「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2012年04月12日

「歴史」が大きく、静かに動いている。(北アイルランド)

今日、北朝鮮のミサイルは今日は発射されそうにない、というのと同時進行していた「気がかりなニュース」がある。日本ではどの程度言及(「報道」ですらなく「言及」)されているのか、私はまったく把握していないが、シリアで、前国連事務総長のコフィ・アナンが仲介したプランに沿って、停戦 (truce) が発効した。これまでの「停戦」と違って、「そういう話になっているにも関わらず、政府軍の激しい砲撃が行われている」という報告が入ってきて、「停戦なんてなされてない」という現地の改革派や在外の支持者からの訴えがTwitterに次々と流れてくる……ということなく、東京では日が暮れて夜になった。オンラインの英語圏では「停戦は、いつまで続くか」というトーンが基調になっていた。

午後9時30過ぎに見たときには、BBC Newsのサイトには、"BREAKING NEWS: Syrian state media say 'terrorist' roadside bomb in north kills military officer, injures others" というテロップが表示されていた。


その少し後には、「どちらの側にも停戦違反行為が認められる」、「国連はシリア政府に停戦遵守の責任があるとの見解」といった速報テロップも表示されたが、日本時間で午後11時半を過ぎても、大規模な戦闘の報告は入ってきていないようだ。トルコがNatoのArticle 5の話をしている (via @spearsden) など、えらい大きな話としてもかなり心配な情勢であり、とてもではないがこれで「よかった」と言える気分ではないが、最悪の展開にはなっていない。

そんなこんなで少し息をついた感じでいるときに、こんなのを見たので、ついつい反射的に「バヴァリアのオレンジ・オーダー」を見に行くという意味のないことをしてしまった。

DUP's Jeffrey Donaldson: I accept the IRA has stood down
By John Mulgrew
Thursday, 12 April 2012
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/northern-ireland/dups-jeffrey-donaldson-i-accept-the-ira-has-stood-down-16143522.html

ついに、 "They have gone away, you know!"

ジェリー・アダムズが "They haven't gone away, you know!" と口走ってしまったのが1995年8月(後に局地的にミーム化)、それから今年で17年。その前の1994年のIRA停戦(これは1996年に一度破られたのだが)から数えれば18年。2005年のIRAの武装闘争終結宣言からは7年。

「IRAがもう活動していない」ことを認めようとしなかったユニオニスト主流派の最右翼のひとり、ジェフリー・ドナルドソン(UUPの宥和路線に反対して離党し、当時最強硬派だったDUPに入った人物)が、ついにそれを認めた。

今年は、イースター直前から何となくいろいろとステップアップしてきている感が強かった。

※書きかけ

※この記事は

2012年04月12日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:56 | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。