「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2012年01月29日

北アイルランドの「和解」のかたち

ブラディ・サンデーから40年となる週末、「カトリック」のスポーツであるゲーリック・フットボールの試合が(毎週末のごとく)開催された。デリーでのアーマーでのデリー対ティローンの試合(リーグ戦ではなくカップ戦の決勝だったそうだ)には、「プロテスタント」のピーター・ロビンソン(DUP党首、北アイルランド自治政府ファーストミニスター)が、初めて観戦に訪れた。ブラディ・サンデー事件について虚偽説明を英国政府が虚偽であったと公式に認め、首相が謝罪してから1年半。デリーでシン・フェイン主催の「統一アイルランド」をめぐる会議にUUPの大物が参加してからすぐ後のことだ。










昨年の党大会でボビー・サンズを引用してみせたピーター・ロビンソンは、そのときと同じく、「彼らか我々か、という枠組で考える時代はもう終わった」と明言している。

1986年8月7日、そのピーター・ロビンソンは……。



だから「説得力」がある。

しかしこの「新しい政治」から取り残される人びとがいるということも事実で、そしてそれは、元々の社会階級に加え、「犯罪者」、「殺人者」などの「過去」ゆえに、ニュースにもならないことがほとんどで、その問題を真正面から語るべき立場の政治家たちは、PUPのようにマージナライズされるか、シン・フェインの上層部のようにほっかむりだ。

"There's many lost, but tell me who has won?"



記事の数がすごい。私のカバーしている範囲の多くが「ユニオニスト側」であることを改めて確認せざるを得ない。(UTVにせよベルファスト・テレグラフにせよ、今は「どちらでもない」スタンスだが、元々はユニオニストの側である。)

UTVは29日のトップ記事扱い。



記事はこれ:
Robinson attends Gaelic football match
Saturday, 28 January 2012
http://www.u.tv/News/Robinson-attends-Gaelic-football-match/2d7c51c8-a205-4357-977d-a239fc7d419c#.TyUOdCptvc0.twitter
Mr Robinson arrived at the Armagh County ground some 40 minutes before the throw-in.

He was brought into the VIP area at the front of the main stand, after the playing of the Irish national anthem, Amhrán na bhFiann.

これは微妙なところ。「英国の一部である北アイルランド」でアイルランドのアンセム(戦士の歌)を聞くわけにはいかないのだろう。(ダブリンを訪れたときはアンセムが演奏される場にいたが。)
"It's good to be here. I have had several meetings with the GAA, at a meeting-to-meeting level and when the invitation came I was glad to take it up," said Mr Robinson.

Tyrone regained the cup after coming from behind to beat Derry 1-14 to 2-8 on the night.

"I'm not sure if I have caught all the finer points of the game, but I'm on the side of the referee on this one," Mr Robinson joked.

相変わらず、笑いのセンスがいい(笑)。ゲーリック・フットボールはルールも把握していないし観戦していても正直よくわからなかったのでどっちが勝って嬉しいとか悔しいという感情はない、ということを表すときに、この表現。

Mr McGuinness said the First Minister's attendance was "another little bit of history".

"I think it's a brave step, but Peter knows the overwhelming majority of our people passionately want the peace process to proceed and are absolutely delighted when they see him and myself turning up at different events, maybe even events that they would never have expected either the two of us would support," he told UTV.

次はマーティン・マクギネスが12thに、ですか(ないない)。(「ないない」って言っておいて、数ヵ月後に椅子から落ちることになるのがよくあるパターンなのだけど。)

GAAのプレジデントの言葉:
"The attendance of the First Minister follows a series of engagements that have taken place involving him and his officials over the past number of years led by our Provincial Director Danny Murphy.

"Myself, Danny Murphy and Tom Daly (Chairman of the Casement Park Stadium Project) first met the First Minister last year and Ulster GAA would want to again recognise the significant investment that the Executive, under the leadership of both the First and deputy First Ministers, have committed to the Casement Park redevelopment and to many other GAA projects.

北アイルランド紛争で、事態を膠着させたのは「主義主張」だったけれど、それを動かしたのは必ずしも「主義主張」ではない。これもその一例だろう。この再開発計画の裏に何があるのかは知らんけど(書かれてもいないし)。

そういう点について、真正面から語ってほしい人は、北アイルランドからアイルランド共和国の政治家として転身してしまっているが。
http://leargas.blogspot.com/

ベルテレ記事:
Robinson at gaelic football match
Saturday, 28 January 2012
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/northern-ireland/robinson-at-gaelic-football-match-16110288.html

写真で、ロビンソンの左右にいるのが誰なのかがわからない。BBCの写真(ズームで引っ張ってるやつ)は隣はマーティン・マクギネス、後ろもシン・フェインの閣僚という席順だが、この写真(と、UTVのトップページでの記事付属の写真)の左右にいるのは、GAAのプレジデントや関係者だろうと思う。

そしてあちら側の牙城、ニューズレター:
First Minister attends first GAA match
Published on Sunday 29 January 2012 10:46
http://www.newsletter.co.uk/news/local/first_minister_attends_first_gaa_match_1_3467188
Last year the Queen made a landmark visit to the GAA’s headquarters in Dublin. The tour of the Croke Park stadium complex formed part of her groundbreaking state visit to the Irish Republic.

確かに、これがあったからロビンソンの訪問も可能になったのだろう。国家元首がGAAのスタジアムを訪れた。なら自治政府トップが訪れてもよいだろう、という判断。(むろん、女王のクローク・パーク訪問のもつ意味は、それだけではないのだが。)

ニューズレターでおかしかったのはこれ。普段淡々と見出しにURLのフィードだけ、ということが多いのに:



きっと読者層から「ニューズレターまでGAAかよ」というツッコミというか文句があったのだろう。




※この記事は

2012年01月29日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 18:08 | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。