除かれたことに変わりはない。……
迫害される側のアイルランドのカトリックが、ユダヤ人を迫害した。その「迫害」の規模がどうであれ、これは「アイリッシュ・ナショナリズム」を美化するときには「例外」としたい歴史上の事実だろう。しかしこの「ポグロム」の後も、アイルランドの(カトリックによる)「ユダヤ人迫害」は終わらない。黒シャツならぬ青シャツ隊は、同じカトリックであるフランコ独裁政権(スペイン)を強く支持し、「ユダヤ人排斥」を唱えた。(Wikipedia、アイルランドにおけるユダヤ人の歴史も参照。)
このエントリはこのあと、「英国人に蹂躙されたアイルランド人はユダヤ人を差別し、そのユダヤ人は現在、パレスチナでひどいことをしている」という方向にいく。このエントリを書いて数週間後には、レバノン南部に対するイスラエル軍の攻撃が始まる(そしてヒズボラが大勝利な状態になる)。
ところでハリスのSindoの記事にNe Temere decreeのことが出てきた。1911年のカトリック教会令で、カトリックと非カトリックの者が結婚した場合、間に生まれた子供はカトリックとして育てるべし、というものだ。ウィキペディア、あんまりよくないけど。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ne_Temere
ハリスは、1911年にこれが発されてから(←ここ、事実関係私には不明。Ne Temare decreeは1908年のはず)独立戦争までの間に、プロテスタントの3分の1(107,000人)がアイルランドをあとにした、と書いている。
実は見るところを見ればまたぞろ、この数値をめぐっててんやわんやの大騒ぎになっているのだが、そういうのは「ちょうデジャヴー」と茶化してでもいないとやっていられない。(むろん、私は例の件のことを言っている。具体的に何の件なのか書くと、また一方的な決め付けにさらされ、非常にめんどくさいことになるので書かないが。)(そうやって、大筋では意見が一致しているはずのサークルの外の者が「言及するとめんどくさいので言及しない」ような状況を作っているのは、何の利益にもならんのよ。自分たちが、100パーセント自分たちの考えと一致する「考え」しか存在しないという山の上のお花畑に永住したいというなら別だけど。)
で、このNe Temere decreeに関連して、「プロテスタントのボイコット」が生じたことがある。そんなに大昔じゃない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Fethard-on-Sea_boycott
1957年、アイルランド南東部の端、ウェクスフォード州のFethard-on-Seaでのことだ。このエリア出身のSeanとSheilaは、ロンドンのハマースミスにあるカトリックの教会で結婚した。これが……ウィキペディアの記述がまったくダメダメで、これだけを読んでも何もわからないのだが(事典として役に立たない)、ソースの記事を見ると、Sheilaはプロテスタント(チャーチ・オヴ・アイルランド)だった。そこで教会は彼女に対し、「子供はカトリックとして育てるように」と言った。彼女はこれを拒否し、娘たちを連れてこの街を離れた。教会はこの街のプロテスタントに対するボイコットを呼びかけた。
Parish priest Fr. Stafford told Sheila Cloney she had to raise her children as Catholics. Sheila refused, leading to her leaving the town with her daughters. The parish priest organised a boycott of the local Protestant population which was endorsed by Bishop Michael Brown.
この教会主導のボイコットについては、エイモン・デヴァレラも非難していたという。
ウィキペディアの記述を見る限り、
http://www.newrossstandard.ie/news/fethard-mourns-passing-of-sheila-cloney-aged-83-1803171.html
ショーンとシーラと、街の「プロテスタントに対するボイコット」は、1999年にA Love Dividedというタイトルで映画化されている。(夫のショーン役が、またあなたですか……という俳優さんだ。)
http://www.imdb.com/title/tt0198668/
ずっと前、頭の中が「何はともあれ階級闘争」な人と話をしたことがある。アイルランドというと「なんとなく」のイメージしかないという先方は、「虐げられたカトリックは労働者階級、プロテスタントはみなブルジョワ」と思い込んでいた(その上で、大筋のところ、ミドルクラスのプロテスタントがひどい目にあうのは別に構わない、という考えである。ここではその点は本題とは関係ないのですっとばす)。実際には、そのような社会階層の区分は宗派の別とは一致しておらず、「ワーキング・クラスのプロテスタント」、「ミドル・クラスのカトリック」という存在は無視できない。しかし先入観があると、そういったところから説明されないとわからない。あるいは、説明されても納得しない場合すらある。
だからこそ、「事実」を見ることは、たとえ断片であっても見ようとすることは、重要なのだと思う。
北アイルランド紛争についても、「カトリックはナショナリスト」、「プロテスタントはユニオニスト」という大雑把な区分ですべてが語られすぎるきらいがある。実際にはプロテスタントでナショナリストの活動家だった人もいるし(武装組織ではロニー・バンティングなど、非武装主義の政治家ではジョナサン・スティーヴンソン、ブラディ・サンデー事件のときのデモ主催者でSDLPのアイヴァン・クーパーなど)、そもそもアイリッシュ・ナショナリズムはプロテスタントが興した運動だ(ウルフ・トーン)。
英語でニュースを見てると気になるのは、英国やアイルランドのメディアは別として、グローバルなメディアが、今なお細々と続く北アイルランドのボム闘争などについて、いまだに「カトリック武装勢力」というような言い方をしていることだ。
AFP: N. Ireland bomb ... google.com/hostednews/afp… So how long R they going to describe them as "The Catholic paramilitary groups"? #sectarianism
— nofrills (@nofrills) April 28, 2012
すげーっすな、と思ったのはこれ。
British army defuses 600-pound van bomb near Northern Ireland border; IRA die-hards blamed wapo.st/IrZZ12
— Post World News (@PostWorldNews) April 28, 2012
※この記事は
2012年04月30日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
【i dont think im a pacifist/words at warの最新記事】
- 「私が死ななければならないのなら、あなたは必ず生きなくてはならない」展(東京・六..
- アメリカのジャーナリストたちと一緒に、Twitterアカウントを凍結された件につ..
- パンデミック下の東京都、「コロナ疑い例」ではないかと疑った私の記録(検査はすぐに..
- 都教委のサイトと外務省のサイトで、イスラエルの首都がなぜか「エルサレム」というこ..
- ファルージャ戦の娯楽素材化に反対の意思を示す請願文・署名のご案内 #イラク戦争 ..
- アベノマスクが届いたので、糸をほどいて解体してみた。 #abenomask #a..
- 「漂白剤は飲んで効く奇跡の薬」と主張するアメリカのカルトまがいと、ドナルド・トラ..
- 「オーバーシュート overshoot」なる用語について(この用語で「爆発的な感..
- 学術的に確認はされていないことでも、報道はされていたということについてのメモ(新..
- 「難しいことはわからない私」でも、「言葉」を見る目があれば、誤情報から自分も家族..






























