http://wwws.warnerbros.co.jp/iwojima-movies/
アメリカでは賞レースの都合もあってか2本目の『硫黄島からの手紙』は2007年になってからの公開だそうですが(しかも限定公開らしい?)、『星条旗』のほうは既に公開が始まっています。
原作、というより原案は下記の本。
硫黄島の星条旗 ジェイムズ ブラッドリー ロン パワーズ James Bradley 文藝春秋 2002-02 by G-Tools |
私もこの映画は時間の都合さえつけば見に行こうと思ってはいるのですが、作品のコンセプト的にも、自分のナショナリティとしても、第1作と第2作の両方を続けざまに見たいので、すぐには見に行かないだろうと思います。
というか、土曜日の昼間に、この夏に放映されたのを見逃してしまった『硫黄島 玉砕戦 〜生還者 61年目の証言〜』というドキュメンタリーを見て、何と言うかその、言葉にするとあまりに平凡なのですが、あまりに凄惨な戦場の様子を、本当に体験した人たち(現在80歳かそれ以上)の言葉で聞いて、それがあまりにも重いので、少し時間を置かないと無理です。ドキュメンタリーの中で、元日本兵の方が「なぜ自分は生かされているのか」「語ることは死んだ戦友たちにとってのせめてもの供養」と語っておられたこと、そして、元米兵の方が「どうしてここまで彼らは抵抗するのか」と思ったと同時に「我々がここまでやらねばならないほどに」と感じたということを語っておられたこと(米軍は最後には、日本兵のこもる壕に海水を流し込み、その上にガソリンを流して、そのガソリンに火を放った)、など。
映画は「あの旗を立てた彼ら『ヒーローたち』のその後」の物語で、戦闘そのものについての映画ではないのですが。
というわけで、映画はまだ見ていないので映画そのものについて言うことは何もないけれども、先日ガーディアンにこの映画について興味深い記事が出ていたのでそれをご紹介します。つまり、この大作映画に黒人兵士がちらりとも出てこないのはどういうことだ、という記事。
この記事が「興味深い」というのは、「アメリカ」というものについてこういう点から考える機会として、です。つまり、「エスニック・マイノリティと国家(国体)」という点。「黒人もアメリカのために戦った」という「歴史的事実」を確立するための神経質な闘い。
記事を書いたDan Glaisterは英ガーディアンの在ロサンゼルス記者。ちょっと検索した程度ではそれ以上のことが書かれたものが見つからないので、それだけしかわかりません。
http://commentisfree.guardian.co.uk/dan_glaister/profile.html
なお、最初に書いておきますが、この記事が指摘する「この映画には黒人兵士がひとりもいない」ということは、大いなる勘違いか何かであるようです。(「であるようです」と伝聞なのは、映画を見ていないから確認できていないだけです。)WikipediaによるとBlack Marines are seen in scenes where the mission is being outlined, and during the initial landings - where a wounded Black Marine is being carried away. つまり硫黄島攻略の概要が示されるシーンと、負傷した黒人兵士が運ばれていくシーンがあるそうです。
これは非常に重要な点だと思います。「まったく画面に写っていない」ことが問題だというのは、その存在が意図的に消されているか無視されているから。記事ではこの点を鋭く批判している大学教授が大きなウエイトを占めています。では「よく見れば気づく程度に写っている」のはどうか。これは物語のフォーカスをどこに絞り込みたいのかに関わることで、映画そのものを見なければ何とも言えないことです。それ以前に、「よく見れば気づく程度に写っている」のか「ふつうに見てて気づく程度に写っている」のかも実際に見るまではわからない。(それにイーストウッドのあの暗い映像で人の肌の色がわかるか?という問題もあるし。)黒人がメインの登場人物に絡んでこないというだけなら、当時の実際の部隊の配属の関係もあるし、「あえて無視した」のではなく「実際にそうだった」可能性だってある。
映画自体の焦点は「あの旗を立てた彼らのその後」にあり(公式サイトの「イントロダクション」には、「しかし、その写真の裏側には、覆い隠された真実があった。すり替えられた山頂のできごと、語られることのなかったもうひとつの星条旗の存在、英雄に祭り上げられた兵士たちの苦悩……」とある)、したがって戦闘シーンはメインではない。
