kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年10月19日

「俺テレビ」たるYouTubeとひとりの戦争体験者。

Hello again, YouTubers(YouTubeをご利用のみなさん、こんにちは)――画面に向かっておじいさんが語りかける。このビデオを投稿したのは、ユーザーネーム 「MHarris1920」さん。投稿日は2006年9月29日。

ビデオの横の「説明」のところには次のようにある。
In this video I explain why I enlisted into the war and how I was prepared to go to war.

このビデオでは私がなぜ戦争で軍に入ったか、どのような覚悟で戦いに行ったかを説明します。


War years part 1
http://www.youtube.com/watch?v=xVuPlf4XJig



「MHarris1920」さんことMartin Harris(マーティン・ハリス)さんは1920年生まれ。米東岸、ボストン近郊のケンブリッジ在住。YouTubeへの最初の投稿は2006年9月27日だ。

Martin's first youtube
http://www.youtube.com/watch?v=Dsv4CaA6kS8
Hello everyone. My name is Martin. I was born in 1920, and so I think I'm older than Peter, who was born in 1927.
※だいたいの聞き取り

どうやらこのPeterさんという人のYouTubeの映像がマーティンさんがYouTubeに参加するきっかけだったようだ。本人の説明によると、奥さんが「あなたもやってみたら」と提案し、本人もYouTubeはおもしろいと思ったので映像を投稿してみたとのことだ。

このビデオによると、マーティンさんは大学を出たあと軍隊に入り(第二次世界大戦)、除隊後はお兄さんの出版社で美術館系の出版の仕事に携わり、ボストン美術館やシカゴ美術館といった名だたる美術館の絵画の複製印刷物を手がけてきた。20年前に仕事から引退。86歳になって膝は手術をしてあってちょっと調子の悪いところもあるがそれを除いては健康優良、ぴんぴんしている。

次の投稿は9月28日。
Hip,hip hooray part2
http://www.youtube.com/watch?v=7C5HHAqZcOc

背景の大きな本棚は、まるで学者の研究室か書斎のようだ。このビデオは、前日のビデオの発言を修正するもの。「膝の手術をしてあると申し上げたが、正確には、腰も手術したことがある(だからこのビデオにHip, hip hoorayという名前をつけた)」、「回数も付け加えておこう、4回だ」そうだ。そしてマーティンさんは軽妙な語り口で「自分について」を語る。背後の膨大な蔵書についても。そしてボストンをいかに愛しているかを。

ビデオの最後のところでは、カメラを構える奥さんと「あなた、『質問もお待ちしています』っていわなきゃ」といったやり取りがある。締めくくりの言葉はau revoir(フランス語)、そして投げキス。

そしてその次の投稿が29日、冒頭に上げたビデオだ。
War years part 1
http://www.youtube.com/watch?v=xVuPlf4XJig

次が10月2日。
The War years part 2
http://www.youtube.com/watch?v=LAT0Rnfv_O8

冒頭で、「part 1にレスをいただいた。ありがとう」と言っている。マーティンさんは第二次大戦でイングランドのグランストンベリーにいたとpart 1で語っている。それについて、イングランドの「Jimsan1」さんが情報を補足し、「ぜひまたおいでください。いろいろお話ししましょう」というようなメッセージをつけたビデオをレスとして投稿したのだ。
http://www.youtube.com/watch?v=OuVDaO116uA

公開されているプロフィールによるとJimsan1さんは76歳。(イングランドの田園が好きな人はJimsan1さんの投稿したビデオを見てみるとおもしろいかもしれない。)

ともあれ、マーティンさんのThe War years part 2は「イングランドで過ごした7週間」の思い出話に始まり、1943年のドイツ空軍による攻撃を経て欧州大陸への移動、そしてドイツ&イタリア軍との激しい戦闘の話へと続く。そしてVE dayの後のフランスでの日々について。

このビデオの中で鮮やかなブルーのシャツを着たマーティンさんの背後は、例の本棚と、薄い黄色の壁と開いたドア、そしてその壁にかかったいくつもの額。この人は、美術関連の出版の世界で仕事をしてきた人なのだ。そして戦場で味方の兵士の吹き飛ばされた遺体を拾うということも経験している。

「チャオ」の言葉でビデオは終わる。

次の投稿は10月5日。
WITH GUN AND CAMERA DOWN THE ALIMENTARY CANAL
http://www.youtube.com/watch?v=sRih5rUvuBE

