「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2006年10月16日

ブランケット内相(当時)、「バグダードのアルジャジーラは爆撃すべき」と進言の件。

14日にメモだけした件
http://nofrills.seesaa.net/article/25473705.html

ここからブランケット関連のものをとりあえず。

焦点は、ブランケットが内相だったときに、ブレアに対して「アルジャジーラのバグダード支局のトランスミッター(送信機)を爆破すべき」と進言していたという仰天事実だ。

デイリー・ミラーの記事によると、これは元内相自身がテレビ番組で語ったこと。

で、そのテレビ番組とは、Channel Fourの時事報道ドキュメンタリー番組、Dispatches(たぶんBBCのNewsnightとか、日本でいえばTBS系の「報道特集」のような番組だけれども、もっとニュース色が薄いものだと思う)。ブランケット特集は、12日と16日の2夜にわたって放送される。
http://www.channel4.com/news/microsites/D/dispatches2006/blunkett/index.html

ブランケット回想録(というか当時の日記を書籍にまとめたもの)が16日に発売されるとのことで、特集が組まれているのだろう。

というわけで、この番組内での発言を以下に。

本題に入る前に、14日の記事からの転記。転記しといたほうが参照が便利なので。

そしたらこんな話が出てきた。
開戦時にアルジャジーラ爆撃を進言 英の前内相がブレア首相に

 【アルジャジーラ特約12日】中東の衛星テレビ局、アルジャジーラが12日報じたところによると、英国のデビッド・ブランケット前内相は地元テレビ局とのインタビューの中で、2003年のイラク侵略の際、「バグダッド市内のアルジャジーラ送信設備を爆撃すべき」とブレア同国首相に進言したと明らかにした。

 ブランケット氏は英国のチャンネル4とインタビューし、その内容は16日に放映される予定。

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2568159/detail


デイリー・ミラーに記事がありましたよ、と。
BLUNKETT: WE MUST BOMB AL-JAZEERA TV
Shock war advice to Blair
By Rosa Prince
http://www.mirror.co.uk/news/tm_headline=blunkett--we-must-bomb-al-jazeera...

▲転記ここまで。

このデイリー・ミラーの記事に、番組のキャスターと元内相とのやり取りが少しだけ紹介されている。その部分を抜粋して日本語化してみた。

【警告】
ある意味、「顎を外さずにはいられないであろうと思われる」内容。

〈ここまで、略〉

ブランケット元内相はチャンネル4の番組Dispatchesに対し、アルジャジーラのバグダード支局の送信器の攻撃を、戦時内閣に提言したと語った。

そのようなことは「交戦規則から外れて」いるのではないかという心配はなかったのかとの質問に対し、ブランケット元内相は、「私のほうでは心配はありませんでした。というのは、これは戦争であり、戦争というものにおいてはあの放送がそのまま続けられるという状態を放置しておけないと考えたからです」と答えた。

番組の記者であるイザベル・タングは「しかしアルジャジーラは非軍事的標的ですよ」と反論した。

ブランケット元内相はこれに対して、「彼らが敵に代わってプロパガンダの戦いに勝とうとしている場合、(建物の)内部に軍人がいないからといって(攻撃対象から)除外することのできる標的というものは、戦争というものにおいては、ないと思いますよ」と答えた。

タングは「しかしそれは明らかに国際法違反です」と続けた。ブランケット元内相は、「以前の戦争において、侵攻している(軍を侵入させている)国の領土でのプロパガンダのメカニズムが、こちらに対するプロパガンダを行なうことができる状態が続くことをそのままにしておくということについて、私たちは判断を留保していたでしょうかね。そういうことはなかったと思いますが」と述べた。

ブランケット元内相がブレア首相に対してアルジャジーラを攻撃するよう進言した2週間後に、アルジャジーラのバグダード支局は米軍によって攻撃され、ジャーナリストのタリク・アイユーブが死亡した。

