「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年04月12日

Keep Calm And Carry On: 「あわてるな、平常心」

Keep Calm and Carry On. 直訳すれば、「冷静さを保ち、そのまま(いつも通りに)続けよう」。2000年代にミーム化し、数多くのパロディが作られているこのフレーズは、第二次大戦時に英国政府情報省によって考案された標語である。
http://en.wikipedia.org/wiki/Keep_Calm_and_Carry_On

実際には、この標語はほかの2種類の標語と同時にデザインされ、ポスターとして印刷されたにもかかわらず最終的にはお蔵入りとなり、日の目を見ることなくそのまま埋もれていた。それが、ある地方都市の書店(19世紀半ばから1968年まで鉄道駅だった建物を利用)で再発見(発掘)されたのが2000年のことだ。そして、このシンプルなフレーズは、英国の人々のハートを鷲掴みにして大流行、「数々のパロディを生み出す定番」と化した。

パロディをいくつか、一覧できるようにしてみた。(私が一番好きなのは、もちろん、「アイリッシュ」だ。しれっと出てきて真顔でやるな、真顔で。)
http://matome.naver.jp/odai/2133419087649968201
※「続きを読む」の下にエンベッドしますが、環境によってはNaverのサイトで見ていただいたほうが見やすいです。

で、この標語について、「冷静に、戦い続けよ」という日本語訳がある(ウィキペディア日本語版だが)。これは、私が翻訳担当なら「誤訳」と指摘すると思う。なぜなら、このcarry onは自動詞で、下記の意味だから。(比喩的な「戦い」、つまり「銃後の守り」であっても、「戦いを続ける」という意味ならば、carry on our fight(s)などと目的語を明示するはず。)
http://dictionary.reference.com/browse/carry+on
to continue to live, work, etc., despite a setback or tragedy; persevere.

(Dictionary.com Unabridged)


もうひとつ、起きていることが「非常事態」である、という認識を、少なくとも言語的にはしないのがブリティッシュの(自他共に認める)ステレオタイプ的な「らしさ」であり(例えばアメリカ人とは違って)、それゆえに2000年代にmeme化していると考えることがきわめて妥当であるから。

バーター・ブックスのサイトにもあるこのビデオの30秒台でしっかり説明されているが、Keep Calmのポスターが制作されたとき、ほかに2種類の標語が採用され印刷された。「あなたの勇気、あなたの笑顔、あなたの決意が我々に勝利をもたらす」という言語的に「戦い」っぽさの明示された標語と、「自由が危機にある。全力で守れ」という「戦争標語」以外ありえない標語である。

それら、勇ましい標語が歴史の向こうに忘れ去られた一方で、当時お蔵入りとなったシンプルこの上ない、「戦争」を明示しようとしていない "Keep Calm And Carry On" は、半世紀以上を経て、平和的な背景でこれだけミーム化している(英国はアフガニスタンやイラクで戦争をしているので完全に「平和」ではないにせよ、この標語が流行っている背景は「戦争」ではない)。この標語を見るうえで最も興味深い事実はそれである。

だからこそ、「翻訳」にあたっても、オリジナル・テクストに明示されていないにもかかわらず、ことさらに「戦争」を強調するのは(「私ならそういう翻訳はしない」の域を超えて)「誤訳」であると、私には感じられる次第。

というか、オリジナルについて「冷静に、戦い続けよ」という「翻訳」をされてしまうと、何が面白くてこんだけパロディが量産されてるのかがわからんのよ。「アイリッシュ」のパロディなど、シャレにならないものに見えてしまうし (^^;)。「完全にオリジナル・テクストと同じ翻訳」はありえないのだけれども、妥当な範囲というのはある。

言語によって描写される事実があるだけでなく、言語によって形作られる事実というのは、ある。それは表層的な「用語(ターム)」のレベルだけではない(タームとは、例えば物理学で「この現象を《なんとか現象》と呼ぶ」などとしているもの。それを名づけることによって、観察や実験・追試、定義や共有が可能になる、というのが基本にある)。例えば誰かが「用語(ターム)」を知ってるか知らないかだけで人の内面を判断したり、その人を論難することは愚の骨頂というか「上から目線」の下衆の行為だが、誰かが言語的に何を明示しようとしているか、ということは、何が共有される「事実」となるかという点において、決定的な役割を果たす。

以下、Keep Calm ... の貼り付け。

※この記事は

2012年04月12日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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