kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2005年10月31日

「鯨構文」実例発見!

「鯨構文」=A whale is no more a fish than a horse is.

「んなの使わないよ」ということで最近は冷遇されている「受験用の構文」のひとつかもしれませんが,私はこの構文には相当頭を悩ませられたけど,これのおかげで英語がちょっとはわかるようになったので,この構文には感謝しているのです。が,そうそう実例にはお目にかかれない。だから見たら収集。(前回の収集物はこちら。)

というわけで,実例。

20世紀はじめに英国首相だったHerbert Asquithの言葉です。
"You can no more split Ireland into two parts than you can split England or Scotland into parts. Ireland is a nation; not two nations, but one nation. There are few cases in history, and, as a student of history in a humble way, I myself know of none, of a nationality at once so distinct, so persistent, and so assimilative as the Irish."


Asquith(アスクィス。「アスキス」とカタカナで書くとちょっと。。。(^^;)は第一次大戦時の首相。彼の後がかのロイド・ジョージ。

http://ww1.m78.com/hito/asquith.html
http://www.bbc.co.uk/history/historic_figures/asquith_herbert.shtml

というか,1916年のイースター蜂起のときの英国首相なんだよね。

ちなみに「イングランド」と「スコットランド」はそれぞれnationです。だからナショナル・フラッグは別(イングランドは白地に赤の十字,スコットランドは青地に白の斜めの十字),サッカー協会も別。

イギリスはややこしい。。。

そして,Asquithが「ひとつのネイション」と言っているアイルランドも,数百年に及ぶ植民地支配のために,「アイリッシュ」の定義がかなり難しいことになってしまっていた。ジョナサン・スウィフト,エドマンド・バーク,ウルフ・トーン,オスカー・ワイルド,ウィリアム・バトラー・イエイツ。。。彼らは「アングロ・アイリッシュ」。

本日のネタ元:
http://unitedirelander.blogspot.com/2005/10/herbert-asquith-understood.html

※この記事は

2005年10月31日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 22:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 英語/実例 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