何より、「あの旗」を立てた6人の兵士の1人で、ネイティヴ・アメリカンであるアイラ・ヘイズは、硫黄島からアメリカに戻ったあと、「インディアンなのによくやった」とばかりに、見知らぬ人々から国家のヒーローとして賞賛される状態にものすごく苦しんでいた。そういう映画について「黒人だってお国のために戦ったのに」という系統の指摘があるということは、大いなる皮肉だと思います。
では、記事です。ご自身で硫黄島の戦闘を経験している元兵士の方々の言葉は、「自分たちの部隊はもっと戦闘に関わった」という点からのものだろうと思います。「この映画には黒人はいない」という前提で話をなさっている大学教授の意見は、映画を見たあとのものかどうかわかりません。ただし試写会などでご覧になっている可能性もあります。(記事の中に「本日公開」と書かれているように、記事が書かれたのは映画の封切日です。)
記事の読み方というものを考える上でも、けっこう貴重な素材かもしれません。英文を読んだ感じ、記事を書いた記者は、映画を見ずに取材だけして書いている可能性もあるし、映画を見たけれども黒人兵士が出ていることに気づかずに書いてる可能性もあります。いずれにしても、Fox Newsのコラムニストが「黒人がいない」ということを書いたもの(たぶんこの記事:あまりにFOX NEWS!!って感じの記事)に依拠していることは、英文から、かなり確かです。
文中のアステリスクは訳注です。
歴史から消えること:硫黄島の黒人兵士たち
Absent from history: the black soldiers at Iwo Jima
by Dan Glaister
October 23, 2006
Guardian
原文:http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?SectionID=21&ItemID=11250
※zmagの記事を文章整理したものがガーディアン記事だと思われます。
1945年2月19日、トマス・マクファター(Thomas Mcphatter)は上陸用舟艇に乗船し、硫黄島の海岸に向かっていた。
「そこらじゅうに死体がぷかぷかと浮いていました。死んだ兵士たちがね。」マクファターは元米海兵隊員。現在83歳で、サンディエゴ在住だ。「私たちは匍匐(ほふく)の姿勢で浜に上がっていきました。退避用の壕(たこつぼ)に飛び込むと、白人の若い海兵隊員がいました。家族の写真を握り締めていましてね。この兵士は榴散弾にやられて耳やら鼻やら口から血を流していました。それを見て私は怖くなりましてね。ただそこに横たわって、主の祈りを何度も何度も繰り返すことしかできませんでした。」
残念なことに、マクファター軍曹の経験は、映画『父親たちの星条旗(Flags of Our Fathers)』には反映されていない。巨額の予算をかけ、オスカー有力候補とされるこのクリント・イーストウッド監督作品は、米軍の硫黄島攻略を描いたものだ。米国では本日公開だ。この映画の戦闘シーンでは多くの若い兵士たちが戦っているが、それらの兵士たちのなかにアフリカ系アメリカ人はひとりもいない。【訳注:実際にはこの映画には黒人兵士が出てくるそうです。しつこいですが念のため。】しかし実際には、硫黄島攻略には900人の黒人兵士が参加していた。マクファター軍曹もそのひとりだ。
この映画は擂鉢山の星条旗のことを物語る。硫黄島先端の擂鉢山に星条旗が立てられる瞬間は写真に撮影され*、その写真は米国の戦闘のシンボルとなった**。イーストウッドの映画が追うこの写真に写った海兵隊員たち――その中にはネイティヴ・アメリカンのアイラ・ヘイズ(Ira Hayes)もいる――はその後戦地から異動となり、米国政府の戦時国債の販売促進を行なった***。
マクファター氏はその後も軍人としてヴェトナム戦争にも従軍し、米海軍の少佐(lieutenant commander)にまで昇格した。その彼も硫黄島での星条旗掲揚に一役買っていた。「硫黄島に最初に星条旗を立てた人は、私から受け取った水道管に旗をつけたんですよ****。」このこともまた、映画には出てこない。
「硫黄島については何本か映画が作られましたが、そのどれにも、黒人の顔は出てきません」とマクファター氏はいう。「この新作映画もまた同じか、と、もうがっくり来ました。自分が否定されているように感じます。侮辱され、鞭打たれているようにね。しかし何ができるというわけでもないでしょう。私の国には、水面下で、いまだに激しい人種差別があるのです。」
