kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年01月19日

コニカミノルタがカメラ/写真事業から撤退の報。

コニカミノルタ、カメラから撤退 ソニーが「α」を継承
2006/01/19 15:41 更新
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0601/19/news047.html
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 コニカミノルタホールディングスは1月19日、カメラ事業、フォト事業から撤退すると発表した。カメラ事業は3月末で終了、デジタル一眼レフカメラの一部資産はソニーが取得し、同社は「αマウント」に準拠したデジタル一眼レフカメラ(DSLR)を今夏に発売する計画だ。
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 コニカミノルタは「デジタルカメラではCCDなどのイメージセンサー技術が中心となり、光学技術やメカトロ技術などの強みだけでは競争力のある強い商品をタイムリーに提供することが困難な状況」と撤退理由を説明している。銀塩フィルムなどのフォト事業も、デジタル化の進展で市場が縮小し、収益性が悪化。昨年11月にはフォトイメージング事業の縮小とリストラ策を発表していた…略…。
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 カメラ業界では昨年、京セラがカメラ事業から全面撤退している…略…。デジタル化の進展は優勝劣敗の原則を加速させ、ついに名門カメラメーカーをも撤退に追い込んだ。
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…略…
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 旧ミノルタは1928年創業の「日独写真機商店」が翌年、第1号機「ニフカレッテ」を発売してカメラ事業をスタート。…略…
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 旧コニカは、前身の「小西本店」が1902年に「チェリー手提用暗函」、翌年には国産初の印画紙を発売。1940年には国産初のカラーフィルムを発売し、その後「サクラカラー」で親しまれた。…略…


英語記事@ロイター:
Konica Minolta to quit camera, photo business
Thu Jan 19, 2006 7:37 AM GMT10
http://today.reuters.co.uk/news/newsArticle.aspx?type=technologyNews...

英語記事@Google News:
http://news.google.co.uk/news?...

Flickr: tagged="konica"
http://www.flickr.com/photos/tags/konica/clusters/

Flickr: tagged="minolta"
http://www.flickr.com/photos/tags/minolta/clusters/

ついでのようでアレですが,
Flickr: tagged="contax"(→関連記事
http://www.flickr.com/photos/tags/contax/clusters/


デジカメを買ったとき,店頭ではコニカミノルタのこれを強烈に薦められて,確かにホールドは腱鞘炎気味でもOKなくらいに安定してるし,手ぶれ補正はついてるし,何よりフォーカスが速いし面白そうな機能はついてるしでよさげだとは思ったのだが,大きいし,その上に異形だし,メーカーロゴは不恰好だしで「家に帰って1晩考えます」と保留にしてしまった。

あの外見は損してたと思います。
タグ:写真 日本

※この記事は

2006年01月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 19:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