kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2012年01月14日

ちょうど1年前(資料編)(付:タハリール広場の女性たち)

英ガーディアンが13日に、「あれから1年」ということで、2011年に文章(essay)を依頼したMENAの文筆家の今の文章を特集している。



チュニジア、エジプト、リビア、イエメン、シリアの国旗の模様を描いた5人の指で星型をかたどっている写真のつけられた記事が「あれから1年」のメイン。書いているのはTamim Al-Barghouti (パレスチナ、在米)、Hisham Matar (リビア系米国人)、Laila Lalami (モロッコ、在米)、Alaa Abd El Fattah (エジプト:先日まで投獄されていた)、Mourid Barghouti (パレスチナ)、Raja Shehadeh (パレスチナ)、Nouri Gana (チュニジア、在米)、Joumana Haddad (レバノン)、Samar Yazbek (シリア)。昨年依頼した人々に今改めて書いてもらう、という企画で、今、新たに企画したらこの面々が書いていたかどうかはわからない。

これとは別に、エジプトの短編小説家、Ahdaf Soueif の日記の抜粋がアップされている。新たに出る書籍からの抜粋だ。
http://www.guardian.co.uk/books/2012/jan/13/arab-spring-cairo-ahdaf-soueif
Many years ago I signed a contract to write a book about Cairo; my Cairo. But the years passed, and I couldn't write it; when I tried, it read like an elegy, and I would not write an elegy for my city.

Then, in February 2011, I was in Tahrir Square, taking part in the revolution, and reporting on it. My friend and publisher called me: this, she said, must be the moment for your Cairo book. I fought it. But I feared she was right.

I say "feared" because I wanted more to act in the revolution than to write about it. And because I was afraid of the responsibility. ... This story is told in my own chosen order, but it is very much the story of our revolution.

(何年も前に、カイロについて、私的なカイロについての本を書くという契約を結びました。歳月は流れましたが、その本を書くことはできませんでした。書いてはみたものの、まるでエレジーのようなでき上がりで、私はそんなものを私の町を語る言葉とはしたくありません。そして2011年2月、私はタハリール広場にいました。革命に参加し、革命を伝えていたのです。友人で版元である人が言いました。「今のこれ、これをあなたのカイロ本に書くべき」。私は抗いました。でも友人の言うとおりかもしれないとも思いました。私は革命について書くより、革命で行動をしたかったので、それは望ましいこととは思えませんでした。それに、責任というものも恐れていました。……この物語は、私が選んだ順序で語られていますが、それは私たちの革命の物語と呼べるものです。)

0747549621Cairo: My City, Our Revolution
Ahdaf Soueif
Bloomsbury Publishing PLC 2012-01-19

by G-Tools

ガーディアンのページで、彼女の(ほぼ)1年前の日記を読む前に、ちょうど1年前、Twitterで見ていたものを見返しておこうと思う。

2011/01/15 00:43:24
2011年1月14日、チュニジア #Tunisia #sidibouzid #jasminrevolt #OpTunisia ←これが(1)
http://togetter.com/li/89309
9 fav 1744 view

2011/01/15 04:46:40
2011年1月14日、チュニジア(2) #Tunisia #sidibouzid #jasminrevolt #OpTunisia
http://togetter.com/li/89355
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2011/01/15 05:45:48
2011年1月14日、チュニジア(3) #Tunisia #sidibouzid #jasminrevolt #OpTunisia
http://togetter.com/li/89366
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2011/01/15 22:45:56
2011年1月15日: チュニジア(4) #Tunisia #sidibouzid #jasminrevolt #OpTunisia
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14日(金)に、23年間独裁的な政権を維持してきたベンアリ大統領が国外に脱出したあとのチュニジア。

15日になり、不穏な状況が続くなか、現地のバイリンガル、マルチリンガルの人たちによる直接の情報発信、在外チュニジア人の方々のツイートと、現地入りしている英語圏ジャーナリストのツイート、淡々としたニュース系ツイート、分析系ツイートなどまとめました。(英語、フランス語、日本語)