近刊のThe Marines of Montford Point*****の著者で、2月公開予定の同テーマのドキュメンタリーの制作者でもあるメルトン・マクローリン博士(Melton McLaurin)によると、硫黄島での35日間の戦闘では、初日から、数百人の黒人兵士がいたという。黒人部隊のほとんどは弾薬輸送や物資補給に配属されていたが、上陸後の状況は混沌としており、そのためにこの戦略はすぐに狂ってしまった。
「最初に上陸したとき、(日本軍の)抵抗はすさまじいもので、黒人部隊は弾薬輸送はせず、自分の銃で銃撃を行なっていました」とマクローリン博士は言う。
硫黄島でアフリカ系アメリカ人が実際に果たした役割が映画のスクリーンに登場しないことは、マクローリンにとって驚きではない。「私が取材した海兵隊員のひとりが言っていたのですが、硫黄島でニュース用のフィルムを撮影していた人たちは、黒人兵士がやってくるとわざとカメラをよそに向けたそうです。黒人兵士が戦闘に参加していたところで撮影された(ニュース)映画でも、黒人は画面には一切映らない。黒人たちはそれについて全然驚いていません。こういうことは無知ゆえではありますが、第二次大戦でのアフリカ系アメリカ人について書かれた本は、誰だって調べれば出てきます。(イーストウッド監督の新作に黒人兵士が出てこないのは)興行成績のからみではないかと思います。映画の製作者が、アメリカ人が本当に見たいものをどう考えているかということですね。」
「私は、あの兵士たちには正当な扱いを受けてほしいと思っています。彼らは自分たちの話が語られ、それが知られることを心底から望んでいます」とマクローリンは続けた。
ローランド・ダーデン(Roland Durden)もまた黒人海兵隊員で、(硫黄島の戦闘の)3日目に上陸した。「私たちが上陸したときは弾薬を大量に持っていました。日本軍は迫撃砲で攻撃してきました。」兵卒だったダーデンはすぐに埋葬部隊に配属された。「ひたすら死者の埋葬に明け暮れました。終わりなどないように思えた。わたしたちの扱いは海兵隊員の扱いというよりは、作業員の扱いでした。」
ダーデン氏もまたほとほとうんざりしているが、イーストウッドの映画で(黒人が)省かれたことについては驚いていない。「わたしたちはね、いつだって映画からは外される。ジョン・ウェイン以降ずっとそうです。」ダーデン氏はそれを陰謀のせいだとも歴史の捏造のせいだとも言う。「黒人にヒーローになってもらっちゃ困るんですよ。1945年以前のことだし、(黒人の)公民権の前の話ですし。」
イーストウッド監督と、映画を製作したワーナー・ブラザーズとドリームワークスはこの記事に対してコメントをしていない。黒人兵士が出てこないことを最初に指摘したのは、フォックス・ニュースに記事を寄せているロジャー・フリードマン(Roger Friedman)だった。彼は硫黄島の戦闘に黒人が参加した史実は、クリストファー・ムーアの最近の著書、Fighting for America: Black Soldiers - the Unsung Heroes of World War II(アメリカのためのたたかい:黒人兵士たち---第二次世界大戦の賞賛されないヒーローたち)******など、何冊かの書籍に記録されていると述べた。ムーアは「黒人兵士は背景にさえいない」と指摘した。
「弾薬輸送にあたっていた人々の90パーセントが黒人でした。ですからこういう機会にこそ黒人兵士が画面に出てきてもよいはずです。(しかし)これがわたしたちの映画というもので、こういったものがわたしたちの歴史に、歴史的な記録になることが非常に多いのです。」ニューヨーク大学教授で、2004年に発行されたWe Were There: Voices of African-American Veterans (私たちはそこにいた:アフリカ系アメリカ人元兵士たちの声)の著者であるイヴォンヌ・ラッティ(Yvonne Latty)*******は、イーストウッド監督と映画のプロデューサーに、黒人兵士たちの経験を盛り込んでほしいと手紙を書いた。教授の著書の版元であるハーパー・コリンズ社が監督に献本しているが、返事はなかった。
「エキストラが何人かいればできる話ですよね、それで誰もが満足する」と教授は言う。「黒人兵士を映画の中心人物にしろと言っているのではないのです。少なくとも、彼らがそこにいたということは示してほしい、というだけです。新しい世代が硫黄島のことをこういうふうにとらえてしまう。またもや、アフリカ系アメリカ人は軍務についていなかったと、わたしたちはいなかったと、そういうことになってしまいます。これは嘘ですから。」
