「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2006年10月19日

There were roses.

Slugger O'Tooleで、YouTubeにアップされている動画(スライドショー)が紹介されている。

http://www.sluggerotoole.com/index.php/weblog/comments/
stop_sectarianism_find_god_and_find_peace/




4分くらい時間がある人は見るというか曲を聴いてみてもいいかもしれない。スラオさん記事のコメント欄からわかったのだが、この曲はTommy Sandsが書いたもので、歌っているのはCara Dillonというシンガー。それで検索してみたら、歌詞を日本語で紹介しているサイトさんが見つかった。
http://www.diana.dti.ne.jp/~yutakahi/cara/lyrics/ry_sr_04jp.html

簡単に説明するとこういう歌だ。「昔、北アイルランドに仲のよい2人の少年がいました。1人はカトリックで1人はプロテスタントでした。でも2人はそんなことは関係ないさと仲良くしていました。プロテスタントがプロテスタントとして町を練り歩くときも僕らには関係ないよねと笑っていました。しかしある日……」

典型的であると同時に、とても悲痛な物語だ。「暴力」というものについて、そして1979年のPUNKならThey wanna waste my lifeとかHe's only playing their deadly gameと言ったものについての物語であると同時に、個々の人間のこころの中の安易な惰性に根ざした暴力性についての物語でもある。

さて、YouTubeの動画に繰り返し出てくる少年2人の写真がある。

1人(赤っぽい金髪の子)はマイケル・マッカルヴィーン。
http://nofrills.seesaa.net/article/22305742.html
http://nofrills.seesaa.net/article/22305830.html

もう1人(黒髪にめがねの子)はトマス・デヴリン。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/4161772.stm
http://www.thomasdevlin.com/index.php

2人とも、sectarian attackで殺されたティーンエイジャーだ。マイケルは今年の5月に撲殺、トマスは昨年の8月に刺殺された。

Tommy Sandsの歌に出てくる2人の少年の姿を、この映像を作った人はマイケルとトマスに重ねている。

……という、言葉は悪いが「お涙」な話以上のものが、この4分の映像にはある。この映像につけられたタイトルと、それから、YouTubeのコメント欄を見るべきだ。

まずは映像のタイトル、Our wee countryに含まれるweeというのが何を意味するか。
http://dictionary.cambridge.org/define.asp?key=89618&dict=CALD
を見ればわかるように、これはスコットランドの言葉だ。北アイルランドにおいては「スコットランドの」は「ユニオニズムの」、というか「反ナショナリズム(アイルランド統一主義)の」を意味する。実際、wee(意味的にはlittle)はロイヤリスト/ユニオニストの言葉だ。この動画を作ってアップした人は、実際、ユニオニスト/プロテスタント側の人だ。

YouTubeのコメント欄は……最初のいくつかは「こういうことは二度とあってはならない」といった感じのものだが、しばらくすると荒れてきたようだ。

マイケル・マッカルヴィーンもトマス・デヴリンもカトリックである。だから「カトリックの死者ばかり並べやがって」とかいうふうに思った人がいたんだろう。

この映像を投稿した人(dastudmuffineagleさん)がいくつかコメントを入れているが、その中に「作ったときはトマスはプロテスタントだとばかり思っていた」「このビデオの目的は、キリスト教の活動だ」と説明している。

たぶん、誰も「嘘」はついていない。でも、それだからこそ暴力的だ、ここは。

キリスト教がメインの世界には、私にはわけがわからないほどの宗派ごとの激しい対立もあるが、カトリックもプロテスタントも(ギリシア正教もロシア正教もアルメニア正教もセルビア正教も・・・)すべて「キリスト教」だという考え方も確かにある。それをさらに広げて、イスラム教も結局は同じだという考え方もある。(そういう方向で考えている人は、「ギリシア的悟性とキリスト教」を語るために、わざわざイスラム教批判の言説を昔の記録から引用したりしないのだが。)

でも同時に、「宗教なんてしょせん人間が作ったもの」という考え方ももちろんある。「だからそんなことで殺しあうほど対立するなよな」というのが主旨だけれども、ここでカチンと来る人たちもいる。つまり、「神の実在」を信じる人たちだ。

で、そういう人たちを警戒する人たちも当然いる。対立軸は1本ではない。

スラオさんのコメント欄を見れば、リアルを手に入れるんだ〜♪(<しかしこれ、すごい日本語だよね)って感じで、マジやばいリアルすぎ、である。

※アタマが電池ぎれ。

■資料:
北アイルランドのセクタリアン・アタックの記録、1999年1月から2003年11月までの月ごとの記録。
http://www.serve.com/pfc/sattacks/sectarian.html

■蛇足:
基本的に「善か悪か」の思考回路で動くトニー・ブレアだが、不思議なことに、北アイルランドについては、トニー・ブレアが「善か悪か」の二元論で考えているようには思えない。錯覚だろうか? ブレアは正面玄関にすえられているお人形で、そのドアの向こうにいる人たちが「善か悪か」でないだけ?

※この記事は

2006年10月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 01:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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