kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年11月04日

「ミントン タイルの秘密」と「ヴィクトリア朝」

Minton Tile Booklet

上野・湯島のエリアに建つ旧岩崎邸庭園で3日まで開かれていた「ミントン タイルの秘密〜旧岩崎邸庭園を彩るヴィクトリアンタイルの様式美〜」展に、3日、駆け込みで行ってきました。上の写真は解説のブックレットとポストカードのセット(1200円:旧岩崎邸庭園のチケットオフィスで今後も在庫ある限りは買えると思います)。

ミントンのタイルは、有名なところでは英国の国会議事堂の中とかに用いられています。
http://www.ironbridge.org.uk/our_attractions/jackfield_tile_museum/exhibits/

米国の国会議事堂やホワイトハウスの中にも。
http://www.whitehouse.gov/history/eeobtour/minton-tiles_nonflash.html
http://www.aoc.gov/cc/capitol/minton.cfm

この小規模な展覧会の内容は
http://www.tokyo-park.or.jp/event_search/detail/e_search_dt000102.html
●展示内容
テーマ別のセクションを設け、当時のヴィクトリアンタイルの様式美を伝える品々を展示いたします。

◆プロローグ「ミントン、その歴史と芸術の紹介」
 −ミントンの歴史
 −英国王室御用達としての業績
◆Section1「ミントン タイルの解説と展示」
 −ハーバート・ミントンの挑戦、中世タイルの再生
 −ヴィクトリア建築とミントン タイル
◆Section2「旧岩崎邸庭園におけるミントン タイル」
 −ジョサイア・コンドルとミントン タイル
 −日本の明治洋館建築におけるミントン タイル


「プロローグ」の部分の展示(数点)は、ミントンのテーブルウエアの名品中の名品の展示で、タイルとは関係なし。ここで展示されていたのは、ハドンホールみたいなデパートに行けば買えるようなものではなく、ものすごい技術のすばらしい仕事のものだったけれど、うーむ、過剰。not my cup of teaっていうか・・・いや、ほんとにあんなティーカップでお茶をいただいても緊張してしまうので美味しくないだろうけれども。(実際に展示されていたのはティーカップではなくお皿などでしたが。)私が見たいのは、あれやこれやが基本的にむちゃくちゃ過剰になってしまっていた19世紀に、素朴な中世ゴシックを復活させようとした挙句、また別な方向で過剰になってしまったヴィクトリアン・ゴシックなので。

「Section 1」と「Section 2」がメイン。展示物の点数はすごく少なかったのですが、解説が充実していたのと、展示されているものがすごかった(門外不出のデザイン帳が部屋の片隅に・・・)のと、第一にそこは旧岩崎邸で、実際にそこにあるわけですよ、博物館入りした形での展示ではなく、使われていた形で。

イングランドの田舎町に行くと、ふらりと見学に入った教会でヴィクトリアン・ゴシックのタイルやステンドグラスを見ることも普通にあるのですが、旧岩崎邸は大財閥のボスの贅を尽くしたお屋敷とはいえ、なんかちょっとそういう気分でもあり。

ちょうど建物内に入ったときに、物販コーナーの男性がお客さんに「象嵌タイルとはどのようなものか」を説明しておられたので、展示を一通り見終わったあとに「あのタイルについてうかがいたいのですが」と声をおかけしたところ、男性は「そこまでは私ではわからないのでミントンの方に訊いてみてください。今ちょうどいらしてますので」と案内してくださいました。

展覧会最終日、それも閉館まであとわずかというところで、展示撤去作業のために学芸員さんがいらしていたのだと思います。お忙しいところに時間を割いてとてもていねいに説明してくださいました。(以前も、別の小規模な施設で展覧会最終日に、閉館ぎりぎりにその場にいらしていた学芸員さんにお話しを伺ったことがあります・・・その展示室にいた客全員で臨時のガイデッド・ツアーみたいなことになりましたが。)

ご説明によると:
洋館(ジョサイア・コンドル設計)のテラスのタイルは、「一部の専門家の間では、そのデザインや色彩の特徴からおそらくミントンのタイルであろうといわれていたが、最近になってタイルの裏の刻印が確認され、間違いなくミントン製であることが明らかにされた」(ブックレットより)ものであるが、テラス一面にタイルがぴちっと敷き詰められていて、長さ・幅もぴったりで、特注品と考えられる。