映画の基となったジェイムズ・ブラッドリーの『硫黄島の星条旗』(原題はFlags of Our Fathers, つまり『私たちの父親たちの星条旗』)の最初にあるのは、ハリー・トルーマン大統領の言葉である。「この世界で新しいものといえば、あなたの知らない歴史だけである。」イーストウッドの映画の最後の言葉としてぴったりだ。
訳注:
* 訳注1
撮影者がピュリッツァー賞を受け、アーリントンのウォー・メモリアルの原型となったあまりにも有名な写真ですが、英語版Wikipediaには詳しい説明があるのでご参照を。
http://en.wikipedia.org/wiki/Raising_the_flag_on_Iwo_Jima
** 訳注2
第7次戦時国債(欧州での戦闘終結の数日後、1945年5月14日発売)のポスターや切手にもなっています。
http://www.montney.com/marine/iwo.htm
↑このページにあるThe Sands of Iwo Jimaは、ジョン・ウェイン主演の映画で1949年作品。今年の10月に廉価版(500円)が出たばかりのようですが、下記は廉価版ではありません。ジャケット写真に「例の写真」が使われています。
第7次戦時国債については、下記も参照。当時の米財務省制作のプロパガンダ映画、My Japanの紹介とスクリプト全訳です。
http://nofrills.seesaa.net/article/22126872.html
*** 訳注3
写真に写っている6人のうち、3人は戦死。残った3人が「ヒーロー」として戦時国債の宣伝活動を行なったそうです。Wikipediaにはその宣伝ツアーのときのJohn Bradleyの写真がアップされています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:John_Bradley.jpg
このジョン・ブラッドレーの息子が、映画『父親たちの星条旗』の基となった本を書いたジェイムズ・ブラッドレーです。
**** 訳注4
http://en.wikipedia.org/wiki/Raising_the_Flag_on_Iwo_Jima#Raising_the_flag
によると、ここでマクファター氏が渡したpipeとは、日本軍の設備で使われていた水道管だそうです(Along with Navy corpsman Bradley, the Marines raised the U.S. flag using an old Japanese water pipe for a flagpole.)。
***** 訳注5
1941年に米国で政府機関の人種差別撤廃が法的に決まり、それを受けて黒人やネイティヴ・アメリカンなど人種的マイノリティの人たちを海兵隊員として採用するようになった。その最初の例がMontford Point(1942〜1949年)。詳しくは:
http://www.emilitary.org/article.php?aid=2008
http://library.uncw.edu/web/montford/index.html
1941年のこの法律は、米国がそうせざるを得なかったという面はあるにせよ、人種という点では重要なものです。硫黄島で旗を立てた6人のうちの1人で、ネイティヴ・アメリカンのアイラ・ヘイズも、1942年に学校を卒業して海兵隊に入っています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ira_Hayes
記事に出てくるThe Marines of Montford Pointの著者のマクローリン博士は、the University of North Carolina at Wilmingtonの歴史学教授。(書く必要があるのかないのかわかりませんが、写真を見ると白人です。)
http://www.wfu.edu/wfunews/2002/100402m.html
****** 訳注6
Christopher Moore, "Fighting for America: Black Soldiers - the Unsung Heroes of World War II" は、ISBNは0345459601です。amazon.co.jpには入っていないみたいですが、USで探せば簡単に見つかります。
http://www.abebooks.com/servlet/SearchResults?&isbn=0345459601&nsa=1
******* 訳注7
Yvonne Lattyはニューヨーク大学ジャーナリズム学科教授。ニューヨーク大学を卒業して写真家として活動した後、同大学大学院でジャーナリズムで修士号取得。フィラデルフィアの新聞で記者として13年働き、現在に至る。アフリカンでありヒスパニックでもある。