2011/01/16 05:28:34
2011年1月15日: チュニジア(5) #Tunisia #sidibouzid #jasminrevolt #OpTunisia
http://togetter.com/li/89716
1 fav 382 view

2011/01/16 06:42:27
2011年1月15日: チュニジア(6) #Tunisia #sidibouzid #jasminrevolt #OpTunisia
http://togetter.com/li/89721
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2011/01/16 16:14:25
2011年1月16日: チュニジア(7) #Tunisia #sidibouzid #jasminrevolt #OpTunisia
http://togetter.com/li/89847
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2011/01/17 07:42:48
2011年1月16日: チュニジア(8) #Tunisia #sidibouzid #jasminrevolt #OpTunisia
http://togetter.com/li/90075
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2011/01/17 17:49:56
2011年1月17日: チュニジア(9) #Tunisia #sidibouzid #jasminrevolt #OpTunisia
http://togetter.com/li/90160
1 fav 521 view

2011/01/18 03:04:46
2011年1月17日: チュニジア(10) #Tunisia #sidibouzid #OpTunisia
http://togetter.com/li/90354
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2011/01/18 04:03:16
2011年1月17日: チュニジア(11) #Tunisia #sidibouzid #OpTunisia
http://togetter.com/li/90358
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組閣発表などがありました。ブロガーのSlimさんが入閣というサプライズあり、でも結局ベンアリ政権の閣僚がけっこう残ったり…6ヵ月後には選挙ということですが、どうなることやら、という感じ。

一方でその「新しい内閣」に対する抗議行動も早速始まったようで…。


2011/01/19 00:13:46
2011年1月18日: チュニジア(12) #Tunisia #sidibouzid #OpTunisia
http://togetter.com/li/90607
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今日のまとめには、チュニジアだけでなく、スーダン、リビア、エジプトといった近隣諸国についてのツイートもたくさん入っています。

参考:
チュニジア:「ジャスミン革命」道半ば
2011年1月18日 21時0分 更新:1月18日 22時6分
http://mainichi.jp/select/today/news/20110119k0000m030082000c.html
[quote]
 政変前に約3000人いたとみられる前大統領警護隊の多くが、今も武装したまま。前大統領が孤児らを引き取って育てたとされ、忠誠心が厚い。抵抗活動を続ける可能性が高く、治安回復のめどは見えない。

 さらに、17日に発表された新内閣メンバーは、メバザア暫定大統領が「挙国一致内閣」を約束したものの、ガンヌーシ首相ら主要閣僚は残留し、野党閣僚は3人だけ。旧政権の国民弾圧の象徴だった内務省前には、18日も数千人の市民が「(残留閣僚らは)出ていけ」と叫んだ。リビア国境に近い中部ファクスでも同日、新政府への抗議デモが起きた。

 カルタゴのカフェにいた医師、スガイヤさん(44)が「ベンアリ関係者が政府に残ることは受け入れられない」と語ると、周りの人々も大きくうなずいた。
[/quote]


2011/01/19 02:44:55
2011年1月18日: チュニジア(13) #Tunisia #sidibouzid #OpTunisia
http://togetter.com/li/90660
0 fav 484 view

2011/01/20 03:16:47
2011年1月19日: チュニジア(14) #Tunisia #sidibouzid #OpTunisia
http://togetter.com/li/91055
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See also:
チュニジア、入閣したブロガー、Slim Amamouさんとフォロワーさんたちの対話(英語)
http://togetter.com/li/90857


2011/01/20 06:51:26
2011年1月19日: チュニジア(15) #Tunisia #sidibouzid #OpTunisia
http://togetter.com/li/91076
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2011/01/21 00:53:55
2011年1月20日: チュニジア(16) #Tunisia #sidibouzid #OpTunisia
http://togetter.com/li/91354
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このセクションでは、旧政権の政党RCDが、デモ隊の目の前で、事実上解体します。また、ずっと「言論の自由」を求める活動をしてきたブロガーで、今回の移行政権に青年・スポーツ担当大臣として入閣したスリム・アマモウが、閣議を実況ツイートしています(フランス語)。


