「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年10月21日

Tony Blair sings ... Should I Stay or Should I Go

Combat RockDarlin' you gotta let me know
Should I stay or should I go?
If you say that you are mine
I'll be here 'til the end of time
So you got to let know
Should I stay or should I go?


http://www.youtube.com/watch?v=a1vwKZiDsY4


↑静止画像だとタイミング悪くてキャメロンになっちゃってますが、ブレアが歌うthe ClashのShould I Stay or Should I Goです。歌詞知らない人、こちら

I'll be here 'til the end of timeのところまでうははははと聞いていたのだけど、til the end of timeのtimeの発音で爆笑してからあと、笑いすぎで聞けてません。

もっかい見てみよう・・・ぎゃはははは。

It's always tease, tease, teaseのところ、うはははは、映像! 映像!

If I go there will be troubleとif I stay it will be doubleのところ、うははは、映像! 映像!

どのツラさげて、Come on and let me know, Should I stay or should I go? とか言ってんだか。ぎゃはははは。

ちなみに映像と音声は、今年の労働党の党大会のときのスピーチの切りばりのようです。歌が終わったあとの演説もさいこー、げはははは。

最後まで見て、反射的にNO FUTURE FOR YOUと高笑いしたくなる、この高揚感は何だろう。

あー、毒消しが必要だわ。

http://www.youtube.com/watch?v=0Ag8J2NMYmc
↑本物。ポール・シムノンのいかしたダンスつき。

※以上、テレグラフのシェイン・リッチモンドのブログ経由。
http://blogs.telegraph.co.uk/technology/shanerichmond/oct06/shouldhestay.htm

シェイン・リッチモンドのブログには、ブレアのShould I Stay or Should I Goのほかに、ブッシュによるImagine (originally by John Lennon) とSunday Bloody Sunday (originally by U2) のリンクがあります。Imagineのほうは途中からルー・リードのWalk on the Wild Sideになるということだし、それをやられたらルー・リードのが聞けなくなる。それから、Sunday Bloody SundayをGWBの声で聞くなどということは私(ルビ:あたくし)の繊細な神経にはまじで耐えられないほどの苦痛、拷問以上なので、どちらも存在だけは知ってましたけど、聞いてません。聞くつもりもない。

Sunday Bloody Sunday (by U2) <本物。ステージで白旗ぶん回していた頃
http://www.youtube.com/watch?v=jPK2wEtAUWI

この曲の背景については:
http://ch00917.kitaguni.tv/e227470.html
And it's true we are immune
When fact is fiction and TV reality
And today the millions cry
We eat and drink while tomorrow they die

-- U2, Sunday Bloody Sunday


あ、こっちのビデオの方がすごい。
http://www.youtube.com/watch?v=uL5O7NfD-JA
live in St. Goarshausen, Loreley 20-08-1983、つまりドイツ(当時は西ドイツか)でのライヴだが、ボノの服、アイルランドのトリコロールじゃん。これはもちろんアイルランド共和国のナショナル・フラッグだけれども、当時北アイルランドではFlags and Emblems Actというのがあって(この法律は、ユニオニストが独占していたアイルランド「自治」議会が作った)、トリコロールは禁止されていた。そしてこの曲は、北アイルランドについての曲だ。

テレグラフのブログの人は、ブッシュがこの曲を歌うように細工されたビデオを紹介しつつ、I'm not much of a U2 fan(U2のことは好きではない)とわざわざ書いているのだけれど、それには単に音楽的なことだけじゃなく(「あのディレイがたまらなくいやだ」というのもひょっとしたらあるのかもしれないが)、こういう背景もあるはずだ。

つまり、ボノは80年代は強烈なアイリッシュ・ナショナリスト、90年代は熱烈なキリスト教徒、2000年代は熱烈な貧困問題活動家にして労働党応援団長。

・・・この記事のタグに「北アイルランド」を追加しておこう。

パフォーマンスとしてはこれがすばらしい。いやこれはほんとにすごい。曲を聞きたいならこのビデオだ。最初はギターとヴォーカルだけで途中からリズム隊が入るのと、あと客がすごい。たぶんダブリンだと思うけど。
http://www.youtube.com/watch?v=qqF6ocS4I4A&NR
1986年の Self Aidでの演奏。演奏始まるまえの演説(?)の内容からするとアイルランドでの失業者サポートのライヴ。「自分は16でバンドを始めて今は26、だから毎週失業保険の列に並ぶということがどういうことなのかはわかっていない。でもこれだけは言える、この国はRTE(国営放送)のものじゃない・・・」などなど。

ヨハネスブルクでのthe Edgeソロのも。
http://www.youtube.com/watch?v=KGEqDybprYk
たぶん1998年、グッドフライデー合意直前。

※この記事は

2006年10月21日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 04:07 | Comment(1) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
Should I stay or should I goは、Lip Sync Video 2.0って感じですかね。

Lip Sync Video 1.0の名作、愛を高らかに歌い上げるジョージとトニー。
http://www.youtube.com/watch?v=r0tPRRICSxs

Lip Sync Video 1.0にはこんな作品も。「ゲイバーに行こう、戦争始めよう、核戦争始めよう」と見詰め合うジョージとトニー。ブッシュの表情がいいですな。
http://www.youtube.com/watch?v=qDuFG-udqT0
これ↑の曲はこれ↓。
http://www.last.fm/music/Electric%20Six/_/Gay%20Bar
Posted by nofrills at 2006年10月21日 08:58

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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