http://www.yvonnelatty.com/
http://www.harpercollins.com/authors/25778/Yvonne_Latty/index.aspx
映画公式サイト(日本語版)で予告編を見て「制作秘話」を一通り読んでからこの記事を再度読み返すと、特にマクローリン博士の「興行成績のからみではないかと思います。映画の製作者が、アメリカ人が本当に見たいものをどう考えているかということですね」というのは、うがちすぎのように思います。ひょっとしたらこの映画の製作者(スピルバーグ)について元々そう思っているだけかもしれないけれども。
ガーディアンの記事を受けたUSの映画評論系サイトのコメント欄を見ると、多くは「何にでも人種差別のタネを見つけようとするのはナンセンスだ」という主旨です。
http://gww.cinematical.com/2006/10/23/flags-of-our-white-fathers/
ただ、別の映画(『ワールドトレードセンター』)で本当は黒人が救出したのに、救出された当人に話を聞くことができずに映画を作ったので白人が救出したことになってしまった、という事例を引き合いに出して、「『特に指定のない限りは白人』というのがハリウッドのキャスティングに一般的だ」ということを書いている人もありますが(the general attitude in Hollywood casting that the character is "white unless otherwise specifically mentioned." Posted at 7:26PM on Oct 23rd 2006 by Zac)、それとてもまったく何も考えずにやっているわけではないでしょう。同じ状況でほかの人たちがどうだったのかを参考にして組み立てるはず。(なお、このコメント欄にはどうにも仲良くなれそうになさそうな投稿(笑)もあります。)
この映画は「人々が安心して安易に飛びつけるヒーロー」についての物語だろうと思います。硫黄島攻略では2人の白人と1人のネイティヴ・アメリカンが「ヒーロー」としてアメリカを熱狂させた。しかし彼らが本当に見たものは、彼らの体験は、そして彼らの胸のうちは、という物語。
その映画に黒人が「登場」しないことが、結局、何なのだろう。
直接その場にいた元兵士が「陰謀だ、歴史の捏造だ」と感じると語るのは、その人の実感としてとても重い言葉であるけれども。
大島渚の『戦場のメリークリスマス』で「朝鮮人軍属」がこれ以上はないというほどにはっきりと示されていたことを思い出します。彼はメインのストーリーには絡まずに死んでしまうのだけれど(っていうかあの映画の「メインのストーリー」って何だ?)、銃殺や斬首ではなく、切腹を「させてもらえた」のですが。
※この記事は
2006年10月28日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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色々な人にとって色々な意見があるでしょうが、
一度は見た方がよい映画だと思います。
で黒人兵士の件ですが、私が確認した限り
3つのシーンに登場します。
1.上陸前の甲板上でのミーティングシーン
(始めに多くの白人兵士が上官の指示を聞いているシーン、
その後別カットで少数の黒人がそれを聞いている)
2.上陸後、負傷兵を担架で運ぶシーン(これはあまりはっきりしません)
3.エンドロールで、硫黄島でのモノクロ写真が映し出されるが、
その一枚に白人兵士と一緒に(おそらく死んだ兵士のためだと思われるが)
祈りを捧げているものがありました。
ガーディアンの記事の翻訳と解説ありがとうございました。
記事に関してよくわからなかったところが、理解できました。
こんにちは。ご報告ありがとうございます。
映画は、私も来月になったら見に行く予定です。
映画情報サイトでスチールを眺めていたら、ライアン・フィリップ(主役のひとり)の後ろにアフリカンの兵士がいますね。
http://www.eigaseikatu.com/title/img-16113/4/
おそらく「上陸前のミーティングのシーン」かと思うのですが、この1枚のスチールからでも、「本当はそこにいたのにいなかったことになってしまう」というおそれは当たらないように思えます。