「前回お話したように私は第二次大戦で欧州を転戦しました。フランス北部、ベネルクス……」と話している最中に電話はかかってくるは誰かが訪ねてくるはで、ベタなコメディみたいなことになってしまう。(笑)

ともあれ、マーティンさんは自分の体験を語る。タバコがいかに貴重品扱いされていたか、米軍が入った町(「解放」した町)でどれほどの歓迎があったか。。。

次が10月7日。
Re: Telling it all 25
http://www.youtube.com/watch?v=OatuFizKSqU

これは別の人のTelling it all 25というビデオへのレスだ。これを投稿した「geriatric1927」さんが、マーティンさんの最初のビデオのきっかけとなったPeterさんである。1927年生まれ、英国人。Peterさんもまた、自分が体験した「戦争」を語る。

Telling it allというPeterさんのこのシリーズはこれが25作目だが、日常雑記的なものもあり、「戦争」の回想もありと盛りだくさんだ。(ちょっと漱石の晩年のエッセイみたい。)どこかの誰かと意思疎通をしながら、自分の体験を語ることができるYouTubeという場所ならではのシリーズだと思う。あとでゆっくり拝見したい。

マーティンさんの次のビデオは10月13日。
Re: Re: War years part 1
http://www.youtube.com/watch?v=Lw9PKzC2h00

これは先に言及したJimsan1さんのビデオ、Re: War years part 1へのレスのようだ。

この中でマーティンさんは、「第二次大戦を兵士として体験した者がなぜこんなに少ないのか」について語り、また、ジムさんに向けてグラストンベリーについて細かい質問をしている。

おそらくはこの2人のやりとりはこんなふうにまったりまったりと続いていくはずだったのだろう。「あのパブは名前は変わったけれども今も営業しているよ」とかいったふうに。それからPeterさんとのやり取りも。

13日のビデオではマーティンさんは少し具合が悪そうに見える。そして翌14日の「MHarris1920」名義のビデオで語っているのは、マーティンさんではなく、奥さんのテレサさんだ。

Good bye Martin
http://www.youtube.com/watch?v=CXQO9ypnou0

テレサさんは「マーティンは昨晩、息を引き取りました」と静かに述べる。

「YouTubeがマーティンに、そして家族に可能にしてくれたことは、戦争について語ることでした。彼があんなふうに戦争について話をしたことはありませんでした。」

テレサさんは「マーティンのユーモアのセンスを記録しきれなかったのが残念」と言い(かなり記録されてると思いますがこんなもんじゃなかったんでしょうね)、「みなさんのおかげで楽しい時間が過ごせました」と語る。そして「またYouTubeに来ますね」と「チャオ」でビデオは終わる。

「俺テレビ」だねぇ。。。

というところで話が終わらなかったりする。

http://www.youtube.com/watch?v=OatuFizKSqU
に投稿されているコメントから知ったのだけど、「MHarris1920」さんことマーティン・ハリスさんは、Martin Harris Slobodkinさんというボストンの「名士」というか、いわば「名物男」(Man About Town)。昼間はプジョーの自転車で町を駆け抜け、夜は冬でもオープンにしたポルシェを運転しては1晩に3つも4つもパーティーを掛け持ち。ジョギングにスイミング(1年中いつでも全裸で海で)にMensa International(→日本語での説明)のメンバーシップ。

・・・なーんか只者じゃない雰囲気はぷんぷんしてたんだよね、「MHarris1920」さん。「南北戦争かよ」と思ってしまうようなひげに、やけにひょうひょうとした語り口。

というわけで、ボストン・グローブのオビチュアリ。
http://www.boston.com/news/globe/obituaries/articles/2006/10/16/martin_slobodkin_86_a_wit_publisher_and_often_the_life_of_parties_in_boston/

プロヴィンス・タウンの地域メディアにも。
http://www.provincetownbanner.com/article/obituaries_article/_/43202/Obituaries/10/12/2006

ボストン・グローブのほうには、マーティンさんはまさに「歩く百科事典」であったという証言がある。
"Before Google, Martin was our computer," she said. "We would call Martin, and he would always have the answer. He was our Encyclopedia Britannica."

