「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2012年04月30日

アイルランド、語られることのほとんどなかった「プロテスタントへの暴力」について、RTEのドキュメンタリー番組がオンラインで

アイルランド国営放送のドキュメンタリー番組、"An Tost Fada - The Long Silence" を見ている。アイルランド語で制作されているが、音声のかなりの部分は英語だし、アイルランド語の部分には英語字幕が表示される。25分強。5月7日までオンラインで見ることができる(私は東京からの接続だが、問題なく再生できている)。
http://www.rte.ie/player/#!v=1145320

番組の大筋は、RTEのサイトで文章で紹介されている。
http://www.rte.ie/tv/programmes/thelongsilence.html

4月16日に放映されたこの番組を私が知ったのは、23日のSlugger O'Tooleの記事でだったが、トピックがトピックだけに、Sluggerのコメント件数が100を超えるという状態になっている。

このドキュメンタリーのトピックは、「プロテスタントたちへの暴力」である。ほとんど語られてこなかった種類の暴力。(アイルランドについて、まったくの外部から「イギリスの横暴」云々とだけ言って得意になっているような人たちは、アイルランドには数百年にわたる支配と被支配の関係だけでなく、数百年に及ぶ「そこに暮らす人々による社会の構築」という現実があったことを、知っているだろうか。あるいは想像してみるということすら、しているのだろうか。)



番組で、「長い沈黙」を破っているのは80代の人であり、彼自身もその出来事を直接には知らない。彼が話を聞きにでかけた「最後の証人」は100歳だ。

1922年4月下旬。アイルランド南部、コーク州ダンマンウェイ (Dunmanway, Cork)。アイルランド駐留英軍とアイルランドの武装勢力(義勇兵たち)の間で行われたアイルランド独立戦争は、前年夏に停戦に至っており、既に局面は「対英戦争」の次に移行しつつあった。この地域は「反条約派」が支配していた。

(司馬遼太郎流の「アイルランドは反英である」という粗雑な《語り》は、このような重要な事実を見えなくしてしまう、非常に迷惑なものだ。といっても、アイルランド共和国とカトリック教会自身がそのような《歴史認識》をとって、内戦を正視しようとしてこなかったことも事実であり、司馬遼太郎がわざわざ現地に行ってまでその《語り》に沿うものしか見つけられなかったのも、80年代という取材時期を考えればやむを得ぬことかもしれない。1998年のグッドフライデー合意がもたらした英愛間の《和解》は、まさにその《語り》のありかたという点にまでリーチが及ぶものであり、だからこそ大きな意味を持つ。)

コークは15世紀からthe Rebel Countyというニックネームを持つような「反乱の地」である。(私は今、これを書きながら、リアルタイムのシリアのニュースを思う。ハマ、ホムス、イドリブ、ダルーア、ドゥーマ……それらの地名のいくつかは確実に、「反乱の地」と称されていた。)1919年から21年まで続いたアイルランド独立戦争の間の1920年12月には、州都コークの市街地が、英軍の非正規部隊、Black and Tansによって焼き払われた。

1920年にコークのロード・メイヤーだったテレンス・マックスウィーニーは、「反乱の煽動」という《犯罪》で(コモン・ローにこういう「言論の自由」を完全に封殺するような《犯罪》の規定があったという過去も知らず、「外国では差別の言論は法律で禁止されている」などとホザいている向きもあるようだが、あまりにも知識がなさすぎる)、英当局に逮捕・投獄され(それもロンドンのブリクストンの刑務所に)、獄中でハンストを行ない、そして74日の後に死んだ。

その後、1921年12月に結ばれたアングロ・アイリッシュ条約(独立戦争終結)の交渉の中心人物だったマイケル・コリンズも、コークの人である。

……こういったことは、おおいに語られている。アイルランド史についてのちょっとした本にも、必ず書いてある。独立戦争から内戦に至る過程を、一組の兄弟を中心に描き出したケン・ローチの映画、『麦の穂をゆらす風』も、コークを舞台としている(ストーリー自体はフィクションだが、映画制作にあたっては徹底的なリサーチがなされたことは、当時のインタビューなどで説明されていた)。『麦の穂』の主演のキリアン・マーフィーもコークの人で……といったことを書いていればきりがない。

一方で、独立戦争と内戦の悲劇と同時期にあった「プロテスタントへの迫害(と呼べる行為)」は、語られることもなかった。事件から90年の時を経て、それが語られている、というのが、今見ているRTEの番組だ。

