「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年03月01日

原発の終わりかた

イングランドで原発が1箇所、廃炉になるというニュースと、現場への立ち入りが許可された福島第一原発を取材した報告が、ほぼ同時にきた。

廃炉になるのはブリストル近く(イングランド南西部)にあるオールドベリー原発。ここは炉が2基あり、1基は既に昨年停止されていて、今日、残る1基が停止された。築後45年、本来2008年にはお役御免となる予定だったが、延長されていたのだという。BBC記事には停止の瞬間の管制室の映像などもある。職員の一人が停止のボタンを押し、ほかの職員数人が(非常にクラシカルに見える)壁面の計器をチェック。緊張感あふれる画面だが、無事に停止されてよかった。このあと燃料の抜き取り、有害物質の除去など廃炉への作業が開始されるが、最終的にメインの建屋が取り壊されるのは、2100年だという。45年運転した施設の撤去に、90年以上もかかる。
http://www.bbc.co.uk/news/uk-england-bristol-17189845

AlertNet記事によるとこの原発は世界最古だったそうだ。また、2025年にはこの敷地からわずか数百メートルのところで、新たな原発が稼動することになっている。(英国のatoms for peaceの計画については、この1年かなり報道されているので、詳細はそれらを参照。)
http://www.trust.org/alertnet/news/worlds-oldest-nuclear-plant-shuts-in-britain

福島第一原発は、民間事故調査委の報告書とほぼ同じタイミングで日本以外の(=「海外」の)報道陣に内部が公開されたので、その報告が各メディアに。





http://news.google.co.uk/news/more?hl=en&gl=uk&q=fukushima+plant&gs_sm=3&gs_upl=3455l8115l0l8282l16l15l0l11l11l1l490l871l0.1.1.0.1l4l0&um=1&ie=UTF-8&ncl=dPQwMprzX3MNRvMGD_0plujxUtycM&ei=wUBOT_OgHYOimQWpjKX1Dw&sa=X&oi=news_result&ct=more-results&resnum=1&ved=0CC4QqgIwAA

Probe finds Japan withheld risks of... via kwout
※この日付はたぶん米国の日付。「28日」は日本の「29日」と見てだいたいOKのはず。



BBC(防護服・マスクを着用する更衣室からメイン・コントロールルームを経て、バスで現場に行くまでの1分41秒の映像つき):
Japan's damaged Fukushima nuclear plant one year on
28 February 2012 Last updated at 14:13 GMT
By Roland Buerk
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-17192215

The atmosphere was calm, but intense. How different from the panic and fear described by the few who have spoken out among the workers who were there in the first days of the disaster, when in the darkness of a blackout they had to rig car batteries to the instruments to try to find out what was happening. When they heard the explosions and waited and wondered, was this death?

At the time, the people of Japan did not know quite what a razor's edge their nation was on as the reactors melted down. The prime minister at the time, Naoto Kan, has since admitted he feared he would have to order the evacuation of Tokyo.


Back at the J-Village, on the edge of the exclusion zone, we found out what may motivate some of these men to risk their lives in what must surely be one of the most hostile working environments on earth.

"I worked here before the disaster, so since my plant is in this condition, I think this is my mission to stay here," said Tetsushi Tarumi who had been selected to meet us.

"As for my health, my dose exposure is within the legal limit. I have no concerns about health."

Then, as I left J-Village, a worker discreetly pressed a note into my hand. When I read it later, I saw it was addressed "To all child in the world".

"Dear our friend," it said. "First, we would greatly appreciate that you gave us much encouragement, and then we could overcome this trial with the encourage you gave.

"Fortunately, we could get the stabilisation of the plants, and the radiation level of the environment is decreasing.

"But this is not the end of our jobs.

"We shall transfer Fukushima Daiichi NPS [nuclear power station] to you after we shall rebuild here more magnificently than that existed before, that will be the true goal of our works.

"Thanks. From your friends, the Fukushima 50 and colleagues."

記事の最後に引かれている「BBC記者がそっと渡された英文の手紙」(標準的に「正しい」とされる文法から少し外れているが、私もこういう英文を書いていた時期があったという前提で日本語化してみる):
「世界の子供のみなさんへ――親愛なるみなさん。まず、みなさんから私たちにいただいた励ましにおおいに感謝します。みなさんの励ましあってこそ、私たちはこの試練を乗り越えることができるでしょう。」

「幸いにも、原発は安定させることができました。環境中の放射線レベルは現象傾向にあります。しかしこれで私たちの仕事が完了したわけではありません。」

「私たちは福島第一原発を、以前より頑強なものに再建して、そしてみなさんに引きつぎます。それが私たちの仕事のほんとうの着地点です。」

「どうもありがとうございます。みなさんの友人、フクシマ・フィフティとその同僚たちより」


BBCではほぼ60分の長編ドキュメンタリーも制作・放映された。それについてはgooニュースの加藤祐子さんの記事に詳しい解説がある。
http://news.goo.ne.jp/article/newsengw/world/newsengw-20120229-01.html?pageIndex=2
民間事故調報告に関する話題以外にも「3/11から一年」を前に特集を組むマスコミは多く、たとえば英BBC Twoは2月23日に「Inside the Meltdown(メルトダウンの内側)」という1時間のドキュメンタリーを放送しました(制作はQuicksilver Mediaというイギリスのドキュメンタリー制作会社)。そしてアメリカの公共放送PBSもこれを「Inside Japan's Nuclear Meltdown(日本の原発メルトダウンの内側)」という題にして、28日夜に放送……。


番組は、3月11日からの9日間を1時間に凝縮して振り返っています。福島第一原発の完全メルトダウンを防ごうと戦った人たちを丁寧に取材して。当時の記録映像に後日撮影した映像を織り交ぜて。当時を振り返って語るのは、たとえば「この浜には地震がくれば津波が来る」と承知していた地元の漁師。「3号機が爆発した時は、もう終わりだなと社員の人たちも言っていた」と語る元原発作業員。「日の丸を背負ってあの発電所で戦わなくてはいけないと思った」と語る現作業員。



ガーディアンでは下記(キャプチャ画像中の見出しクリックで読めます)。29日に福島第一原発の現場取材の記事が、その前日に浪江の酪農家さんたちを取材した記事が出ている。私はまだ全部は読めていないのだが、原発の現地取材の記事は、そこで作業する人の言葉(せいぜい2, 3分、ホースを取り付けるのが精一杯の線量の場所がある)や、「そこに生活があった」ことを示す記述が重ねられ、非常に深く立体的。またこのメインの記事とは別に、ジャスティン・マカリー記者個人が重装備の防護服を着用してどう感じたかなど、まさに「皮膚感覚」の記事がある。

※この記事は

2012年03月01日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 02:22 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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