さて、このエントリの最初の方でみたガーディアンの記事で「革命を書くことより、革命に参加することを望んだ」と書いているエジプトのAhdaf Soueifさんは、女性だ。チュニジアの1月14日も、それが「イスラミストの暴動」などではないということを明確に示すように、街頭で先頭に立つ女性たちの写真が多く配信された。イエメンでも女性たちが街頭に出た(その中で最も顕著な活動ぶりを見せているタワックル・カルマンさんは、ノーベル平和賞を受けた)。バーレーンでも、@angryarabiya さんのような女性たちがいる。これまで「中東の抗議行動」というと、(こういう言い方は失礼かもしれないが)「むくつけき男どもが怒りのご面相で集い拳を振り上げている(そして場合によっては写真を踏みつけたり旗を燃やしたりしている)」というステレオタイプ・イメージがあったが、一連の「アラブの春」はそれを覆すものだった。リビアでも、2月15日にベンガジで始まったときに最初に出た映像のひとつは、日が落ちてから抗議の声を上げて街を歩く女性たちの映像だった。

実際、エジプト・カイロのタハリール広場の「革命」には、ミドルクラスで教養のある女性たちも数多く参加していて、彼女たちの多くが英語を使ってTwitterなどで状況を逐一伝えてくれていた。「博物館脇におかしな雰囲気の人たちがいるから気をつけて」といったことも、全体の雰囲気的なことも。

そういった「タハリールの女性たち」が今どうしているかを報告しているのが、1月6日付けの下記BBC記事だ。

Women of Tahrir: Frustration at revolution's failures
6 January 2012 Last updated at 12:41 GMT
By Hanan Razek BBC Arabic Service
http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-16398660

12月の女性を踏みつけにする治安当局(軍警察)の写真を掲げる抗議行動参加者の写真を冒頭に置いたこの記事は、「男性とともに革命の先頭に立ってきた女性たちは、1年経過し、失意を味わっている」というトーンで現状を報告している。以下、大まかな内容。

11月に何人もの抗議行動参加者が目を撃たれて視力を失うということになったとき、Nada Zatounaさんという女性の映像作家が現場を撮影しようとして治安当局に暴力をふるわれ、身柄を拘束された。BBCのこの記事には、彼女のインタビュー映像が入っている(2分ほど)。

Twitterなどで名前はよく見ていたが、顔は初めて見た。アラブ系というよりアフリカ系の風貌で、聡明で意志の強そうな顔をした、まだとても若い(10代後半か20歳そこそこに見える)女性だ。平穏なカイロの街角のオープンカフェに座ってインタビューに応じる彼女の向こう側には、別のテーブルに座っている男性たちの姿もある。

インタビューでは、治安当局にひどい目にあわされたことを語っているが、記事にはそれとは別な面についても書かれている。つまり、年齢を問わず結婚するまでは親と同居というのが当たり前のエジプトで、彼女は19歳で親元から独立した。未婚女性の1人暮らしなど考えられないという社会環境のなかで、彼女はまさに「闘って」いる。

話を広場に戻すと、ムバラクお待たせした挙句、ホスニ・ムバラクがようやく退陣した直後に、広場を取材中だった米国の女性ジャーナリストが襲われるという事件があったことは、日本ですらやたらとセンセーショナルに伝えられていたのでご記憶の方も多いだろう。だが、「革命」の間、何人もの女性たちが、「ふだん街を歩いているときには感じたことのない『安心感』が広場にはある」、「誰も『よぉ、ねぇちゃん、いいケツしてんな』などと口笛を吹いたりしない」といったことを報告していた。

ムバラク政権&軍政側は、広場について、「未婚の男女が一緒にいるなどとは、ふしだらな」というキャンペーンを展開したが、その矛先は女性たちに向けられた。例の、品性下劣極まりない "virginity test" だ。あれも先月(だったと思うが)、ようやく法廷が「違法」との判断を下した。

