「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年10月14日

参謀総長発言、北アイルランド、アルジャジーラ爆撃など(メモ)

ここ数日、なんでこんなに一気にいろいろ出るかなぁ、という感じだ。あとで何とかしたいが、とりあえずメモだけは。

「北アイルランド和平」の今後を具体的に決定する非常に重要なセント・アンドリューズでのサミットの3日間の間に、英陸軍参謀総長が「英軍がいることでイラクの情勢は悪化している」とデイリー・メールのインタビューで述べ、早期撤退の必要性に言及、というか「いつまでも駐留していても何らプラスにならない」との考えを示し、セント・アンドリューズでの記者会見においてブレアも"Our strategy is to withdraw from Iraq when the job is done."と述べて参謀総長の発言に同意していることを示した。(しかしこれ、いわゆる「玉虫色の発言」だと思うけれど……とりあえず、保守党系のデイリー・メイルではかなり色つけて報じているはずだ。)

一方、今週はイラク戦争をはさんだ重要な時期に内務大臣(2001〜2004年)をしていたデイヴィッド・ブランケットの口述日記(だよね:tapeと表現されている)がガーディアンとデイリー・メールで公開。

ブランケットという人は「対テロ戦争」に応じた英国の法整備を主導した人で、Banksyの手にかかるとこう表現される。(<何の説明にもなってないかもしれないが。)Stop This Mad Man! と書いている犬はブランケットの盲導犬(ブランケットは生まれつき目が不自由である)。


* a CC Licenced photo on Flickr by OwenBlacker


で、今回公開されたこの人の日記(内務大臣在任中のもの)がまた、「精神的に追い込まれて病的な状態になっていた」とか「党内ではブレアがブラウンを」とかいった「赤裸々告白」系で、新聞では連載だから情報が小出しにされていて(「引っ張る」という感じ)、正直、どーでもいいやと思って読んでなかった。連載がちょうどアンナ・ポリトコフスカヤ殺害のニュースと重なっていたし。

あと、「ブレアは30代のころから心臓が悪くて」とかいう発言があって、それが嘘だとかなんとか……いやもうどうでもいいから、と思うでしょ。さすがレイムダックという感慨はあるにせよ。

そしたらこんな話が出てきた。
開戦時にアルジャジーラ爆撃を進言 英の前内相がブレア首相に

 【アルジャジーラ特約12日】中東の衛星テレビ局、アルジャジーラが12日報じたところによると、英国のデビッド・ブランケット前内相は地元テレビ局とのインタビューの中で、2003年のイラク侵略の際、「バグダッド市内のアルジャジーラ送信設備を爆撃すべき」とブレア同国首相に進言したと明らかにした。

 ブランケット氏は英国のチャンネル4とインタビューし、その内容は16日に放映される予定。

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2568159/detail


デイリー・ミラーに記事がありましたよ、と。
BLUNKETT: WE MUST BOMB AL-JAZEERA TV
Shock war advice to Blair
By Rosa Prince
http://www.mirror.co.uk/news/tm_headline=blunkett--we-must-bomb-al-jazeera...

ほかの新聞でも記事があるかもしれないけれど、とりあえずGoogle Newsで最初に見つかったのがミラーなのでミラーだけ。

それからテリー・ロイド。unlawful killingだったという法的な結論が出た。
http://b.hatena.ne.jp/nofrills/Terry%20Lloyd/

それからグアンタナモ。
http://b.hatena.ne.jp/nofrills/Guantanamo/

あと、ジャック・ストローの「ムスリマのヴェール」をめぐる発言(というより明らかに「議論開始」が目的、ディベイターだし)も1週間くらい経ってようやく感情的な反発や支持が落ち着いてきて、読むべき記事がちらほらと。例えば下記。
http://commentisfree.guardian.co.uk/john_williams/2006/10/post_507.html

で、これらがわずか数日の間に、まるで「ハックニーのMare Streetのバスは同じ路線のが3台まとまって30〜40分おきに来る」というあの不思議な現象を思い起こさせるかのように、まとまって出てきた。ブレアがセント・アンドリューズにいっていて、ダウニングストリートにいないときにね。

第一印象としては、この数日は「英国と米国の特別な関係」の終わりの始まりだろう、というかそういう感じ。

とりあえずブレアは「アイルランド問題」というディズレイリ/グラッドストンからの遺産をきれいに解決することに集中したいだろうな。来年3月26日というターゲットが公表されたから、それまではブレアは首相のままだろう。来年3月までに何がどこまで「終わり」になるか。

※この記事は

2006年10月14日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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