「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2006年01月19日

ロックスターになりたかった男(19日英Channel Four夜の番組)

1970年ごろの有名なロック・オペラでJesus Christ Superstarというのがあって,何だかんだ物議をかもした作品であるらしいが,その最も有名な曲はイングランドのフットボール・スタジアムで"George Best, superstar"という替え歌(←私が持っている版のロンリー・プラネットのBritish Phrasebookに書いてある)として歌われたりしていた。

そんな時代,スコットランドはエディンバラのフェテス校という名門パブリックスクール(「スコットランドのイートン」とも称される)に在学していた少年がいた。1970年ごろでも昔ながらのfagging(上級生が下級生を小間使いのように扱うパブリックスクールの慣習)が行なわれていたこの学校の中で,彼はお行儀がよいとは言えず,放校処分寸前までいったそうだ。

当時の彼のことを同級生は「規則を破ることはなかったが,規則をおちょくっていた。教師を激怒させては罰を免れるゲームを楽しんでいた」と振り返る。「例えば,1学期に4度髪を切ることという校則があったが,長髪がかっこよかった時代だから彼はその校則が気に入らなかった。そこで彼は夏学期の最初の4日に4度散髪した。『そろそろ散髪をしなさい』と言われたら『もう4度済ませています』としれっと答えていた。」

別の同級生は,「彼はミック・ジャガーを真似ていた」と語る。「ミック・ジャガーをそれはもうじょうずにコピーしていた。ロックスターになりたがってるのだということが伝わってきた。」

A-levelでAを2つとCを1つの成績で1971年にフェテス校を卒業した少年は,翌72年にオクスフォード大学セント・ジョンズ・コレッジに進む前にギャップ・イヤーをとり,ロンドンに出た。そしてコルネット氏という人とともに,彼は音楽ビジネスに入った。

その出会いについて,コルネット氏はこう語っている。
"This boy with a grin and a battered old suitcase rang our doorbell. He told me he was a great guitarist who'd come down to London and was looking for someone to play gigs with. And so I explained to him I was quite an up-and-coming rock promoter. Of course neither was entirely true." (source)

「口を横に広げて笑い,ボロボロのスーツケースを持った彼が,ドアベルを鳴らし,自分はロンドンに出てきたばかりの優秀なギタリストですが,誰か一緒にライヴができないかと探しているのですと言った。私は自分のことを新進気鋭のプロモーターだと言った。むろん,どっちもまったく本当のことというわけではなかった。」

2人はすぐに意気投合した。フェテス校を出たばかりの少年は自作の青いギターを取り出してその腕前を披露した。「彼の知っているコードは2つだったが,腰掛けてギターをかき鳴らしたかと思うと,ギターのネックが取れ,ギターはばらばらになってしまった。これは2人でバンドのマネージメントをした方がよさそうだな,と私は思った。」――こうして2人は地元のバンドのライヴのブッキングなどをするようになった。18歳のえせギタリスト転じてマネージャーは,バンドのメンバーからローディー呼ばわりされて内心腹を立てたこともあった。

そのバンドのメンバーは当時のことを「彼はスポンジだった」と振り返る。「バンドといるときは静かにじっと観察している。彼にはどんな状況からも学び取る能力がある。失敗したときも,すっと立ち直って,次回は違うやり方でやる。そういう人間だ。」

1972年に,ギャップイヤーを終えた少年は,オクスフォード大学に進んだ。彼は学生ユニオンに加わることもなく,演説をかますこともなかった。友人の証言によれば,彼は「ニヒリスティックでシニカルでサーカスティックだった。彼にあったのは表面的な顔と,ロックスターになるんだという野心だけだった」。

実際,彼は大学でロックバンドのフロントマンになった。が,同じくオクスフォード大学の学生だった保守党のアリステア・バート議員は,彼がバンドで歌っているのを見たときの印象を,「確かに楽しそうにやっていたけれど,あれが次のスターだという幻想は抱かなかった」と語る。

彼のバンド,Ugly Rumoursは6回しかライヴをしなかったが,ロンドン時代一緒にマネジメント業を行なっていたコルネット氏は,彼はロックスターとして成功する可能性もあったと語る。「ロックスターの4分の3は,ルックスとキャラクターとカリスマだ。それを兼ね備えている人はごくごくわずかだが,彼にはそれがあった。残りの4分の1が才能で,彼にはそれがあるふりをすることができたはずなのに。」

……ということに基づいたドキュメンタリー・ドラマが,本日1月19日木曜日午後10時から,チャンネル4で放映されるのだそうです。

Tony Blair Rock Star

PM's rock 'n' roll past set to return

TONY Blair's teenage past as an aspiring rock god is the subject of a new Channel 4 comedy docu-drama.