事件そのものについては、ウィキペディアにエントリがある。だが、アイルランド史の、特に微妙な問題をはらむトピックにありがちなことだが、「詳しすぎて役に立たない」状態になりかけているので(これは特に《歴史認識》をめぐる《議論》と《論争》についてのエンサイクロペディアの状態だ)、参考にならないかもしれない。(ただし学者のみなさんは、こういう「一般大衆が読む資料」で何がどう説明されているのか、見たほうがいいかもしれない。)

Dunmanway killings
http://en.wikipedia.org/wiki/Dunmanway_killings

何があったかの概要だけ見ると、「1922年4月26日から28日にかけて、プロテスタントの男性10人が殺された。うち8人は英軍への情報提供者と疑われていた人物で、2人は情報提供者の疑いのある人の親族だった。さらに3人が拉致され、行方不明となった(殺されたと考えられる)」。「被害者全員がプロテスタントであり、このため事件はセクタリアンなものと位置付けられている」。

この時代のセクタリアンな事件としては、1921年7月のベルファストの「血の日曜日」事件(シャンキルとフォールズで撃ちあい)や1922年4月のベルファスト、アーノン・ストリート事件のように、アングロ・アイリッシュ条約で固定化された「北アイルランド」(北部6州、1920年アイルランド統治法で成立)で起きた事件があるが、北アイルランドで「プロテスタント」が「カトリック」を暴力の対象としていたように、南では「カトリック」が「プロテスタント」を暴力の対象としていた。

それがどの程度までセクタリアンなものであるかは、(主にそれがセクタリアンなものではないと主張したい側によって)《論争》にされている。しかし実際に「それ」を経験した人たちにとっては、それは「(カトリックから)プロテスタントに対する脅迫・暴力」だった。

それが語られているのが、今見ているRTEのドキュメンタリーである。
http://www.rte.ie/player/#!v=1145320

冒頭、導入部に続いて示される「再現ドラマ」は、2009年に制作されたドキュメンタリー、"CSÍ - Cork's Bloody Secret" (→大筋の内容は番組を見ていた人のメモなどを参照)からの引用である。このドキュメンタリーこそ、「コークの語られざる暴力」(1922年4月のプロテスタント殺害・追い出し)をテレビという場で大っぴらに語った最初のものだったそうだが、制作者のEoghan Harrisがまるで信用のない人で(なぜ信用されないのかは非常によくわかる。私だってこんな人は信用しないと思う)、Politics.ieでも、番組の中身以前に、制作者がひどいということで盛り上がっているくらいだ。そして今回の "The Long Silence" も同じ、Eoghan Harrisが制作陣に加わっている。(おそらくこの人は、「教えられていた嘘」にNoと言うことをライフワークとしているのだろうが、この人がどうなのかということは今はどうでもいいので先に行く。追及したい人は勝手にどうぞ。引用されている2009年の番組のクリップで、この人と思われる人物の発言があるが、多少の前提知識があれば「あー、なるほど」だと思う。)

この2009年の番組について、今回の番組は次のようにナレーションで説明する。(英語字幕の書き写し。)
The protestant community in West Cork suffered a reign of terror which saw the killing of young and old. Two years ago, on a CSI programme called 'Cork's Bloody Secret", people speak for the first time about the murder of the Protestants in West Cork during April 1922.


今回の番組は、この2009年のドキュメンタリーを「興味深く見ました」と語る男性の声で始まる。「これまで公には語られてこなかったことが語られていました。私が興味を持ったのは、この件で当時影響を受けた人の何人かを、私は直接知っているからです。攻撃され弾圧された側の人を。番組が彼らの話に声を与えたことは、たいへんすばらしいことでした」。

男性はジョージ・ソールター (George Salter) さん。87歳、チャーチ・オヴ・アイルランド(イングランド国教会のアイルランドの組織)の司祭で、コーク市でずっと教会の人として地域に暮らしてきた。アイルランド語話者で、自身はアイリッシュであると強く意識しているジョージさんは、自分の親が1922年4月のコークでの事件で追い出された一人であることを語る。それを番組は、当時の新聞(英語)をバックに、「語り」(アイルランド語)として流す。CORK MURDERS, THE NEW HORROR ...



