「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2005年12月15日

「鯨構文」ことno more 〜 than ... 実例

no more 〜 than ... (「鯨構文」)の実例を発見した。15日付ガーディアン記事。

発見した実例:
Australia is no more racist than Britain, argues Germaine Greer.
対訳:「オーストラリアが人種差別的である度合いは、英国がそうである度合いと同程度である、とジャーメイン・グリアが論説」
(「オーストラリアが人種差別的であるというのなら英国もそうだということになる」、「英国が人種差別的でないのと同様にオーストラリアは人種差別的ではない」などという内容であると解釈できる。ただしこの特定の事例についての「解釈」は“公式どおり”には行かない。詳細は「続きを読む」で。)

発見場所:
12月15日付け、ガーディアンのトップページ(http://www.guardian.co.uk/)・・・下記画像はそのキャプチャ。

nomorethan-aus.png
※画像の該当部分に赤い下線を加えてある。関係ないが、キャプチャ画面の一番上、「ロイ・キーン、セルティックと2007年まで契約」は“たった今入ってきた速報”。

該当記事は:
http://www.guardian.co.uk/australia/story/0,12070,1667659,00.html

記事の内容について:
最近あまりネットに接続していなくてここまでの報道を知らないためによくわからないのだが、オーストラリアのシドニーの海岸で、「アングロズ」(白人)と「レブズ」(レバノン系)との間で争い(beach wars)が起きていて、それが英国では「オーストラリアはレイシスト」というように報じられているらしい。それに“反論”するのがこの論説記事の目的――というか、“反論”してみせる素振りなのだろうが。

内容については、私は背景をまったく理解していないので、記事から得られる情報以外には、何ともいえない。

記事の最初のパラグラフは、「アングロズ」側司令官ら(commanders-in-chief)からのコミュニケの抜粋だけで構成されており、その中にAnzacsというキーワードがあるが(「われわれはAnzacsの子孫である」云々)、Anzacsとは第一次大戦で戦ったthe Australia and New Zealand Army Corpsのことを指す。Anzacsはとりわけガリポリ上陸作戦(オスマン帝国領土への上陸作戦で、Anzacsがその一部となっていた英軍側は惨敗)で知られている。

※「第1次大戦と20世紀」のサイトさんの下記記事を参考にさせていただいています。
ガリポリ上陸戦
アンザック軍団

さて、メインのトピックである
Australia is no more racist than Britain, argues Germaine Greer.
というno more 〜 than ... の文だが、これは案外難しい。解釈はコンテクストに依存するものではあるが、通例、これを「英国が人種差別的であるのと同様にオーストラリアも人種差別的である」と解釈することはしない(機械的に解釈すれば、「英国が人種差別的でないのと同様に、オーストラリアは人種差別的ではない」となるだろう)。しかしこの例では、要約でno more 〜 than ... だけで表されている部分は、本文では次のようになっている。

Australia is as racist as Britain, no more, no less.


つまり、記事を書いた人は、「オーストラリアは英国と同程度にレイシストである」ということを、as 〜 as ...とno moreとno lessの3種類の「構文」を使って書いている。これは、記事を書いた人が心底から「同程度なのだ」ということを言いたいということを表している。前回のアスクィスのことば(You can no more split Ireland into two parts than you can split England or Scotland into parts.)でのno more 〜 than ...とはちょっと違う用法のようだ。

記事は次のように続いている。(繰り返して引用することになる部分はブラケットで囲んだ。)

[Australia is as racist as Britain, no more, no less.] Australian racism derives from the same bottomless source as British racism - from universal ignorance and working-class frustration, reinforced by an unshakeable conviction of British superiority over all other nations on earth, especially the swarthy ones. If Australia had been colonised by any other nation but the British, it would be less racist.