ガーディアン記事は、改めて読んでみると、マクファターさん(元兵士)、マクローリンさん(研究者)、ダーデンさん(元兵士)は実際に映画をご覧になった上での発言か、記者から「黒人が画面に出てこないそうですよ」といわれてそれについての感想を述べたものか、相当微妙ですね。。。ラッティさん(研究者)は、少なくとも、何らかの具体的な情報の上で手紙を書くという行動を取っているのだと思いますが、その手紙を書いた時期や献本した時期について記事には何も情報がないので、何とも言えないところですね。
むろん、イーストウッドの今回の映画が、1959年のジョン・ウェイン主演の映画と違って「黒人兵士」の存在を示している、ということには、その期間のさまざまな努力が大きく関わっていえると思うし、マクローリン、ラッティ両教授の研究はその最新のものですが、この映画についての発言はやや不用意だったのかもしれません。
最近カンヌ映画祭で、スパイク・リーがこの件をまた持ち出して、ちょっとした話題になってますね。
ネットサーフィン中にこちらを拝見したのですが、とても参考になりましたので、リンクさせてただきました。
(当方、ブログではなく、ただの日記ですのでトラバ機能は無いもので・笑)
ありがとうございました。
リンクのご報告、ありがとうございます。一般的に、ただ流れていくものになりがちなブログで、こうやって記事を見つけて読んでいただけるのはとても嬉しいことです。^^ (「基本的に自分のメモ」であっても。)
クリント・イーストウッド、特別功労賞おめでとうございます。
今年のカンヌでは、北アイルランドの1981年ハンストを描いたHungerという映画について追うのでいっぱいいっぱいになっていて、一般的なニュースはまるで見ていなかったのですが、そうですか、まだこの「見当外れで事実誤認の批判」が出てくるんですね。ナンセンスですねぇ。
元のAP記事を、しずまさんの日記からたどって拝読したところ、スパイク・リーの今回の発言について、「リーがイーストウッドを批判」と書きたてるのはメディアの側のセンセーショナリズムもありそうですが(記者が食いついた)、スパイク・リーはそれも計算してるのかな。だとしたら、(ひどい言葉を使うけど)「卑しい」ことです。「イーストウッドの映画は黒人部隊があまり活躍しない作戦を描いていたが、私の映画では黒人部隊が大活躍しますよ、これが歴史です」とかいう内容でしゃべっていてほしかった。他人をけなすことで自分を浮き立たせてるだけに見えて、かなりがっかりです。
リーの発言中、"there was not one black soldier" は単純に事実誤認に見えるし、「この発言には "among the main characters" が省略されている」と考えても今度は歴史的事実を知らないだけ、ということになります。2007年にもこういう発言をしていたということは、「知らない」の可能性が高そうですよね。知らないのなら調べて確認すればいいのに、甲板のシーンで台詞で「補給」って説明されてるんだから。
しかし、勝手につれてこられて奴隷にされたアフリカンも、勝手に侵略されて自分たちの土地も文化も奪われたネイティヴ・アメリカンも「白人」に対しては共通の何かを有しているはずなのに、現実はどうもそうじゃないのかな、と思うとへこみますね。『父親たちの星条旗』についてこういう「批判」が出される(そしてその「批判」は有効だからこそ出される)ということは、「アイラ・ヘイズの苦悩」はあくまで「彼ら」の話であって、「自分たち」の話ではない、ということだとしか私には思えません。いろんな意味で残念です。
リーの発言は、イーストウッドの"The Exchange" 上映前夜に行われているので(発言がメディアに載るのは上映当日でしょうから)、たぶん狙ってやったんでしょうね。
今回のカンヌ入りの目的も、完成作のコンペやその他部門の参加じゃなく、作品の配給セールスでしたし。
ただ、発言を記事にしたのは AP他ごく数社で(日本のメディアでも取り上げてないですし)、"The Exchange" の会見でも、それ絡みの質問はオミットされたとのことで、ちょっと目論見が外れたかな(笑)。
もっとも、今回の件で、私は『父親たち〜』の例のカットに被さる台詞の意味が認識できたし、脚本の巧さを追認したということで、彼の発言もある意味プラスだったか、なんて考えております。
> 「アイラ・ヘイズの苦悩」はあくまで「彼ら」の話であって、「自分たち」の話ではない、ということだとしか私には思えません
ですねぇ〜。
『父親たち〜』の脚本家でもある、ポール・ハギスのオスカー作品『クラッシュ』では、マイノリティ間の差別意識というのか、差別の連鎖というのか、マイノリティが単に差別されている側ではなく無意識のうちに他の人種を差別している側でもあることを描いてたのが画期的で印象に残りました。