ひょっとしたらあの蔵書(ビデオでは「かなり整理して減らしたんですが」と言っていたのだが)はすっかり頭に入っていたのかもしれない。

マーティンさんの経歴を上の2つの記事を参考に短くまとめると、1920年にロシアからの移民(革命前の亡命者かも)の息子としてMaldenに生まれ、1941年にハーヴァード大学をmagna cum laude(優等)の成績で卒業。ただちに陸軍に入隊し、衛生兵として従軍。IQテストの結果がよかったので陸軍によってエール大の大学院でロシア語を学び(こういう人、フォーサイスとかの小説に出てくるよね)、その後パリのソルボンヌで哲学を学ぶ。欧州で4年を過ごしたあと、米国に戻ってから家族の経営していた出版社で美術館の複製印刷物(絵葉書など)の印刷の仕事をてがけ、1986年に仕事から引退、1年365日ボストンのどこかで文化的イベントを行なうCreative Alliesの文化部部長となった(YouTubeのビデオでもその話はしておられます)。

名前で検索してみたら、かつての蔵書が売りに出ている例が1件ではない

ボストン・グローブでは昨年12月にインタビューした記事もある。

というわけで、ボストンという都市で広く知られた「名物文化人」のマーティンさんは、86年の人生の最後に、それまでほとんど語ることのなかった「戦争体験」を、「俺テレビ」に乗せて、ボストンをはるかに超える範囲に伝えていった。

私も自分の祖父からもっと話を聞いておくことができていたら、と思う。

自分の祖父が生きてる間にYouTubeとビデオ撮影の機材があったら、どんなことを残していっただろうか。
タグ:YouTube 戦争

※この記事は

2006年10月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 20:58 | Comment(3) | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
驚いた。私と同じようなことに興味を持つ人がいて、ブログまで立ち上げてくれていたとは。
高齢者の発言にはその人の生い立ちから、その後の人生によって積み重ねられた重みがあって、聞く人を魅了することが多い。
Jimsan1とはもう20年近く前に、無線で長話をしたことがあったが、彼をYoutubeで見て、驚いてしまった。テクノロジーの進化で、老人でも世界中にメッセージを出せる時代だが、Jimsan1はもう何十年も前から、声ではやっていた。但し、対相手は不特定多数ではなかったが。今では特別な専門知識や技術がなくとも、それができてしまうが、Jimsan1はそのパイオニアの一人だ。
尚、私のアドレスはスパム対策入
Posted by YamaEStro at 2007年01月20日 11:34
>YamaEStroさん
はじめまして。Jimsan1さんについて、まったく知らなかったことを教えていただき、ありがとうございます。そうですか、無線をやっておられた方なのですね。

インターネットがここまで当たり前になってしまうと、「ネットがなかったころにはこのようなことは不可能だった」と過度に一般化して考えてしまいがちですが、そうですよね、無線というツールがあったのですよね。

YouTubeは撮影機材とパソコンとブラウザと回線だけで、特別の機器や知識や資格がなくても、こういうふうにして「世界の人にこんにちは」を可能にし、しかもものすごく簡単に使える、という点で、実にすごいものだと思います。

> 高齢者の発言にはその人の生い立ちから、その後の人生によって積み重ねられた重みがあって、聞く人を魅了することが多い。

同感です。特にこの世代の方々(1920年代生まれ)は、実に多くのことを経験してこられた。戦争も、テレビという機械の登場も、家電の登場も。

私は本当に何の気なく、YouTubeで暇つぶしみたいなことをしていただけです。他愛もないホームビデオ(「うちの猫がトイレで遊んでいて便器に落ちました」とか「先週他界したうちの犬に、感謝の気持ちを込めて」とかいう日常的なもの)を見ているときに、MHarris1920さんのビデオを見かけ(確か「今週最もよく見られたビデオ」でした)、そこからJimsan1さんやgeriatric1927さんのビデオへとたどりました。

Jimsan1さんの投稿にはイングランドの田園風景のものが多く、それらも楽しませていただきました。また久しぶりに見てみます。

貴重なお話をありがとうございました。

追伸
アドレスの件は了解です。
Posted by nofrills at 2007年01月20日 13:23
Jimsan1からYoutubeに投稿されたビデオは2桁の数あり、順に見ていくと、次を見るのが楽しみになってきます。どうぞ、お楽しみ下さい。ソフトイングリッシュとも言える英語で優しく話し掛けてくれているので、nofrills さんなら苦なく聞き取れるかと思います。

彼は、若い頃から、自作した無線機で、電波を世界に向けて出していました。

今、Youtubeで彼がやっていることを、
歳の割に進んでだことをしているとコメントしていた人がいましたが、彼にしてみれば、朝飯前のことであったでしょう。
Posted by YamaEStro at 2007年01月31日 23:30

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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