「私の両親と兄は、1922年、Dunmanwayから逃れなければなりませんでした」。一家はイングランドに移る。



ここでドキュメンタリーは、現在のジョージ・ソールター司祭の教会の様子を映す。ナレーションが「その出来事は、ソールター家の人々の人生を完全に変えた。現在、87歳になろうとするジョージ・ソールター司祭はずっとアイルランドで過ごしてきましたが、かつてソールター家の人々が『家』と呼んでいた場所には、一度も足を踏み入れたことがありません」。

「プロテスタントとカトリックの間に存在していた絆 (tie) は、あのときに失われました」と語るジョージ・ソールターさんは、「私は自分はアイリッシュマンだと思っているし、自分の国に貢献したいと思っています」と語る。この「奇妙」にすら感じられる並置は、「プロテスタント」で、なおかつ「アイルランド人」であるという存在の置かれている位置づけをあらわにする。

ドキュメンタリーでは街を歩くソールターさんの映像に続いて、Institiuid Teicneolaicht ChorcaiのDr. Barry O'Connorのコメントが入る。「ジョージ・ソールターさんは誇り高いアイルランド人で国を愛しています。真のアイリッシュマンで、アイルランド語を愛しています。アイルランドの音楽や文化に熱心で、コークへの愛も人一倍です。シャンドンの教会でミニスターをなさってきた方を、アイルランド人として、教育者として、キリスト者として、当校でお仕事していただいていることを嬉しく思っております」。ナレーションは、ソールターさんがこの教育機関(工科大学、高専のようなところ)の理事を務めているということを説明する。そして、この学校の職員のダン・コリンズさんが、ソールターさんと意外な接点を持っている、ということを。

コリンズさんの説明によると、2人で話しているうちに出身地の細かい話になり、Kilronaneという地名が出た。コリンズさんの妹さんが嫁いだクローリー家の暮らす農園がそこにある。

その農園こそ、ジョージ・ソールターさんのお父さんが1922年に後にせざるをえなかった「家」だった。



ここでだいたい6分くらい。残り19分、番組は、ジョージさんがその「家」に戻るまでを、彼が何をどのように語っているかを豊富にまじえて、映し出す。そして、彼がいかに「アイルランド人」であるかも……。

「プロテスタントの宗教家」として(一瞬、「でありながら」と書きそうになった私もかなり深い部分で思い込まされている)、地域に貢献する活動をおこなってきた、という描写に続き、質素なキッチン(本当に質素。学生の部屋みたい)で自分でお茶を入れるジョージさんの映像に重ねて、ジョージさんが「アイルランド語は神に関心を抱く私にとって重要なものです。アイルランドの文化、この国の口頭伝承の伝統にも深く関心を抱いています。英語では言語表現できないことも、アイルランド語では言えます」とアイルランド語で語る。

ジョージ・ソールターさんのお父さんには6人の姉妹と2人の兄弟がいた。しかし全員が1922年4月までにはアイルランドを後にし、以降、戻っていない。

ここでカメラは、ジョージさんが見ている1915年に撮影された家族の集合写真をうつす。第一次大戦中、1916年のイースター蜂起の前に撮影されたものだ。「チャーチ・オヴ・アイルランドのコミュニティは、IRAから強い圧力を受けていました。多くはイングランドへ、あるいはオーストラリアや米国に渡りました。いつ殺されることになるかもしれないと、人々は恐怖のうちに暮らしていました」。

まったく絵本じゃないかという光景の中、ジョージさんが車を走らせて向かった先は、やはり絵本のような河畔。そこで詩人のLiam O Muirthileと話をする。彼もまた、カトリックとプロテスタントのバックグラウンドを同時に持っている。ジョージさんはカトリックとプロテスタントのコミュニティの関係について、確認したいと思っている。ここで詩人の口から語られる「うちのおじさん」の話に、ジョージさんは微笑む。(この場面の映像の美しさときたら、もうね。)

続く場面で、ジョージさんはSkibbereenという街に行く。コーク州でも一番南、アイルランド最南端の町だそうだ。ここで1922年の出来事を実際に目撃した最後の生存者と会う。

……とナレーションが述べる背後の映像は、1916年イースター蜂起に参加したこの町の出身者を記念するプラークだ。(しかしこの街がまた、冗談のようにかわいい……。)