アフリカン・アメリカンの立場からは、甲板のシーンのあとで「黒人兵士」が画面からほとんど消えてしまうのが納得いかないのかもしれないけど、あの映画は「硫黄島での戦闘」についての映画ではなく(『硫黄島からの手紙』のほうはそれが非常に多くを占めていたけど)、戦時国債売り込みツアーやらアイラ・ヘイズの転落やら「彼ら3人」を取り巻く状況についての映画で、硫黄島での戦闘はメインではないんですよね。それがどういうことかわからないくらいに映画について「素人」の立場の人が、個人的な「感想」として言う分には、スパイク・リーの発言も「居酒屋でこぼす愚痴」的な何かで済むことなのですが…… うーむ。(^^;)
映画を見た後に書いたものを読み返して確認してみたけど(DVDを持っていないので手抜き)、戦闘の場面でも「負傷した黒人兵士が担架で運ばれてくる」場面はあったし、ストーリーの焦点をぼかさないようにしつつ、最大限、「黒人部隊の参加」を画面に出していたことは確実なのですが、スパイク・リーのような人がそれじゃあ足らない、と言えば目立つということなんでしょうね。
http://nofrills.seesaa.net/article/28712509.html
一般的に、映画についての「的外れな批判」は、私はIRA関係の映画について英国でなされているのをけっこういろいろと見ているのですが(いわく「テロリストを主人公にした映画など製作するとは何ごとか、テロの美化を許してはならない」etc、ほんとに聞き飽きています)、そういう言説の対象となっているのが明らかにプロパガンダを意図された映画である場合は別として、一般的にはそういうのは「映画批評」ではなく「政治的意見表明」、あるいは「プロパガンダ、煽動」であることが非常に多く、まともに受け取る必要もないと思います。今回のスパイク・リーの発言は、明らかに「自分の作品の宣伝」目的なので、もっとどうでもいい。
ただ、『クラッシュ』(実はまだ未見…ストーリー解説を読んで見た気になってしまってまして)で描かれていた(という)「マイノリティの意識」が、こういう「騒動」で浮き彫りになるというのは、変な言い方ですが、興味深いことではあります。「アメリカ社会」については私は20年ほど前に関心をほぼ完全に失ってしまっているのでその興味もたいしたものではないのですが、英国のBNP周辺の言説などにも、「黒人」の扱いと「そのほかの外人」の扱い(特にパキスタン系)の微妙な差異を利用した言説はいくらか見られます。
そもそも、「どのような映画であれ、黒人を出すのが正しい映画、そうでないのは正しくない映画」みたいな態度や言説は、それが誤ったものであるがゆえに、「行き過ぎたPC、行き過ぎた人権尊重」といった言説を推進することになり、社会全体にとって益になりゃしないのにね。「排除しない」ことは「出演させる」こととイコールではないのだから。そう思うんですが、この「ブラザーが出てない映画は不公平だ」という言説ってそんなにウケるんでしょうかね、アメリカでは。
Clint Eastwood folds his gangly frame behind a clifftop table at the Hotel Du Cap, a few miles up the coast from Cannes, sighs deeply, and squints out over the Mediterranean. "Has he ever studied the history?" he asks, in that familiar near-whisper.
The "he" is Spike Lee, and the reason Eastwood is asking is because of something Lee had said about Eastwood's Iwo Jima movie Flags of Our Fathers, while promoting his own war movie, Miracle at St Anna, about a black US unit in the second world war. Lee had noted the lack of African-Americans in Eastwood's movie and told reporters: "That was his version. The negro version did not exist."