この攻撃は非難を呼んだ。この攻撃についてのご意見はと問われたブランケット元内相は、次のように答えた。「送信機を破壊することと、ジャーナリストを殺すこととの間には大きな差があると思いますよ。たとえ意見が合わないとしてもです。」

「あれが誤爆だったのかどうかは私にはわかりませんが、あれが正当なものだとは私は言いません。」

昨年、ブレア首相とブッシュ大統領が話をしたときのメモがリークされ、当ミラー紙はそれを報道した。ブレア首相がブッシュ大統領を説得し、カタールにあるアルジャジーラ本社の爆撃を断念させていると受け取れるメモだった。【→下の「訳注」参照】

〈略〉

昨日、米国で公表された報告書によると、イラク戦争で死亡したイラク人は65万5000人、つまり人口の2.5パーセントにのぼっている。この数値は通常の3倍である。

〈このあと、略〉


【訳注】参考:
http://ch00917.kitaguni.tv/e208738.html
このときブレアは「アルジャジーラ爆撃計画? 知らないよ」と述べている。

というわけで、ブランケットいわく、
I don't think for a minute in previous wars we'd have thought twice about ensuring that a propaganda mechanism on the soil of the country you were invading would actually continue being able to propagandise against you."

つまり、法よりも既成事実である、と。

なんでこんなのが内務大臣だったのか、というだけでもウッカリ顎を外しそうになるのだけれども。



デイヴィッド・ブランケットとは:
http://en.wikipedia.org/wiki/David_Blunkett

ブランケットは1947年生まれ(「団塊の世代」ですな)。生まれつき目が不自由で、家庭も貧しく(映画『フル・モンティ』の舞台となったシェフィールドの労働者の息子で、12歳のときに父親を工場での事故で失っている)、いろいろと難しい少年時代をすごしたようだ。シェフィールド大に進み卒業後は労働問題の講師となり、22歳の若さで市議会議員に。1987年に国会議員、1992年にシャドウ・キャビネット。

ブランケットが内相をしていたときの外務大臣ジャック・ストローや、トニー・ブレア首相らとは違って、法律家としての経歴はブランケットにはない。(いや、あのへんはあのへんで「ディベート大好き」「すてきな言い回し大好き」な面があるのだが。)

いろいろな面でひと癖もふた癖もあるところがブレアに気に入られたのかもしれない。1997年、ブレア政権発足時には教育大臣。

次の総選挙の後、2001年に内務大臣。在任してすぐに米9-11が起きて(その前に8月にReal IRAの爆弾@BBC本社前もあったのだが、米9-11があまりにインパクトが大きくて忘れ去られた)、「対テロ」関連の国内法整備を主導。オーウェルの『1984』的な方針に「ビッグ・ブラザー社会」との批判が人々から噴出するも「ビッグ・ブラザー」化は進行。

2004年、不倫騒動のあとで辞任。

2005年の総選挙後に、年金・雇用大臣として内閣に復帰するも、今度は株取引のスキャンダルで半年くらいで辞任。現在に至る。

この人をめぐるゴシップは腐るほどあるんですが、興味がないので読んでいません。

※この記事は

2006年10月16日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 18:11 | Comment(1) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
Blunkett 'machine-gun prisoners' claim
Michael White and Riazat Butt
Tuesday October 17, 2006
http://politics.guardian.co.uk/homeaffairs/story/0,,1924226,00.html

2002年10月、Lincoln jailでの暴動のときにブランケットが「軍を出動させマシンガンで」と発言したとのタレコミ。

回想録では、サッチャー政権時代のストレンジウェイズ刑務所での暴動を引き合いに出して、何かかっこいい話になってるらしい。ブランケット本人はタレコミを否定。

しかし今回このタレコミをした人は、当時、ブランケットがいかにあわてふためき動揺し怒っていたかを証言している。元はthe Timesのインタビュー。
Posted by nofrills at 2006年10月17日 21:38

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