「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年03月06日

「きれいにする」(シリアからの写真)

シリアが国連とか国際赤十字とかの人たちを国内(特にホムス)に入れるという話が聞こえてきている。つまり「終わった」のだろう――そう思ったタイミングで見た写真。シリア国営で配信されたそうだ。



「武装したテロリストが破壊したあとを片付けている」らしい。(同じ写真がシリア国営のサイトにもある。英文で記事もあるので一読をおすすめする。)

多くは語るまい。というか、これを言語化すれば言語化する過程で、自分を傷つける。

2006年、イスラエルがレバノンに爆弾を落としていたときの私のブログに引用した、ソンタグの一節。
「爆弾で家の側面が吹き飛ばされています」、とウルフは一枚の写真を説明する。確かに都市は肉体で成り立ってはいない。だが抉り取られた建物は路上の死体と同じほど雄弁である(カブール、サラエヴォ、東モスター、グロズヌイ、二〇〇一年九月十一日のあとのロアーマンハッタンの一六エイカー、ジェニンの難民キャンプ)。ごらんなさい、と写真は言う。こんなふうなのですよ。戦争はこういうことをするのですよ。それにあの写真の、ああいうことも、あれも戦争がすることです。戦争は引き裂き、引きちぎる。戦争は抉りとる。戦争は焼き、解体し、滅ぼし尽くす

――スーザン・ソンタグ,『他者の苦痛へのまなざし』,みすず書房,2003年(北條文緒訳)


今このタイミングで、スーザン・ソンタグを参照すること自体、自分への懲罰のようなものだ。私はソンタグらの「"人道的" 武力介入論」のときに何をしていたのか。何もしていなかった。

せめて伝えられることの記録は、たとえその伝えられることのごく一部であっても記録をすることは、伝えられた者として、しなければならない。そう思っているけれど、……ここで5分ばかり固まってさまよっていた。言語化できない。ことばにすることにはものすごい労力がいるけれども、それはあまりに無力だ。



米国の議会でジョン・マケイン(共和党)が介入論を唱えた。寝落ちから起きた状態で見たTwitterの画面には、それについての(もちろん英語の)ツイートがいくつか流れてきていた。ロシアがかなり荒れているという報告(ジャーナリストが殴打されたり逮捕されたりしている)や、エジプトでまた1人、市民ジャーナリストが行方不明になっているという報告と一緒に。

マケインの演説原稿はマケインのサイトにアップされている。少々長いが、文章としては平易だ。

3行で?(※ただし、このマケインのスピーチ原稿は、SNCとかFSAとかLCCとかのことを把握してから読んでね。)

But time is running out. Assad's forces are on the march. Providing military assistance to the Free Syrian Army and other opposition groups is necessary, but at this late hour, that alone will not be sufficient to stop the slaughter and save innocent lives. The only realistic way to do so is with foreign airpower.

http://t.co/gRS52UEr


私は先日(正確には2月23日、国連安保理決議がポシャったときだ)、「非介入論を唱える者は汚物でも見るような目で見られる日々が始まりますよ」と書いたのだが、実際には3月に入っても、まだそこまでは来ていない。私の見ている範囲(国際情勢分析筋が多い)では非介入論のほうが強い。これは(米国の用語法でいう)「リベラル」も「保守」も同様だ。今回、マケインが介入論を明確に唱えたことでも、発言者が発言者だし(ソンタグのような存在ではない)、そのへんでの意見はあまり変わらないだろうと思う。

ただし、BBCはかなり危険な感じのトーンになっているし(リビアNFZ導入論の直前と同じような感じで、今回はさらに激しい)、ガーディアンはプロパガンダの場になっている(「戦争広告代理店」の手法。誰もが手に汗を握るような扇情的な戦場ルポというか、決死の脱出劇のファーストハンド・アカウントが出たり、大失態の当事者の言い訳のためにクソ長い記事を書いたりしている)。

一方で、非介入論は、「それって中国が言ってますよね」という主張になってしまっていることも事実だ。(中国はすっこんでてほしい、ほんと。)新華社の記事:
http://english.cri.cn/6966/2012/03/05/2743s684840.htm
A general in the opposition militia, known as the Free Syria Army, has told journalists in restive Homs that the rebels have received French and American military assistance.

"French and American assistance has reached us and is with us," the unnamed general told Reuters.

"We now have weapons and anti-aircraft missiles and, God willing, with all of that we will defeat Bashar (al-Assad)," he added.

The Syrian government has repeatedly accused Arab and Western countries of tunneling weapons to the armed groups in Syria in addition to rendering financial support to them.

Countries, such as Russia and China, have maintained that political solution is the best option to the Syrian crisis.


...... orz

このタイミングで、第二次チェチェン戦争でグロズヌイをぶっ潰した男が、ロシア大統領に返り咲きですよ(就任はまだ少し先だけど)。
http://www.google.co.jp/imghp?hl=ja&tab=wi&q=grozny



それから、月曜日は、これまで報道記事のコメント欄とか、英語の字幕・音声つきのYouTube映像のコメント欄でなら見かけていたような、内容的に「シリア政府による民間人虐殺など行われていない、すべては西側のプロパガンダだ」という否定論が、私のTwitterのTLにも流れてきた。誰かのRTだった。(YTのコメント欄など、元々根拠のない陰謀論の「スクツ」状態なので、何が書かれていても驚きはしないが。)

これまで私のところには、「なるほど、シリアは確かに酷い。だが○○は?」というもの(「○○」には「バーレーン」や「パレスチナ」などが入る。そちらの活動家が関心を集めるために騒いでいたり、ガス抜きをしていたりするもので、)や、ある意味「カジュアル」な陰謀論(「CIAの画策だ」みたいなの)は漂着していたが、月曜に見たのはちょっと違っていた。

まだあるんだけど、ここでいったん切る。

※この記事は

2012年03月06日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 08:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