kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2005年09月24日

パゾリーニの例のあの作品の失われた映像が。。。

興味のある方,どうぞ。

Google News UK経由,Cinematical経由,イタリアのニュース(英語):
Harrowing Pasolini shots revealed
http://www.ansa.it/main/notizie/awnplus/english/news/2005-09-22_1344463.html

ローマで見られるのだそうです。

……すまん,見たくない。

(ANSA) - Rome, September 22 - Images of lost scenes from Pier Paolo Pasolini's Salo, considered one of the most disturbing movies ever made, have been put on show here for the first time .
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The shots are of the most horrific parts of the Italian director's last film - a notorious adaptation of the Marquis de Sade's The 120 Days of Sodom, set in World War II in Benito Mussolini's northern Italian Nazi puppet state of Salo. The actual motion-picture scenes went missing in mysterious circumstances when the movie was 'kidnapped' after Pasolini's murder in November 1975. The film was later found without any ransom being paid, but some of the most controversial parts had disappeared. Therefore, the exhibition at Rome's Auditorium is the public's first chance to see these sections .
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The show features 36 shots, most of scenes in which four Salo dignitaries and guards torture and sexually abuse 16 young people to death. They were taken by Ecuadorian photographer Fabian Cevallos, who Pasolini allowed on set on the condition that he did not get in the way - "I don't want to see you," he warned .


つまり,PPPの遺作となったあの映画(思い出すだけでぐるんぐるんしてくるので題名は書かない)の,失われていた最も強烈な場面(現存しているだけで十分に強烈だよ)は,PPPがカメラを回している横でエクアドルの写真家がスチールを撮影してて,そのスチールが今回ローマで展示されている,ということです。

写真を撮影したエクアドルの写真家は,PPPがああいう風に殺された(17歳の男性に殴られた挙句に車で轢き殺された)以上は写真の公開をすべきではないと考えたのだが,イラクで米兵がイラク人を「虐待/拷問」している写真を見て,写真の存在を思い出したということです。

。。。もう何も言いたくない。言いたいことはある。しかし言いたくない。映画が脳内で再生されるぅぅぅぅ。

だがこれだけは言わせてもらう。あのアブ・グレイブでの全裸人間ピラミッドというひどい写真を最初に見たときに私は最初「まるで○○だ」と思った。「○○」には当然,PPPの遺作の作品名が入る。そういうことだ。

(ちなみに,これを見たのは5〜6年前だ。渋谷でやってた映画祭で,一度は見ておかねばくらいの気持ちで見たのだ。無謀にも。見終わった観客のみなさんがへろへろになっていたが,とにかくダッシュで映画館を出たので周囲の状況は把握していない。まさに己の反乱する内臓との戦いあるのみで。)

PPP→ウィキペディア「ピエル・パオロ・パゾリーニ研究」さん

PPPの遺作の映画→ウィキペディアgoo

イタリアでの評価はこうらしい(ANSA記事より):
Curiously though, Pasolini was also deeply interested in Christian culture. His 1964 production of The Gospel According to St. Matthew is considered by many his greatest work.

↑『奇跡の丘』のこと。

おや,こんなニュースもあったのね。今年6月3日。(ANSAの記事の最後の方でもふれられていますが。)
パゾリーニ事件で再捜査 殺害30年、関係者が新証言

殺害を認めた当時の少年(9年7ヶ月懲役・出所済)が今年(死後30年)5月のドキュメンタリー番組で「犯人は別の3人組。家族に危害を加えると脅されたので罪をかぶった。もう両親も死んだので話せる」と語ったとのこと。(→これがANSAの記事で,Pasolini was beaten to death by a group of thugs who wanted to "teach him a lesson"と書かれていること。)

さらに,PPPが当日現場にいたことについて,PPPの助監督を長く務めたセルジオ・チッティ氏(72)は,盗まれていた『〈例の遺作の名称〉』のフィルムの一部の返還について犯人と交渉するために出かけたと語っているとのこと。さらに,「チッティ氏は『犯人は監督を殺すためにフィルム盗難も仕組んだ』とメディアに語っている」。

……この事件はほんとミステリアスだと思う。

ともあれ,ローマでの写真展示は11月30日まで。写真家はこの展覧会を「あらゆる形態の人間の狂気の恐ろしさの犠牲者すべてに捧げる(all the victims of the horror of human madness in all its forms)」としているそうです。

……結局なぜPPPの遺作があんなに強烈かというと,人間はどこまでやっちゃうのかを,クソ(をっと)リアリズムで映像という光と影と時間と音と空間のメディアで描いたからだと思う。(しかし「人間の狂気」とかいう端正な言葉じゃないよね,あれは。)

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ちょっと回路を切り替えましょう。
マイケル・ウィンターボトムがイングマール・ベルイマンについて語ってます(ガーディアン)。ウィンターボトムだけじゃなくて,ウディ・アレンとかも。。。

ところでさ,ゴダールの新しいのは予習してったほうがいいんだろうか。

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転記前コメント&トラバ:

Cain
ぐぇぇぇぇぇぇ。
数年前に映画館で観た時の記憶がよみがえってきました。

> ……すまん,見たくない。

同感です……。
投稿者: ゲスト at 2005 年 09 月 24 日 09:53:20

今頃気づいた13日のニュース。

伊検察が再捜査打ち切り/30年前のパゾリーニ事件 2005/10/13 10:57
 【ローマ13日共同】30年前にローマで起きたイタリアの映画監督ピエル・パオロ・パゾリーニ氏殺害事件で、ローマ地検は12日までに再捜査の打ち切りを決めた。
 事件は、殺害を認め服役を終えた当時17歳の男性が今年5月「真犯人は別にいる」と語ったことから地検が再捜査を決定。監督の側近で、遺作「ソドムの市」の脚本を書いたセルジオ・チッティ氏も「真相は別にある」と語っていた。チッティ氏は今月11日、心臓病のため死亡。謎は永遠に残された。
 ……

▲ここまで,共同通信の記事より。

「謎めいた」じゃなくて本当に「謎」になってしまいました。せめてどこまでが「陰謀論」だったのか(「謀殺されたのだ」説とか)が明らかになるかもと,ちょっとくらいは思っていたのですが。

うーーん,30年。
投稿者: nofrills at 2005 年 10 月 27 日 11:12:23

トラックバック from WHAT'S FASHIONABLE
http://blog.guarda5.mond.jp/?eid=101975
"accattone"というイタリア映画を観た。60年代のイタリア、貧しい地区で希望を見出せずに生きる青年のあだ名がアッカットーネ(乞食という意味)。パゾリーニのデビュー作。 モノクロームの画面に当時のイタリアの無情なまでに明るい空が、主人公の視界をくらませているようだ。貧しいながらも陽気に暮らす仲間たちだが、社会に適応できず、自分の道を探し出せない彼。妻子と離れて暮らすも、ヒモのほかに稼ぎ口はない。恋した女性さえもその道に引き入れてしまう。どうしようもなく絶望的な空気の気だるさ。 あっけなく命を奪われるラスト。命を奪われた?誰に?生き様をすべて見ていた神に裁かれて?あるいは自ら絶望を振り払おうとせず生きていた彼が、無意識に望み呼び寄せた不運なのか?ラストシーンはゴダールの”勝手にしやがれ”へのオマージュ。
2005 年 09 月 28 日 22:26:50

※この記事は

2005年09月24日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