"All the way up, all the way up, you know what we do. These go to eleven."
"The Father of the Loud". この人がいなかったら「ラウド」なる音は存在していなかった。JimMarshall.co.ukでは「50年にわたって弊社を率いてきた伝説的存在」の他界を告知し、その人生を振り返る部分でこの呼び名を使っている。
いわく、「ジムが『ラウドの父』として、『ロックのサウンド』を作った人物として、歴史にその名を刻まれることになった過程は、まさにゼロからのサクセス・ストーリー (rags-to-riches) である。結核菌が骨に感染するという病気に苦しめられた彼は、現在の私たちがこれがロックのギターと思っているものがこの世に出るために必要だった道具を作り出した4人の先駆者たち――それぞれ既に鬼籍入りしているレオ・フェンダー、レス・ポール、セス・ラヴァーと、ジム――のひとりとなった。」
特にロックの音楽に興味のない人でも、このアンプについているトレードマーク(ロゴ)には見覚えがあるのではないかと思う。そのくらいの「定番」だ。写真はAllert Aaldersさんの撮影、2006年のドイツでのダイナソーJrのステージ。
*Photo by Allert Aalders (CC BY-NC 2.0)
ファンが作ったCM(風の映像):
ウィキペディアを参照すると、ジム・マーシャルは1923年にロンドン西部アクトンに生まれた。家族はボクサーや演芸場の芸人が多かったそうで、つまり階級としては表舞台に出てくることのない階級(まさにrags)の出身だ。幼少時に病気のため長く入院生活を送り、正規の教育は殆ど受けていない。第二次大戦でも健康問題で兵役には行かず、歌手として活動。ドラムを叩ける民間人が少なくなっていた折、ドラムも叩くようになった。収入を得るための職としては電気技師をしており、歌がドラムの音にかき消されないよう、アンプリファイアーを開発した。この時代のことを、「戦時中のことで稼ぎも少なく、車で移動するにもガソリン代がない状態だったので、自転車にリヤカーをつけて、それにドラムキットやPAセットを載せて移動していた」と回想している。
戦後、ジムは「ドラムの先生」として活動、生徒にはミッチ・ミッチェルらがいた。「週に65人に教えた」というほど好評だったこのドラム教室で溜めた資金で、彼は事業を始めることになる。1960年、まずはドラム専門の楽器店としてスタートした西ロンドンの店は、ギタリストなども自然に脚を運ぶから、すぐにギターやアンプも扱うようになる(フェンダーのアンプをアメリカから輸入)。すると店に来るギターのお客さんたち(ピート・タウンゼントら)が「こんなアンプがほしい」という話をするようになる。こうして、技師としての知識と経験あるジムと、彼がスカウトしてきた若い技師によって、かの有名な「マーシャル・アンプ」が開発されることになる。1962年には会社を設立、アンプはロックのミュージシャンの間で「定番」の機材となり、事業は順風満帆、1984年には「輸出品」での功績を顕彰されてOBEをうけた。
JimMarshall.co.ukのサイトにあった "rags-to-riches" という英語の成句(頭韻を踏んでいる)。芸人の家に生まれ、自身も芸人として生計を立てていたジムが腕一本で起こした事業は、「英国を代表する輸出企業」となった。
ニュースのスナップショット:
大手メディアの訃報の記事は、単に「亡くなりました」という段階の「訃報」の記事にありがちな、「会社のプレスリリースのコピペ」+「人名録(現代ではウィキペディアを含む各種オンライン・リソース)からの引き写し」の感じがするが、そのうちにもう少しブラッシュアップされ、しばらくしたらまともな「オビチュアリー(故人の人生を振り返る記事)」が出る。
YouTubeで marshall amps, marshall stacks などで探すといろいろ見つかる。下記はゲイリー・ムーア(RIP)のデモ映像。
個人的には気分はこっち。
こうやって見出すと止まらないよ。合掌
http://matome.naver.jp/odai/2133363801422454601
※この記事は
2012年04月05日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
【todays news from ukの最新記事】
- 英国での新型コロナワクチン認可と接種開始、そして誤情報・偽情報について。おまけに..
- 英ボリス・ジョンソン首相、集中治療室へ #新型コロナウイルス
- "Come together as a nation by staying ap..
- 欧州議会の議場で歌われたのは「別れの歌」ではない。「友情の歌」である―−Auld..
- 【訃報】テリー・ジョーンズ
- 英国の「二大政党制」の終わりは、「第三極の台頭」ではなく「一党優位政党制」を意味..
- ロンドン・ブリッジでまたテロ攻撃――テロリストとして有罪になっている人物が、なぜ..
- 「ハロルド・ウィルソンは欧州について中立だった」という言説
- 欧州大陸から来たコンテナと、39人の中国人とされた人々と、アイルランドのトラック..
- 英国で学位を取得した人の残留許可期間が2年になる(テリーザ・メイ内相の「改革」で..