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13という数字にこの稀代の音楽家が何をこめたのかは私は正確には知らない。しかしNo Man's Landという曲名と13という数字で想起されるのは、これだ。

* a CC photo by SBC9 (CC BY-NC-SA 2.0)
写真に撮影されたモニュメントは、Google map (street view) では、ここにある。奥にフリー・デリーのゲーブルが見える。1972年1月30日当時、この通りのこの辺にバリケードがあり、バリケードの向こうは「フリー・デリー」、つまり英治安当局にとってのno-go areaだった。銃撃は、このエリアで行われた。
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Google Street viewで見ると確認できるが、通りの向こう側には、オペレーション・モーターマンのミュラルがあって(この作戦についても書かねばならないことがあるのだが、書けていない。そういうのが10〜20項目くらいある)、その向こうはThe Museum of Free Derryだ。サイトを開くと、1972年1月30日の「公民権運動」のデモ隊の歌が迎えてくれる―― "we shall overcome"。今ミュージアムになっているこの建物の前では2人が殺され5人が負傷させられた。
http://www.museumoffreederry.org/
当日のルート、13人が射殺された場所は2010年6月、サヴィル報告書が出たときのガーディアンのインタラクティヴがわかりやすい。
http://www.guardian.co.uk/uk/interactive/2010/jun/10/northern-ireland-bloody-sunday-interactive-map
で、英軍側のでたらめが公式の事件報告となったことに対し、射殺された人びとのご遺族が中心となってデリーの(ナショナリストの)人々が真相究明を求め、それが1998年にようやく実ってサヴィル・インクワイアリが開始されたことは何度も書いている通りだが、ご遺族や負傷者や当日のデモ参加者、支援者といった人々は、1972年1月30日の公民権要求デモのルートをたどる「追悼行進」を行ってきた。毎年のそのデモで人々は殺された人々の顔写真を掲げ、彼らが武装などしていない、英軍を攻撃などしていない平和的なデモの参加者であったことを認めるよう、つまりjusticeを求めてきた。
2010年6月のサヴィル報告書の公表で、ジェリー・ドナヒーの「ネイルボム」を除いては、英軍の報告はまったくの虚偽であり、遺族らの言う通り、彼らは武装していなかったということが認められた。
これをもって、デリーの「ブラッディ・サンデーの家族たち」は、彼らが中心となって毎年行ってきた「追悼行進」を、事件から39年となる2011年で終わりにする、と合意した。
しかしながら、2012年の今年も「追悼行進」を行うべき、という遺族もいた。実際に非武装の民間人を殺した人物(発砲した兵士)が特定されているのに、法の裁きを受けずにいるのはおかしいという考えと、国家の暴力によって殺されて濡れ衣を着せられているのは、デリーの血の日曜日の13人だけではないわけで、デリーの13人の件が「決着」したからといって英国政府に対する抗議の意思表示をやめるのはおかしいという考えがコアにある。(一方で、「英国政府の謝罪」と「これまで真相とされてきた虚偽の報告書の撤回」だけで十分、という考えの人たちもいる。)
「行進はもう終わり」という人々と、「行進を続けるべき」という人々との間に意見の対立はあったが、深刻な亀裂というものには至っていないようだ。互いに考え方が違うということを尊重する、という姿勢が示されている。
その詳細については別のエントリにしたいが、ともあれ、2012年の今年の「ブラディ・サンデーの日」(1月最終日曜日=29日)は、ロスヴィル・ストリートのブラディ・サンデー・メモリアルのところで遺族・親族や市民たちの追悼の集会が行われ(数百人規模だったそうだ)、その後、有志のみで行進が行われた。
その記事:
Bloody Sunday victims remembered
Last Updated: Sunday, January 29, 2012, 17:53
http://www.irishtimes.com/newspaper/breaking/2012/0129/breaking22.html
※掲載はアイリッシュ・タイムズだが中身はPA。
And while many of the families are pressing for the prosecution of the soldiers involved, most of them decided to end the annual march they led for 39 years, arguing they had been vindicated by the Saville findings.
Relatives of those killed and wounded attended the memorial service, where both Protestant and Catholic clergy were involved.
Later, Kate and Linda Nash, whose teenage brother William was killed on Bloody Sunday, opted to continue the march.
Kate Nash said the march should remain an annual event to help lobby for other bereaved families seeking justice. ...
Bloody Sunday victims remembered
Sunday, 29 January 2012
http://www.u.tv/News/Bloody-Sunday-victims-remembered/8efc6df9-a0ae-4495-a950-9065cc354ed9
A memorial service was held at a monument in the Bogside on Sunday and afterwards some families took part in a march.
... some families who are pressing for the prosecution of the soldiers involved, said they would continue to march.
Kate and Linda Nash's brother William was one of those killed on Bloody Sunday.
Kate Nash said the march should remain an annual event to help lobby for other bereaved families seeking justice.
"I am delighted with the turnout," she said.
"But even if it had just been myself and my sister, we would still have a right to march. That is democracy.
"We are going to continue to march for prosecutions, but beyond that, this is a unique march and it should continue for all those who are seeking justice."
ロスヴィル・ストリートのブラディ・サンデー・メモリアルは、下の方には殺された13人と1人(事件時の負傷が原因で数ヵ月後に死亡)の名前が刻まれているが、上のほうはこうなっている。NICRAは北アイルランドの公民権運動の担い手となった組織名。

* a CC photo by SBC9 (CC BY-NC-SA 2.0)
※この記事は
2012年01月30日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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