...

Channel 4 says: "Based on interviews with people close to Blair as a young man, this one-hour film tells the true story of a frustrated rock star whose alternative career path led to the House of Commons.

"Tony Blair Rock Star charts his journey from naughty public schoolboy to lead singer of Oxford University band Ugly Rumours."

...

The programme begins at his last term of school and ends during his first year of Oxford but its focus is on the young Blair's gap year in London when he wanted to be a singer.


-- 2005年11月,制作発表時の記事より


■本文参考記事:
http://www.guardian.co.uk/filmandmusic/story/0,,1678432,00.html

本文中の引用は↑この記事から。インタビューに応じた人たちそれぞれの言葉が非常に興味深いのですが,「彼」について最も端的に言い表している一言は,There was a sense with him that everything was possible.ではないかと私は思います。

http://www.guardian.co.uk/arts/features/story/0,11710,1685949,00.html


http://www.arts.telegraph.co.uk/arts/main.jhtml?xml=/arts/2006/01/08/svblair08.xml

↑テレグラフは基本的にアンチ・ブレアですが,この記事は非常に興味深い(八割方ゴシップとしてであっても)。エディンバラからいきなり西ロンドンのヒッピーシーン(Pink FloydとかHawkwindとかがいたんじゃないか)に出てきたんだもんねぇ,と思うような記述もあり,ロンドンでブッキングしてたバンドの人がI didn't 100 per cent trust him, though. He was over-friendly. Smiled too much.と語っていたり,と,ガーディアンに比べて生々しいです。一方で,ブレアがイラク戦争の最中のある日の夜中にキャンベル報道官に電話をかけ,電話口でギターを弾いて「このリフどうよ?」と尋ねた,というのにはぷしゅーーーと気が抜けます。ちなみにブレアが好きなバンドはFreeとKing Crimsonだそうです。


あと,今週号の雑誌『クーリエ・ジャポン』(→amazon.co.jp)の中,「世界に学ぶ“理想”の教育」という特集でイートン校のことが紹介されているのですが(元記事はガーディアンのNick Frazer記事),その最後の方(51ページ),キャメロン保守党党首(イートン卒)が真の右派かどうかというくだり,ブレアも同じだと思います。つまり,イデオロギーがはなから存在してない。そう思って読むと,テレグラフの記事はよりいっそう味わい深くなります。たぶん。

ちなみに,19日のChannel Four,「トニー・ブレア・ロックスター」の前,21時からは,「ビッグ・ブラザー 著名人編」

こちらについても,「国会会期中なのに著名人と一緒にどっかのお家にひきこもるとは何事か,歳費を受け取っているのだから国会に出よ,重要な議題があるではないか」というブーイングが巻き起こる中,突然,(実は)事前に署名しておいたものをしれっと(?)国会に提出してみせ,テレビ画面の中では猫ひろし(?)になったり,エルヴィスのコスプレをしたりと,これまでの「大活躍」を軽く凌駕するほどのオモシロっぷり(もしくは徹底したポピュリスト路線,あるいはそのカリカチュア:どれなのかわからん)をまき散らかしているジョージ・ギャロウェイ議員をはじめ,you spin me right round baby right round like a record baby right round round roundのピート・バーンズさん,アメリカのバスケットボール界の暴れん坊(だった)デニス・ロドマンさんらやたらと濃い人々が出演中です。

ちなみにゴージャス・ジョージは「最後まで残って賞金をゲットしたら,パレスチナ支援活動に寄付する」のだそうです。

※この記事は

2006年01月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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