BBC記事はそのことについても、当事者にかなり詳しく取材している。

いわく、3月の「国際女性デー International Women's Day」で女性たちの「100万人大行進」が企画されたが、それが、「女のくせに生意気な」扱いを受けた。そしてその翌日、軍政当局はタハリール広場からテントと人々を強制排除。そのとき逮捕された数百人の中に、17人の女性がいた。彼女たちはまずエジプト博物館に連行され、そこで言葉で罵倒され、殴打され、電気ショックをかけられた(これは「拷問」に該当する行為と考えてよいだろう)。

このとき捕まえられたひとりが、カイロから400キロ離れたSohagという町からデモに参加するためにやってきた、サミラ・イブラヒムさん(25歳)だ。「エジプト博物館にはいつか行ってみたいと思っていました。でもこんな形で実現するとは」と彼女は言う。

彼女たちは軍の収容所に連行され、既婚者と未婚者は別々に並ぶように指示された。未婚者の列に並んだサミラさんは部屋に呼ばれた。「そこには女の人がいて、処女かどうかをチェックするので服を脱ぎなさいと指示してきました。そんなことは法的に認められない、みなの前で裸になれなどと要求する権利はない、と私は言い返しました。しかしそのあとまた電気ショックをかけられたので、私は抵抗するのをやめてしまいました。処女テストとやらをしたのは男性でした。使ったのは手です。5分かかりました」。

……まったく下劣な。

このあと、泣き寝入りしなかったのが彼女のえらいところだ。二度と同じような「処女テスト」がおこなわれることのないよう、サミラさんは軍政当局(軍事評議会)を相手取って裁判を起こし、最終的に法廷は「処女テスト」は非合法であると結論した。当局は当初、そのようなテストはおこなっていないと主張していたが、匿名を条件に偉い人が出てきてその事実を認めた。「あの女たちは、広場で男と同じテントに泊まっていたんですよ。私たちの娘とは別の人種です」と。

サミラさんは、軍事評議会が政治を担っている限りは公正で自由な選挙になるとは思えないという理由で先の議会選挙をボイコットした。彼女だけでなく、多くの女性がムバラク退陣後の女性の待遇に落胆しているが、選挙当日には大勢の女性たちが投票所に列をなした。ある女性は取材者に「どうせこうなるという結果が前もってわかっていない選挙で投票するのは初めてです」と語ったという。

投票所で列を作っていた中に、19歳のサラ・モハメドさんがいた。丈の長いワンピースにスカーフという服装の彼女はムスリム同胞団のメンバーだ。同胞団の政党、FJPは議会選挙の結果、最大政党となる見込みである。エジプトでは、この結果は長期的に見て女性の利益にならないのではないかという懸念が女性たちの間にある。同胞団/FJPは議会選挙では女性候補を立ててはいたが、同胞団には女性の幹部はいない。

同胞団/FJPだけの問題ではなく、各党の女性候補は(比例代表の)リストの下位に置かれているため、新たに選挙された国会には女性議員はごくごくわずかとなる。このことに、サラ・モハメドさんは落胆している。女性には、家事・育児以上に果たせる役割があるのに、と。

このように、必ずしも明るい状況にはないエジプトの女性たちだが、権利を主張することを諦めてはいない。12月に、軍警察に女性がニカブをめくられて踏みつけられた件に抗議するデモが、数千人単位の人々を集めた。男性もいたが女性たちが多く、このデモは女性のデモとしては、この数十年間で最大のものだとされ、軍政当局はFBのページに、ニカブの女性への暴行などについて「遺憾に思う」との声明を掲示した。おそらく、そういったことは以前なら考えられなかったことだろう。

Nada Zatounaさんは今もまだ、タハリール広場に撮影に出かけている。「当局は拷問によって気力を奪うことができると考えていますが、私たちは以前より強くなりました」と彼女は言う。

3月の「国際女性デー」のデモに参加したTwitterユーザーのサリーさんは今もTwitterで女性の権利について発言を続けている。「権利は勝ち取らなければ。権利というのは誰からも与えられない。1月25日は私たちにそれを教えてくれたのです」。

ムスリム同胞団のサラさんは、いつかエジプトの首相になる日を夢見ている。

※この記事は

2012年01月14日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:45 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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