「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2005年06月15日

受験生がんばれ企画(<時期はずれ),"no more 〜 than ..."

ただ今のBBCトップのキャプチャ:
bbc-15june2005.png

Iraq 'no more safe than in 2003'
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4090626.stm

というわけで,受験生応援企画(?),no more 〜 than ...をちょっと解説しましょう。

noは概念的には「ゼロ」を表します。There is no milk in the bottle.とは,「瓶の中には量的にゼロのミルクが存在している」,すなわち「瓶の中にはミルクはない」という意味です。

つまり,no more 〜 than ...とは,「…よりもゼロだけ〜である」という意味,すなわち「…と変わらず〜である」の意味になります。

……と受験参考書のようなことを書いてるが,このBBC記事の見出し,
Iraq 'no more safe than in 2003'
とは,
「イラクの安全度は2003年と変わらない」
ということです。つまり「よくなってなんかない」と。

BBC記事を読むと,ラム爺自身が'no more safe than in 2003'と発言したのかどうかは微妙なところですが,ま,内容的にはそうですね。

記事本文にあるラム爺の発言の引用:
But asked if the security situation had improved, he admitted: "Statistically, no."


……(^^;)

Statisticallyってさ……statisticな何かなんて,そもそもあったんすか? 「イラクの健康省が,戦争での民間人犠牲者を数える作業をやめ,すでにまとめられている数字を発表しないようにとの指示を出した」っていう英語記事を私は2003年12月に読んどりますが。(<イヤミです。念のため。)

以下は余談である。

"But clearly it has been getting better as we've gone along," he added.

"A lot of bad things that could have happened have not happened."


……(^^;) ラム爺節炸裂してますがな。 there are known unknowns; there are things we know we know. We also know there are known unknowns ...

そして彼は言う。
"The important thing ... is to recognise that this insurgency is going to be defeated not by the coalition - it's going to be defeated by the Iraqi people and by the Iraqi security forces, and that it's going to happen as the Iraq people begin to believe they've got a future in that country," he said.


……おまえが言うなって。

ここ数週間の英国ニュースで,京都議定書の「温室効果ガス(象徴的にはCO2)悪者説」がいつのまにか「原子力発電イケイケ」になってった過程を何となく追っていたんですが,上のラム爺の「いやー,この問題はコーリションが対処すべき問題じゃなくて,イラクの人たちが対処すべき問題でしょ」発言の捻転具合は,なんだかそれととてもよく似ているように思われる。

※この記事は

2005年06月15日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 12:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 英語/実例 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