……すごいことを書いている。(^^;)

これを、ウェブ版のトップページや記事のページの冒頭で、Australia is as racist as Britainではなく、Australia is no more racist than Britainと要約することの意図は、おそらく、ウェブ版の読者に「えっ?」と思わせて、記事そのものを読ませたい、ということではないかと思う。いわば「オーストラリアは人種差別的」という報道を読者が既に読んでいることを逆手に取ったみたいな形。

それは、冒頭のAnzacsという概念が登場するアングロズ側のコミュニケ(しかもcheifs-in-commandから出されたもの)を読まされたところで「レイシストではない」という結論にたどり着くのは、非常に難しいことからだけでもわかるのだが。

上に引用した部分を含むパラグラフの次のパラグラフは、「ニュー・サウス・ウェールズ州の知事はレバノン系の女性であり、その配偶者はやはりレバノン系でオーストラリア・ラグビー・ユニオンのヒーローで、さらにラグビー界には別のレバノン系の選手がおり、かつまたレバノン系でもクリスチャンは多文化社会で非常にうまくやっている(do well)」と記述されている(こういう、具体例列挙の箇所は、ざっと読み飛ばせばよい)。そして、「問題のひとつは、カトリック系の学校で『中東系の風貌の男が』発砲した」といった言い方である、と続く。パラグラフの締めは、「どんなことがあろうとnew Anzacsのmindsetを変えることはない」。

その後のパラグラフでも、「ビーチ戦争は別に新しいものではない」としつつ、やはり『中東系の風貌の男が』という言い方が為されていることが指摘されている。というか、そういう言い方が為されているということに焦点をあわせるように書かれている。

そしていくつかのパラグラフの後、記事の最後は、
Even if the police manage to lock Cronulla down, the new Anzacs will regroup in the time that it takes to send a text message, faster than the police can reorganise to intercept them, and Lebanese Muslim youths, inspired by rap, ablaze with bling, armed to the teeth in their customised cars, will race to meet them. Already "patriotic" troops are massing on the Gold Coast and in the suburbs of Perth. This looks like being a bloody summer in Australia.


……これを読むと、やはり、トップページなどでno more 〜 than ...で要約したのは、英国にいる読者に記事を読ませたい、ということが理由なんだろう。

「ことばは生き物」っていうののひとつがこういうことだ。つまり要約文を機械的に「鯨構文」(=A whale is no more a fish than a horse is./鯨が魚でないのは、馬が魚でないのと同じである)だと決めてかかってこの記事を読むと、「英国はレイシストではない」+「オーストラリアもレイシストではない」ということになり、記事の内容とまったく逆の解釈をしてしまうことになる。

最後に、余談になるが、no more 〜 than ... と混同しやすいものとして問題集とかに挙げられているno more than 〜が、同じ記事の別の箇所に出ているので、それもちょっと見ておこう。

記事の終わりから5パラグラフ目の冒頭部分:
The latest events might be no more than skirmishes in the usual beach wars.

対訳:「今回の出来事は、いつものビーチ戦争の小競り合い以上のものではないかもしれない」=「いつもの小競り合いにすぎない」

no more than 〜は、参考書とか問題集とかでは「= only」と説明されているが、この例も意味的にはそう。ただしonlyと書くよりもずっと意味が強められている。

※no more 〜 than ...とno more than 〜は別物なので、そこは要注意。前者は〈比較級(more 〜 than ...)にnoがついた形〉というのがベース。(「鯨構文」の例文では「〜」のところに名詞があるから話がややこしくなっている。)

[no more 〜 than ...]
A is no more expensive than B is.(Aは高いことは高いがBも高い。)
cf. A is more expensive than C is.(AはCより高い。)
cf. A is less expensive than D is.(AはDより安い。)

[no more than 〜]
That is no more than a memo; nothing official.(それはただのメモ以上のものではない。つまり、何ら公的なものではない。)

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追記:

実例追加
He said Muslims who committed acts of terrorism were no more true to their faith than the "Protestant bigot" who murdered Catholics in Northern Ireland.
http://news.bbc.co.uk/1/hi/northern_ireland/4831804.stm

詳細は:
http://ch.kitaguni.tv/u/917/todays_news_from_uk/0000335603.html
at 2006 年 03 月 23 日 02:13:22

※この記事は

2005年12月15日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