「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年02月14日

過去のニュースを「今」眺めるということ

今年は「去年の今日」を振り返っていることが、自分的には多い。Twitterのログを見返しては、あのときああだった、こうだった、と回想している。今日は #Feb14 の日、バーレーンの真珠広場の抗議行動(公民権運動)のハッシュタグの日だ。バーレーンについては別に項を立てる。

毎日新聞のウェブ版にこんなコーナーがあったことを、さっき初めて知った。

つむぐ、つたえる、ふりかえる
http://mainichi.jp/select/wadai/tsumugu/

歴史を過去紙面と写真から振り返り、次の時代に伝えるコーナーです。

「東京タワー」、「原爆投下」、「226事件」のように「歴史のある時点での出来事」はもちろん、「歴代総理」などデータベース的なもの、「花見」、「結婚」など風俗史的なものもあり、ゆっくり見ることができればなかなか見ごたえがありそうなコーナーだ。もっとトピック増やしてほしいし、もっと読まれるべきだし、もっとPRすればいいのにと思う。

このコーナーを知ったのは、今日のニュースがきっかけだった。とても残念なニュースだ。



この残念な出来事を伝える記事の下に、1971年とか1949年と書き添えられた見出しがある。そのひとつをクリックして出てきた記事のページ末尾に、「つむぐ、つたえる、ふりかえる」のバナーがそっと添えられていたのでクリックしてみた次第。

「こんなコーナーがあったのかー」と、トップページを見てみても、トップからは直接はリンクされていない。

「つむぐ……」と同様の「過去のアーカイヴ」に「昭和毎日」というコーナーがあることも、神戸の火災の記事の下に表示されていた昔の記事から知ったが、これもトップページからはリンクされていない。

部外者の素人考えだけど、こういう「過去の蓄積」は、もっと積極的に見せようとしてもいいんじゃないかと思う。ブロガーであれ誰であれ、「ネットで何かを書いている人」の大半は「今」の記録はできるし、それらは10年、20年後には「過去の蓄積」になるのかもしれないけれども、現時点でそれを有しているのは、新聞社だけではないけれども、圧倒的に、新聞社だ(テレビよりもラジオよりも)。



http://mainichi.jp/info/etc/arukikata.html などを見ると、「昭和毎日」は2010年7月にはトップページに大きなバナーが出てたみたいだけど。

※この記事は

2012年02月14日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 17:00 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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