「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年03月25日

その「地名」を語ること、その「地名」で語ること

アンディ・リトルというフットボーラーがいる。スコットランド・プレミア・リーグのレンジャーズでプレイしている。北アイルランド代表でもある。
http://en.wikipedia.org/wiki/Andrew_Little_(footballer)

その彼が、今日のレンジャーズ対セルティック(Oldfirm)のすさまじい試合(「試合」というより「果たし合い」)で得点を決めた。そのときにTwitterの #oldfirm で見たツイートのひとつ。

oldfirm25march.png

アンディ・リトルは1989年5月生まれ、エニスキレン爆弾事件(1987年11月)を知らない世代だ。

でも「エニスキレン出身」である彼は、こうやって彼自身の外部から「エニスキレン」について意味を与えられる。私は本人がどう思っているのかは知らないが(レンジャーズに所属し、北アイルランド代表でプレイしているという事実と、名字からわかること以上には彼の背景についてはわからない)、そう見られることをこの20代前半のフットボーラーは望んでいるのだろうか、と思わざるを得ない。

先週、イスラエルからも「サッカー場でのセクタリアニズム/レイシズム」の話が継続的に聞こえてきていたし(パレスチナ系の人たちから)、エジプトのポート・サイードの2月のとんでもない事態でのサッカー協会としての処罰決定(アル=マスリは2013年末まで対外活動停止状態となる)もあって、サッカー関連では何となくざわざわした気持ちになる話が多かったのだが、しかし25日のオールドファーム(於Ibrox)はすさまじいことになった。レンジャーズの経営の問題が本当にものすごく深刻な中、荒れずに終わったら奇跡、というようなことではあったのだろうが……。

それにしても、セルティックにレッドカード2枚+監督も退場、加えてレンジャーズにもレッドカード1枚で計3枚。ベンチに監督がいなくて9人になったセルティックは、3-0の劣勢から、終盤3-2にまで追いついたという劇的な展開。

実況:
http://www.guardian.co.uk/football/2012/mar/25/rangers-celtic-spl-mbm

なんか、レンジャーズ・サポから「セルティックはリーグ優勝はするかもしれんが、うちの芝生の上でそれを決定させはしない」という怪気炎が上がっていたそうで、これはもう、審判がどっち贔屓だとかいう話ではなく、怨念のなせるわざだと思う。

Twitterから:







ちなみにエニスキレン爆弾事件については、事件から10年後の1997年(グッドフライデー合意前、というか交渉段階)にジェリー・アダムズが謝罪:
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/25480.stm
"I hope there will be no more Enniskillen's and I am deeply sorry about what happened in Enniskillen," Mr Adams told the BBC.

"But I think we can only have a guarantee of a peaceful future when we tackle the root causes of the conflict and when we resolve them," said the leader of Sinn Fein, the political wing of the IRA.

この言葉が受け止められたかどうかは別問題である。当時は私もまだ若く、遠い世界のどこかで起きたことについて「10年も経てば…」的なことを平気で言っていたかもしれないが、年齢が上がって時間の進み方が若いころと違ってくると、遠いどこかの大きなニュースについて「まだ10年なのか」という感覚のほうが強くなっている。まして地元で起きた(その地域にしては)大きな事件については、10年前になろうが20年前になろうが、そのときのショックは生々しい。

その後、「(本来のターゲットではない)一般市民の犠牲」全般について、IRAは謝罪のステートメントを出している。
http://www.guardian.co.uk/uk/2002/jul/17/northernireland.northernireland2

この2002年だけでなく、その後も何度か、個別の事件についてなども。

※この記事は

2012年03月25日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:35 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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