「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年04月14日

ギニアビサウでクーデター? (そして、フォーサイスどこー?)

BBC Newsのトップページに最近、毎日、「アフリカ」カテゴリのニュースが表示されている。ここ数日はスーダンと南スーダンの間が緊迫というニュースが最も継続的に注目されているが、ふと見たら、ギニアビサウが大変なことになっていた。

Confusion over Guinea-Bissau PM after 'coup'
13 April 2012 Last updated at 19:47 GMT
http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-17700886

前回このブログでギニアビサウについてのニュースを見たのは、3年前のことだ。

2009年03月06日 軍の参謀総長暗殺、直後に大統領暗殺、そしてそこにいたのは……
http://nofrills.seesaa.net/article/115214757.html

フレデリック・フォーサイスである。

このエントリについては、少し読み進めたところにデイリー・テレグラフの怪しい見出しがあるので、その辺を特に読んでいただきたい。とにかくこの作家先生、2009年の大統領暗殺のときにこんなことを言ってた。
今書いている新作は、ギニアビサウを舞台にしたもので、プロットには派手な暗殺などは出てこないのだが、今回の経験は作品に取り入れることになるかもしれない、とフォーサイスは述べている。(←テレグラフ記事)


戦争の犬たち (上) (角川文庫)戦争の犬たち (上) (角川文庫)
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ジャッカルの日 (角川文庫) オデッサ・ファイル (角川文庫) アヴェンジャー〈上〉 (角川文庫) アヴェンジャー〈下〉 (角川文庫) 戦士たちの挽歌―Forsyth Collection〈1〉 (角川文庫)

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角川書店 1982-10

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一方、不覚にもまったく知らなかったのだが、「和平プロセス」売り込み中の北アイルランドがギニアビサウにも関わっていた。担当はイアン・ペイズリー・ジュニアである。

Paisley vows to return to country after coup
13 April 2012 Last updated at 15:57 GMT
http://www.bbc.co.uk/news/uk-northern-ireland-17702114
The North Antrim MP Ian Paisley says a military coup will not deter him from returning to the West African country of Guinea-Bissau.

The DUP MP, who is an unpaid mediator in the country's peace process, has described the atmosphere as a "difficult and tense situation".

リパブリカンの側の政治家がこういう「和平プロセス」の宣伝マンとして各地を回る、というのは、もはや珍しくも何ともない。ジェリー・アダムズ、マーティン・マクギネスらシン・フェインの政治家たちは2000年代中葉、バスク(唯一「成功」らしい成功をみせている)、中東(あそこはねえ、アイリッシュが「800年の支配がなんちゃら」と言っても、圧倒的武力を持った側から「たったの800年か」と流されるので)、スリランカ(結局「和平プロセス」ではなく「軍事的勝利」への道がとられ、夥しい流血と国際法違反の末、決着をみた)、フィリピン(動きが地味すぎてほとんど何も聞かないが)などを回ってきた。

武装闘争の当事者だった人たちによる「和解のすすめ」のような活動も活発だ。特に中東、イスラエルのCombatant for Peaceとはかなり深い部分で連帯・連携している。

しかし、ユニオニストの政治家がこういうお役目を帯びているというのは、ゼロではないにせよ、珍しいと思う。

After visiting the country in recent months, Ian Paisley said he got a sense the state was "getting over its past".

He told the BBC that the "army has a vested interest in controlling everything".

On the MP's most recent trip to the country he was joined by Seamus Magee from the Electoral Commission and former PSNI Assistant Chief Constable Duncan McCausland.

They were part of an official election observation mission and spent time visiting polling stations across the country.

Duncan McCausland said they found no evidence in the most recent election of fraud or vote-rigging.

He said, however: "There was an atmosphere at the end of the election which suggested that there was unease amongst the military."

The former policeman said he was not surprised the army had taken to the streets and said such activity "perpetuates instability and undermines security and justice".

Mr McCausland had hoped to return to the country this month to observe fresh elections after last month's poll, which Carlos Gomes topped, had proved inconclusive.

...

Ian Paisley, who was asked by the UN to act as a mediator, says he plans to return to Guinea Bissau as soon as possible.

He says the coup simply reinforces the importance of international involvement in this part of West Africa.

He says he "would not leave the country high and dry ".

The North Antrim MP says he hopes to travel to Guinea Bissau in the next few weeks.


※この記事は

2012年04月14日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 06:59 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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