kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年01月02日

年頭にあたり

nyc2.jpg

ここを閲覧くださっているみなさま、コメントをくださっているみなさま、そして北国tv管理者の佐藤さん、開発のご担当者さん、旧年中はお世話になりました。本年もよろしくお願い申し上げます。

以下、この年賀状で使用したフォント(フリーフォントもしくは無料お試し版)について、および使用したソフトについてなど。

ソフトとフォントはすべてフリーのものを使わせていただいています。作者の方々に御礼申し上げたいと思います。

◆画像
元日に撮影、極めて適当に。写真はflickrにもポスト。

◆使用ソフト
画像加工……JTrim(フリーソフト:ソフト作者WoodyBellsさんのサイトでDLできます)

レイアウト……OpenOffice.org(フリーソフト:OOo日本ユーザー会さんのサイトでDLできます)
→ワープロ(Writer)を使用。[書式]→[ページ]で背景画像を指定して、文字は普通にワープロで。

◆使用フォント
「あけましておめでとうございます」の文字……タイプラボさん「あられ」
→「無料お試し版」を使わせていただいています。

そのほかの文字……CHIPHEADさんの「しねきゃぷしょん」(映画字幕のようなフォント)

英字……Windowsに最初から入っているTrebuchet MS(印刷結果でこのフォントを選択)

◆プリンタ
EPSONのおととし出た機種(今はもう生産されてないし店頭にもないらしい)。「つよインク」使用。インクジェットのはがきへの写真の印刷は非常にきれいです。

というわけで、年賀状のための特別な出費は特にありません(もちろん、はがき代と電気代とインク代はありますが)。毎年こんな感じで作ってます。

宛名の面は、差出人は強引にワープロで打って、宛先は手書き。

で、これから投函しに行くので、お手元に届くのはけっこう遅くなるかと思いますが何卒よろしくお願いいたします。>年賀状宛先の皆様

年賀状の全体像:
My New Year's card
かなりビジー。というかレイアウトに無理がある。6枚の写真は2006年を象徴しています(←ほんとかよ)。


※この記事は

2006年01月02日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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