ホムスの活動家(=反アサド側)からの報告によると、「ホムスは今なお包囲下にある。巨大な兵舎・刑務所と化している。通信・電気・水道は完全に断たれている。バーバアムルとインシャアトでは処刑が行われている。男が殺されているという。女はレイプされているとの報告だ。何十件も、記録すらされずに」
追加(追加なんかしたくない):
My mum has just informed me 7-8 members of the Berene family in Baba Amr, friends of my grandfather, have been executed. #Homs #Syria
— ♡ Freedom Syria ♡(@tweets4peace) March 7, 2012
母から連絡があったところです。バーバアムルのBerene家の7人から8人が処刑されました。私の祖父と親しくしている人たちです。
ツイート主はバーバアムル出身の人(どこにいるかはわからない)で、現地情報を英語にして伝えてくれている。
規模はわからない。しかし「それ」が起きてしまったことは、ほかの報告からも、《事実》と考えてよいだろう。
10年か15年くらい経ったときに、2ちゃんねるのようなところに「戦争の体験談を語るわ」と連続投稿が為され、それがネットで話題になったりするのかもしれない。
そして、それが起きたときのことを知らない若い世代の人が、「そのとき、あなたは何をしていたのか」と疑問を抱くかもしれない。
虐殺を行った側である政府はきっと、「独立調査委員会」を設置し、しばらく「調べ」たあとで、「虐殺などない」という否定論の報告書を出す。そしてそれは「国際問題」化される。「虐殺があった」と述べることは《事実の叙述》ではなく《主張》に貶められる。そして、「背後に西洋諸国」、「アラブ連盟の意向」、「世界を支配する闇の勢(略」といった言葉を貼り付けられる。
スレブレニツァの虐殺 1995年7月13日 - 7月22日
2002年: 否認主義の報告
2002年、スルプスカ共和国の政府は、8000人程が殺害されたスレブレニツァの虐殺はなかったと主張する報告書を発行した。「スレブレニツァ事件に関する報告」と題された報告書は、ダルコ・トリフォノヴィッチ(Darko Trifonović)を著者とし、スルプスカ共和国の大統領ミルコ・シャロヴィッチ(Mirko Šarović)をはじめとする主要な政治家から支持された。報告書によると、スレブレニツァのムスリム人1800人が戦闘で死亡し、さらに100人が疲労により死亡したとしている。報告では、「個人的な報復や理解の欠如によりボスニア・セルビア人軍によって殺害されたムスリム人の数はおよそ100程度と見積もられる。… 犯罪に加担した者の名を明らかにし、正しく、明確にこれらの事件が散発的なものであったか否かを明らかにすることは重要である。」としている。国際危機グループや国際連合はこの報告書におけるスルプスカ共和国の捏造を非難した。
2004年: 報告と公式の謝罪
……
2004年11月10日、スルプスカ共和国政府は公式の謝罪を発表した。宣言は、政府による委員会の報告書の確認の後に行われた。ボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人政府は、次のように述べた。……
ホムスから脱出した英サンデー・タイムズの写真記者、ポール・コンロイが、病院のベッドでのインタビューで引き合いに出していた「スレブレニツァ」は、事後、このような経緯で《虐殺と呼ばれる事態が発生したという事実》が認められた。
実際に、そこに、夫を、父を、兄を、弟を、息子を、友人を、先生を、生徒を、殺された人がいるときに、「そのようなことは、なかった。それがあったと言うのは外国勢力の陰謀」ということを、(ごっつい武装勢力を従えた)政府当局は述べていた。
なお、「戦争の体験談を語るわ」という優れた書き物で扱われているのは、スレブレニツァではなくフォチャの虐殺である。ここは、殺戮ももちろんだが、組織的強姦が行われたということが語られることが多い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%81%AE%E8%99%90%E6%AE%BA
ボシュニャク人女性に対する強姦は、セルビア人にとって、ボシュニャク人に対する勝利と優越性を体現するものとなるため、ボシュニャク人女性は特に強姦の標的となった。たとえば、女性や少女らは……組織的に、兵士の基地となっている……家に連行される。……女性や少女らはクナラツ自身やその配下の者たちによって強姦される。強姦された少女の中には、14歳の者も複数いた。セルビア人兵士らは、通常、ボシュニャク人に対してまったく気に留めることはなく、特にボシュニャク人女性に対して配慮がなされることはなかった。セルビア人兵士らは多くのボシュニャク人(ムスリム)の少女を拘留施設から連れ出し、自身やその配下の兵士らが強姦するために、一定期間留めおかれた。
「支配」を示し、それを既成事実化するために、「性」が利用される。「性暴力」が用いられる。そしてその醜さを見えないようにするために、「あれは恋愛だった」とロマン化がされたり、あるいは「男という生き物は」云々のうさんくさい「自然」論が持ち出されたりする。
そういう例があったこと、それが都合の良い言い回しや美しい言葉、強引な理屈付けで隠蔽されていること、それが何十年もそのまま放置されうることを、日本人はよく知っている。
※この記事は
2012年03月07日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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