現在はミントンではタイルは作っていない(ミントンは1950年代にロイヤル・ドルトンに吸収合併されているが、テーブルウエアでブランドの名前は残っている)が、専門の会社が19世紀の象嵌タイルの復刻を行なっている(この展示はSection 1にあった)。偶然同じタイルが見つかり、その裏にミントンの刻印があったことから、旧岩崎邸のテラスのタイルもミントンのものだということが判明した。ただしデザイナー名まではわからない。

ミントンのタイルは、イングランドでは教会など公共の建物に非常によく用いられているが、個人の住居に使われている例は、ミントンの2代目、Herbert Minton (1793-1858)の私邸と、旧岩崎邸しかない。

旧岩崎邸は、現存する3棟の建物のほかにも多くの建物があるが、その建築には当時の東京の予算くらいの巨費が投じられたという。今の感覚だと「六本木ヒルズ」を個人の自宅として作る以上だ。(どんだけ金持ちなのか。。。しかも岩崎久弥って1865年生まれ、洋館が完成したときもまだ31歳。)

戦争で焼けなかったことは別として、建築から110年経つ現在でもこれほどに保存状態がよいのは、建物の建築材料が本当によいものだったのだろう。

テラスのタイルについて言えば、風雨に晒されているのに極めて保存状態がよい。これには英国のミントンの学芸員も驚いていた。

建物内では、複数ある暖炉のうち1つのタイルがミントン製と判明している。ミントン製と判明したタイルについては、ミントンのデザイン帳(今回展示されていたもの)で特定された。(デザイナーはクリストファー・ドレッサー。)
※この点については、ブックレットでは「現在調査中」となっている。ミントンだと判明したのは、本当にごく最近。
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/info035.html#3(→魚拓

洋館の玄関を入ってすぐ右の暖炉のアール・ヌーヴォー調のタイルについては、ミントン製とは判明していない。(このタイルも、色がすばらしい。)

玄関のモザイクタイルもおそらくはミントン製。玄関の間口を3等分する形できっちり並べられているが、これも特注品ではないだろうか。モザイクタイルは、1枚のタイルを構成するモザイクのピースが2000個ほどで、裏に番号や記号がつけられていて、それをはめこんで模様を作るという手の込んだものだ。

・・・というところでした。

実は私、旧岩崎邸の洋館の中に入ったのは初めてでした。以前訪れたときには修復期間か何かで入れず、「どうもピュージンっぽい」といううわさのテラスのタイルは、庭園から、立ち入り禁止区間のぎりぎりのところに立って背伸びしてちらりと見ただけだったのですが(で、「おおー、45度だ」と思ったり)、実際に見るとすばらしい。古代ギリシャのテラコッタみたいな色とか、ややグレイがかったターコイズ・ブルーとか、あとはあの白。どこまでが風雨の影響かわかりませんが。それから邸内の床が複数の素材を組み合わせた寄木になっているのですが(保護するためにほとんどが絨毯で覆われていますが、少しだけ出ている。解説板あり)、それとの組み合わせも何とも美しい。

あと、テラスのタイルについては、旧岩崎邸庭園のリーフレットにも「イスラム調」とあるし、別のところでは「ペルシャ調」といった説明もあるのですが、単純にヴィクトリアン・ゴシックだと思います。ただし典型的なものよりも余白が多い(だから「過剰」な感じが薄い)かもしれないけれど。

あと、婦人の間のイスラーム調のデザインの空間(これは「イスラーム調」と断定していいと思います)、ああいうのは、ヴィクトリア朝とは何かというのをくっきりうつしたものだと思います。旧岩崎邸は時間がフリーズしていて、時代によって建物の用途が変化したり、周辺の環境が変化したりした英国でよりも「ヴィクトリア朝とは何か」を見ることができるのかもしれない---西アジアや南アジアへと「進出」した「大英帝国」が、何を「自分のもの」としたのか。

ヴィクトリアン・タイルについてのまとまった本:
書籍解説は出版元のサイトにも。
487275512Xヴィクトリアンタイル―装飾芸術の華
山本 正之
INAX出版 1997-01

by G-Tools


旧岩崎邸について:
http://www.uraken.net/rail/travel-urabe75.html
http://allabout.co.jp/house/architect/closeup/CU20030703/
http://www.tokyo-roman-theater.net/bunmei/iwasaki.html
http://artemis.jpn.org/iwasakitei.htm

※旧岩崎邸は写真撮影可です。私もカメラは持っていたのですが・・・バッテリが切れてました。

※この記事は

2006年11月04日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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