「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年01月31日

「NAVERまとめ」でcensorship

「NAVERまとめ」を最近よく使っている。英語圏でのStorifyによく似ているが、使ってみたらStoryfyよりずっと使いやすくて便利だ。

その「NAVERまとめ」のユーザー管理画面が今日から新しくなったので、「シリア」についての「まとめ」を作成したところで、何となく眺めていた。

すると、これまで見なかったようなマークが、「まとめ」のタイトルの横に表示されている。道路標識の「駐車禁止」のような、"No" のシンボルだ。何だろうと思ってカーソルを合わせてみると、「このまとめは運営スタッフにより一部のアイテムが非表示にされています」と出た。



この「シリア」についての「まとめ」の中身に何か規制されるようなものがあるのか――ちょうど「Twitterの検閲」問題についていくつか集中的に読んだところでもあり、「まさかDMCA? でもアメリカの著作権団体が目を光らせてるようなコンテンツはないが?」などと頭をひねりながら、問題の「まとめ」のページを見てみると……



YouTubeの映像を埋め込んであるところに、例の "No" のマークと、「この投稿は、権利者からの要請または運営者の判断により非表示にされています」という文字列がある。

この映像は、(インターネット・メディアの)報道写真のスライドショーに乗せて、誰か米語を話す男性が、「私はシリアに生まれた」という《抵抗》の詩を淡々と朗読しているだけで、音楽などは入っていない。よってDMCAというのは考えられない。

……と思ったところで気づいた。

そういえば、死体が映ってたかもしれない。

イラク戦争の資料などを見ることが多かったので元々感覚が鈍麻していたのだが、昨年2月のリビア、ベンガジでのカダフィ軍(当時の国軍)のものすごい残虐行為のビデオを続けざまに見たあとに感覚がますます鈍くなっていて、たいがいの場合、特に何も感じない。というか、残虐な映像をこれ以上見ると精神状態がおかしくなる(ジャーナリストとか編集者の罹る、映像経由のPTSDになる)ので最近半年くらいは見ないようにしているのだが、たまに見てしまっても「ああ」と言うだけで特に何も思わないか、過去に見たもっとひどい映像と比べて「あれに比べたら……」などと一瞬で考え、そうしてバランスを保とうとしている。(こういうのも一種の「正常化バイアス」なのだろうか?)さらには、見たらすぐに忘れるようにしている(「なっている」のかもしれない)。同じ映像を見れば「これは前に見た」と思うのだろうけれど、よほどの必要性がない限りは、同じ映像は二度は見ないようにしている。見るなら一度だけで、なるべく一般化して言語化して記憶に格納する。

そうやって私は自分の記憶をcensorしている。このバランスのとり方は完全に我流なので、それがよい方法なのかどうかはわからないが。

で、自分で自分の記憶をcensorしていることに、今回、「NAVERまとめ」で「この投稿は…運営者の判断により非表示にされています」と言われて、ようやくというか改めてというか、気づいた次第。




「NAVER」が「検閲」した映像。始まってから30秒くらいのところで男性のご遺体(顔のアップ)。あと、2分30秒くらいからしばらくきつい映像です。確かにこれは、うっかり見たらダメな類の映像だと思います。

※この記事は

2012年01月31日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 16:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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