kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年11月02日

Michael Stone(マイケル・ストーン)

None Shall Divide UsNone Shall Divide Us
Michael Stone


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上記の本は、マイケル・ストーン(表紙の写真の男性)という人物の手記である。漫画にしたらスーパー・マリオみたいになりそうな容貌だが(実際、スーパーマリオみたいな顔で壁画に描かれていたらしい)、北アイルランドの暗殺屋。
http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Stone_%28loyalist_paramilitary%29

1955年、ベルファスト東部のプロテスタントの労働者階級の家庭で生まれたストーンは、ちょうど10代後半に自分の住んでいる地域で「プロテスタントとカトリックの分断」が進むのを見た。また、「カトリックの連中が襲撃してくる」のから近隣を「守る」ためのプロテスタントの青年団のようなものを組織した。そこでの活動がロイヤリスト武装組織UDAの幹部の目に留まり、組織にスカウトされた。

組織に入るためのテストは、空き倉庫で、さっきまで仲良く遊んでいた犬を撃ち殺すというものだった。ストーンと一緒に行った数人の青年たちは誰もそれができなかったが、ストーンは、葛藤はあったにせよ、その試験にパスした。そして組織で訓練を重ね、狙撃手としての腕を磨いた。そしてUDAの暗殺部隊で、組織が選んだ「合法的標的(legitimate target)」、つまりリパブリカン武装組織IRAのメンバーとされる人々の暗殺を行なった。

(「IRAのメンバーとされる」という場合、少なくともUDAとしては「〜とされる」は「〜である」の意味だが、実際にはストーンが殺した人はIRAではなかったようだ。IRAが「同志」を葬るときには軍隊式の形式を整えて葬儀を行なうのだが、ストーンに殺された人の葬儀はIRAの葬儀ではなかったとのこと。)

1988年3月16日、ジブラルタルで英軍特殊部隊に射殺されたIRAメンバー3人の葬儀が、ベルファストのミルタウン墓地で行なわれていた。多くの人たちが集まった葬儀にはジェリー・アダムズ、マーティン・マッギネスらシン・フェインの幹部も参列していた。棺が墓地に運ばれ、地面に置かれたそのとき、手榴弾が投げつけられ、墓地内に潜んでいたストーンのピストルの銃口からジェリー・アダムズらを狙って銃弾が放たれた。アダムズらは難を逃れたが、IRAメンバー1人と、カトリックの一般人(IRAメンバーではない)2人が、ストーンによって殺された。一連の出来事は葬儀を取材していたテレビカメラにとらえられていた。それで一躍名前が知れ渡った。ストーンはその場で葬儀参列者に取り押さえられ、ぼこぼこにされて車に押し込められたところを、警察に保護、というか逮捕された。(→ストーンの襲撃の瞬間の映像@音声付と、襲撃後の様子も含めた映像@音声は音楽)(※これら2つとも、プロパガンダ色の強いものです。前者はロイヤリストのプロパガンダ、後者はリパブリカンのプロパガンダ。)

そして1989年、裁判で有罪となり終身刑(懲役700年くらい)に服することになったが、「服役中の政治犯の釈放」を規定した1998年のグッドフライデー合意(GFA:ベルファスト合意)により、2000年に釈放された。
http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/july/24/newsid_2515000/2515041.stm

服役中、絵画に目覚めたストーンは(子供のころから絵は好きだったそうで)、釈放後はベルファストで青少年支援活動を行ない、自分の内側にあるもやもやしたものを外に出すために絵を描くことを推奨している、というのが上記の手記、None Shall Divide Usのストーリーの最後の部分だ。

この本を出したあと、マイケル・ストーンは何度かメディアの取材に応じている。2006年3月には、BBCのFacing the Truthという番組で、自身が殺したカトリックの男性の家族と対面した。(この番組ではほかに、警官に射殺された青年の家族とその警官が対面するなどしている。)
http://en.wikipedia.org/wiki/Facing_the_Truth_%28TV_programme%29
(残念なことに、私はこの番組を見ることができていない。番組名とMichael Stoneの名前でネット検索すれば、この番組について書いている記事はいくつも見つかるが。例えばLevee Breaksとか。)

BBCのこの番組内で、ストーンは、治安当局とロイヤリスト武装組織(UDA/UFF)との「癒着」があったことを肯定している。

それから半年以上経って、またマイケル・ストーンの名前がメディアに出た。ふつうに考えてもちょこちょこ出てこられるような人ではないのだが(復讐したいリパブリカンもいるし、和平反対のロイヤリスト過激派もいるし、あまり喋られては困るという人たちもいる)、もちろんしっかりと安全策を講じた上でメディアに出てくるのだろう。

今回、マイケル・ストーンが「衝撃の告白」でメディアに出てきているので、とりあえず前置きということで。あとで別に記事を書きます。

「衝撃の告白」の内容は:
My plot to murder Ken Livingstone, by former hitman
01.11.06
http://www.thisislondon.co.uk/news/article-23372907-details/...


※この記事は

2006年11月02日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 07:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | northern ireland/people | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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