.........
As for Flags of Our Fathers, he says, yes, there was a small detachment of black troops on Iwo Jima as a part of a munitions company, "but they didn't raise the flag. The story is Flags of Our Fathers, the famous flag-raising picture, and they didn't do that. If I go ahead and put an African-American actor in there, people'd go, 'This guy's lost his mind.' I mean, it's not accurate."
http://film.guardian.co.uk/interview/interviewpages/0,,2283921,00.html
インタビューの最後に次回作についての紹介がありまして、
Eastwood's next project, The Human Factor, is about Nelson Mandela and how he used the country's victory in the 1995 Rugby World Cup as a means of fostering national unity. Will he be sticking with the historical record on that one? He laughs. "Yeah, I'm not going to make Nelson Mandela a white guy."
どうもですー。私もその記事、あとで斜め読みだけしようと思って開いてました。ありがたいです。>抜粋。
スパイク・リーって、一種の修正主義的史観と人種主義(「黒人の歴史」は黒人が、みたいな分断主義)に完全にはまっちゃったんですかね、残念な人だ。
ちょっと検索してみたらこんなのが。読んで気持ちのよいものではありませんが(過度な罵倒)。真偽のほどはわかりませんが、かなりひどい発言をしているみたいですね。
http://creoleneworleans.typepad.com/creole_folks/2006/10/spike_leeshut_t.html
October 16, 2006
African-American Racist and Director, Spike Lee-Hollering Racism? by Creole Folks
[quote]
... So, let me get this straight Mr.Lee. You sir, who came to New Orleans and made racist comments about Creoles because according to your logic, since we do not live in Housing Developments and Projects-we are trying to be white. Since we do not speak Ebonics we are trying to be white! Since we weren't looting in the streets-we are trying to be white! ...
[/quote]
ガーディアン記事に戻って、ダーティ・ハリーのボックスセットが出るっていうことでの米国内の反応の部分を読んで、心底「ああ、めんどくさ」と思いました。そう思わせるように書いてるんだろうけど。
って、おもしろいので最後まで読んでしまいました。
いずれにせよ、スパイク・リーのあれは「行き過ぎたPC」とかいう話じゃないですよね。記事は最初にスパイク・リーで、次が「ダーティ・ハリーのダーティな部分、今見るとやばい」という点でイーストウッドがPCに言及してて、そのあとのフォローがなくてオチ(ネルソン・マンデラは白人じゃないよね)になってしまっているけど。
'We're not on a plantation, Clint.' Spike Lee hits back in war of words over black soldiers
Monday June 9, 2008
http://film.guardian.co.uk/news/story/0,,2284542,00.html
で、ガーディアンの映画部の記事を書いてる人は、『父親たちの星条旗』を見てないのかね。「イーストウッドの映画には補給部隊で硫黄島の戦闘に参加していた黒人部隊は一秒たりとも出てこない (Now Lee has repeated his charge that black US troops, who fought in a munitions company at Iwo Jima, had not been given a second of the four hours in Eastwood's two films.)」というリーの主張が、あたかも「事実」であるかのように扱われているのだが。
映画を見ていたら、リーの主張が間違っていることはわかるはずだし、そうならばここに which is not the case 的な注釈がついていて当然なのだが。
そもそも、スパイク・リーは『父親たちの星条旗』を本当に見ているんだろうか。
特にイーストウッドをサポートしたいとかいうわけではないけれど、こういう事実無根の言いがかりにはまったく頭にくるし、イライラさせられる。
私は「ブラッディ・サンデーで殺された連中は武装したテロリストだったんだろ、撃ち殺されて当然だよ」的なもの(ちなみにこれは事実無根。殺された人たちは全員非武装で非IRA)が何を生じさせたのかを知らないわけではない。
スパイク・リーが活動家であろうと革命家であろうとアジテイターであろうと構わないから、デマを垂れ流すのはやめてくれないかな。
※なお、このページのコメント欄はそろそろいっぱいなので閉めます。何かおありの方は、新記事へどうぞ。
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