kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年01月22日

今日のオブザーヴァーで、ベルファストのピース・ウォールについて大変丁寧な記事が出ている。

いきなりGoogle Street Viewのリンクだが、北アイルランド、ベルファストにこんなふうになっている場所がある。



大きな地図で見る

この灰色をしたごっつい塀の向こう側は、軍の施設とか警察の施設とか刑務所とか、あるいは工場とか学校とか空港とかではない。普通の住宅街だ。
http://g.co/maps/ghvjz

塀のこちら側も、普通の住宅街だ。

このいかつい壁は、「ピースウォール」である。塀のこちら側はプロテスタントの住宅街(塀にUFFと書かれている)、向こう側はカトリックの住宅街(すぐ上のURLをクリックして出てくるGSVの画面で、少し右方向に行くと、アイリッシュ・トリコロールを掲げたメモリアルがある)。

「ピースウォール」については昨年6月に書いた。

2011年06月27日 東ベルファストのピース・ウォール。これが前提されるとき、そこにあるのは「欧州基準」でも何でもない。
http://nofrills.seesaa.net/article/212037394.html

上記エントリを書いたのは、東ベルファストが荒れたことについて、誰かが「こういう規模の暴動が起きるのは欧州標準」みたいな適当なことを発言していたためだ。ベルファストというコンテクスト(個別性)をガン無視したその知的怠慢は許しがたいものであったが、実際、その人のような知的職業にあるわけでもない「一般人」の間では、ベルファストの「壁」の存在はあまり知られていない。

バラク・オバマがまだhopeを語って人々を魅了できていたころにベルリンでおこなった演説で、「北アイルランドでは98年の和平のあと、壁がどんどん減りました」という主旨の発言をした(私はそのときに、ああ、この人は自身の発言についてひどく怠慢なのだな、と思った)。事実はその逆で、98年の和平合意のあと、ピース・ウォールの数は増えている。それには複雑でリアルな事情があるのだが、それについて書くのは別な機会としたい。(片手間でできることではないので。)

ピース・ウォールは、「実はよく知られていない北アイルランド紛争の具体的な形」である。IRAとかUVFとかRUCとかSASとかではなく、もっと日常的な生活――それこそ「角の八百屋さんにほうれんそうを買いに行く」距離感での「紛争」の現れ、というか「紛争のメンタリティ」の現れである。

そういったことが、今日の英オブザーヴァーで報告されている。週末の長文読み物記事だ。

Belfast, divided in the name of peace
Sean O'Hagan
The Observer, Sunday 22 January 2012
http://www.guardian.co.uk/uk/2012/jan/22/peace-walls-troubles-belfast-feature

付属する写真集はこれ。写真家はAntonio Olmos。見ごたえあるよ。6月のエントリでGSVで見た、東ベルファストのロイヤリスト・エンクレイヴのしっかりした写真もある。
http://www.guardian.co.uk/uk/gallery/2012/jan/22/belfast-peace-wall
(ただしキャプションがちょっと間違っている。Cupar Wayのピースウォールは「東ベルファストと西ベルファスト」を分けるのではなく、「西ベルファスト」の「西の方=フォールズ」と「東北の方=シャンキル」を分けている。)

非常にたっぷりとした、読み応えのある記事だ。Google mapでもたどれるが、記事中にリンクされているBelfast Interface Projectのサイトでマップを見る方がよいだろう。
http://www.belfastinterfaceproject.org/interface%20map.html

※アップデートできればする(できそうにないけど……オブザーヴァー記事にあるとおり、つい先日、ピース・ウォールをなくすためにかなりの額の予算がつけられたというニュースがあったことも本当は書きたいのだが)。

※この記事は

2012年01月22日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