kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2005年01月17日

センター試験の問題と解答をオンラインで。

YOMIURI ONLINEさんで全科目の問題・解答と傾向分析(河合塾提供)が閲覧できます。「英語」はこちら

「英語」をざっと見てみただけですが,読む量がちょっと多めではあるけれど,内容は素直という印象でした。

それにしても,「国語1」の前代未聞のミスには,びっくりを通り越して唖然としてしまいました。

予備校とかからは,生徒募集の時期になると「出題的中」みたいな資料(?)が出されることがあると思うんですが(「当予備校の○○模試で出題したものと同じ」といった感じの),文部科学省検定の教科書が「的中」しちゃったってこと?

テレビのニュースで聞いたんですが,重複がないかどうか確認するためのデータのベースが,評論文のタイトルが基準だったそうです。それじゃあ第一段階のチェックにしかならないんではないかと私は思うんですが。。。

余談ですが,最近は「英語」の試験の読解問題は,オリジナルで文章を作成したり,あるいは新聞や雑誌の記事・論文から取ることがけっこう増えてきているように思うのですが,かつては,大学に入ってから読む基本文献みたいな超有名な文章から取られることがよくありました。

私自身が見たことのあるもので記憶に残っているのは,かなり前のものになりますが(もはや「赤本」にも載っていない年代のもの),都内の有名私立大の英文科の入試で,T. S. Eliotの評論。あと,やはり有名私立大でスーザン・ソンタグもあったような気がします。

さらに余談ですが,私自身が大学を受験したときには,旺文社の『英語標準問題精講』(原仙作著)を3度解きました。1度目は単語は予習した上で,教えられながら。2度目は教わった直後に素読みして復習&訳文作成。3度目は,2週間から1ヶ月ほど時間を置いて素読みと訳文作成。そのときに,覚えてなかった単語のリストや文法項目の一覧を作成。あとはそれを何度も見返す。

『英標』は,「これが“標準”なわけ?」と思わざるをえない内容で,当時は教わりながらやってもきつかったけれど,あとになってから,あれをやっといてよかった……と思うことが何度あったことか,という問題集。「即得点アップ」という意味では受験対策にはならなかったかもしれないけれど。

そんなことを思い出したので,「英標」でネットを検索してみたら,ある塾のサイトさんに行き着きました。同じサイトさんのなかに中学の教科書についてのページもあり,大変に興味深いです。


原 仙作 (著) 『英文標準問題精講』
いやほんと,もうこれは,「入試によく出る」とかいう色気抜きで,単に名文集です。(実は今でもときどき読んでたりする。)

→amazonのユーザー作成のリストマニア,「受験英語でやり直し 通訳ガイドレベル」はいい本が揃ってます。『和文英訳の修業』もやった……現物は行方不明。


タグ:英語

※この記事は

2005年01月17日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 20:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 英語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