ジョージさんが会いに行ったのはリチャード・ドレイパー (Richard Draper) さん、100歳。彼は英語で話す。「政治的には、独立を求める戦いでした。しかし同時に、宗教的なファクターもありました」。"A Catholic country for Catholic people", "get rid of all of the protestants" ... ドレイパーさんの口から語られるその言葉は、実際には「プロパガンダ」であるかもしれないが(それでもおそらく、現場ではそういう粗雑な言葉が使われているはずだ)、それでも、その「認識」があったことは事実なのだ。

ちょっとこれはショッキングな写真で、ナレーションは「ありとあらゆる手を使って、地域のプロテスタントが(出て行けと)脅された」。



ジョージさんは次のように語る。「(農場主だった)両親は朝、目が覚めてみると、家畜の一頭が見当たらない、ということがよくあったそうです。でもそれを深く追究しようとはしなかった。またIRAは夜中に、午前3時とか4時といった時間にやってきて、いきなり12人分の食事を用意しろと言うこともあった。母は寝床から起き出して、食事を作らなければならなかったそうです。こういったことは、実際にあったことだけれども、両親は誰にも言ったことはなかった」。これをドキュメンタリーは、Crawford Art Gallery, Corkの一枚の絵を見つめるジョージさんの映像に重ねる。



これは有名な絵だ。同ギャラリーのPaintingのコーナーで、当該の年代のところを見ると、この作品はSean Keatningの作品であることが確認できる。ウィキペディアのページに、この作品の図版が掲載されている。Men of the South, 1921. 英軍車両を襲撃しようと待ち構えているIRAのユニットを描いたもの。1889年リムリック生まれの画家は、アラン諸島やロンドンで過ごした後、1916年にアイルランドに戻り、独立戦争と内戦を記録した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Se%C3%A1n_Keating

ジョージさんのお父さんは、コークの農場で育てた家畜をイングランドで売っていた。これが疑念を呼んだのではないか、と番組のナレーションは言う。ジョージさんは「脅迫を受けたときに、その理由がはっきりわからないということはよくあった」と述べる。

あるとき、ジョージさんのお父さん(ウィリアム・ソールター)は「朝までに出て行け」と警告を受ける。これまで築いてきたものすべてを捨ててここを立ち去るか、頭に銃弾を撃ち込まれるか……ビルには選択の余地などなかった。この地域ではそのときまでに13人の(原文ママ)プロテスタントが殺されており、うちAghatownの2人はソールター家の親しい友人だった。ジョージさんはそこを訪れる。おそらく今は農園としては使われていないその緑の土地で、彼らがどのように殺されたのか、ジョージさんは知っていることを語る。「豚の世話をしようと家を出たところで、殺されたのです」。「病気の牛の世話をしていて、その夜に殺されました」。



夜明け前、ウィリアム・ソールターさんも脱出を決意する。農園は人手に渡さなければならない。当時の英国政府はアイルランドを脱出する(プロテスタント、英国系の)人々に£1,700の賠償金を払っており、それで当面の生活は何とかする。慣れ親しんだキルローネンの農園の家から、一家が持って出たのは、古い置き時計ひとつだった。



こうしてコークを離れた一家だったが、イングランドに定住することはなかった。アイルランドが「自由国」となった後、脱出から2年後の1924年にソールター家はコークに戻り、Castletownshendに農園を購入した。その家で1925年に生まれたのが、ジョージ・ソールターさんだ。生まれたとき、彼はアイルランド自由国の市民である。

ここまででだいたい16分。

このあと、ジョージさんは出身校のBandon Grammar Schoolに向かう。ここは400年にわたって地域のプロテスタントの子供たちを教育してきた。今では宗派の別なく若者たちが学んでいる。なお、アイルランドのグラマースクールについては:
http://en.wikipedia.org/wiki/Grammar_school#Republic_of_Ireland

校内でジョージさんは生徒2人に話を聞く。2人ともアイルランド語だ。おそらくは2009年の番組をきっかけとして、90年前の「プロテスタント」に対する暴力がこの若い世代に伝えられていることは、十分に確認できる。Liadanというアイルランド名を持つSageという名字の学生は、調べ物をしたときに読んだ史料を見てショックを受けた、多くのプロテスタントの人々が家を追い出されたのはひどいことだ、と語る。Earlという名字の1人の学生はネットで調べるまではあまり詳しいことは知らなかったと言い、同じような感想を述べる。そして現在、この学校ではカトリックもプロテスタントも互いにレスペクトしているし、両者の間に緊張はないと思う、と最初の学生が語る。

