kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年01月16日

レバノンのビル倒壊とインターネット

15日、レバノンの首都ベイルートで5階建ての建物が倒壊したというツイートが、ベイルートから流れてきた。その建物は集合住宅として利用されており、夜間のことで中に人が大勢いた。多くが生き埋めになっているようだ――そういう内容の報告を見ながら、英語圏大手メディアの報道を待っていたが、一向に来る気配がなかった。(イタリアの豪華客船の座礁がこまめにアップデートされていたタイミングだが。)

時間が経過して、BBCに記事が上がっている。何があったのかは把握しやすい。

Fatal building collapse in Beirut
16 January 2012 Last updated at 10:44 GMT
http://www.bbc.co.uk/news/world-middle-east-16573210

この記事が出た段階では、13人が遺体となって回収され、12人が負傷、まだ20人あまりが瓦礫の中に生き埋めになっている。その後、レバノンの英語メディアでアップデートがあり、死者数が17人となったという報告まで、現地のツイートをまとめてみた。
http://chirpstory.com/li/3858

この中で、いわば「メイン」で報告してくれている@TrellaLBさんは、私はたしか去年の今ごろから、中東の「春」に関連してフォローし始めた人たちのひとりだが、今回の倒壊事故についても、テレビや噂なども含め現地で語られていることをこまめに流してくれている。彼は事故後ほどなく、ちょうど2011年の1月28日や2月2日にエジプトのカイロでおこなわれていたような「Googleスプレッド・シートを利用した、クラウドソーシングによる被害者・犠牲者についての情報共有」を実行している。そのスプレッド・シートはChirpstoryの「まとめ」の中に含めてある彼のツイートでリンクされている。

※この記事は

2012年01月16日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:10 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