それでもまだ、今なお、「プロテスタント」への「偏見、差別」は残っているということは、ジョージさん自身が経験している。ここで彼が語るのは、レストランでのエピソードだ。「店内に入るとバーで飲んでいた男たちのひとりが、(英語で)『へぇえ、あんたみたいな人がこんなところにねぇ』と言う。そこで私はアイルランド語で、『最近のわが国の変わりっぷりといったらねぇ。この国の役に立てることが私は嬉しいよ』と返したんです」。ジョージさんに絡んできた男にはアイルランド語は通じなかった。ジョージさんは娘さんと一緒に席に就き、やがて男たちは店から出て行った。

このあと、18分台から、ジョージさんの「ホーム」への訪問の場面となる。キルローネンの農園の家の敷地内に入ると、大学職員のダン・コリンズさんと、妹さんと、その嫁ぎ先のクローリーさん(と犬)が迎えてくれる。ジョージさんの両親は1912年にここで結婚し、最初の子(ジョージさんのお兄さん、写真に写っている男の子)はここで生まれた。いかし10年で「unfortunate circumstancesのために」、ここを離れなければならなくなった。

クローリー家がここの農園を買ったのは1927年、今の当主、オリヴァーさんの大おじさんが購入したという。1933年に彼は甥に農園を譲ったが、それがオリヴァーさんのお父さんだった。

こうして「足元」を確認するうち、ジョージさんは長く忘れていたあることを思い出す。これまで人に話したことのないことだ。

(ここの映像が、もう本当に……)

「1930年代に父と話したんですが、コークの病院にある人が入院していて、父に、話したいことがあるのでどうか面会に来てほしいと言うのですね。父は列車に乗ってコークに行った。そしてその男性の枕元に行くと」……ここでジョージさんの言語が英語に切り替わる。

以下、聞き取り(聞き漏らしあると思います):
The sick man said to my father, "I have a confession to make to you. I wanted to tell you that I killed several of your flock. For that I am deeply sorry. And I hope you forgive me."

And my father said, "You are forgiven. We're now moving forward, into a new era in our country."


以下、またアイルランド語に戻るので、字幕の引き写し:

The man needed to talk about it. Now it's resolved for me, too. It was always on my mind. It would come up when I thought of the people that were killed. The story was given to me by my father and I'm sharing it now.


訪問を追った部分の最後は、クローリーさんの家で食卓を囲む人々(お茶)。クローリー家の娘さんと思われる若い世代の人も(カメラ意識して緊張してる)。「神様のお導きがあればきっとまた戻ってこれると母が」。この「神様」が同じなのに、ひとつの宗派の集団がもうひとつの宗派の集団を差別し、蔑み、排斥した。そのことから、信仰を捨てた人もいただろう。しかしジョージさんは宗教家である。

そしてカメラは、ジョージさんの教会の墓地に報告に訪れるジョージさんと、ジョージさんの兄弟の娘さんをとらえる。「90年間続いた沈黙は、破られたのです The silence that has lasted 90 years has been broken」

As is written in the Bible: 'You will know the truth and the truth shall set you free.'


ジョージさんの兄弟は既に亡くなっている。娘さんは「45年前に、父親とこの話(1922年に後にせざるを得なかった本当の家のこと)をしていました。今、それが実現されて、安らかな気持ちでいることでしょう」と言う。

A veil of silence hung over these events for 90 years. I hope the Protestant community and other communities will be able to talk about what happened.

When I was a young boy going to school, I didn't think I was any different from other pupils. I played sport and did everything with them. At that time, people didn't talk about being Catholic or Protestant. I've made my journey and I'm delighted with it. I have put a lot of ghosts to rest. I hope in the years to come, that people can work together, help each other and talk about it. That's the most inportant thing for the future of the country. It's a great honour for me to be an Irishman.


「それを人々が話せるようになること」。それが畢竟、「赦し」、「和解」ということだろう。そのとき真実は知らされ、人は自由になる。

ドキュメンタリーの最後、エンドロールの映像は、礼拝を終え、教会から信徒の人々を送り出すジョージ・ソールター司祭の映像である。

※この記事は

2012年04月30日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 07:00 | TrackBack(1) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

真実を語ること、真実が語られることを邪魔しないこと(アイルランド)
Excerpt: 1つ前のエントリで、アイルランド国営放送のドキュメンタリー番組、"An Tost Fada - The Long Silence" を見た。その関連でいくつか、メモ。 まず、番組..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2012-04-30 18:51

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。