「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2012年01月12日

流血が止まらない。



シリアのホムスで行われていた「官製ツアー」が手榴弾で攻撃され、8人も亡くなった。その中に、取材中だったフランスのテレビ局、France 2のGilles Jacquierさんがいた。43歳。リビアのミスラタで殺されたヘザリントンさん、ホンドロスさんも「アラフォー」だった。だから何ということではない。ただ「伝える」役割の人がこういうことになるのは、本当に悲しいことだ。

フランス語、英語、日本語とイタリア語のツイートで捕捉できたものだけ、アーカイヴしてある。

シリア、ホムスでの「官製ツアー」中、フランス人TV記者死亡 #Syrjp
http://togetter.com/li/240294

3月15日に反アサド政権抗議行動が始まって初めて、シリアで西洋人ジャーナリストの死者が出たことになる。それが、一時BHLが表に出てきてリビアと同様の方針を主導するような雰囲気を漂わせていたフランスの国籍の人だったことがどう出るか……Togetterに含めてあるが、フランスの外相もエリゼ宮も、かなり強い調子だ。シリア周辺は本当にtangled webの状態なので、そんなに急激には動かないだろうとは思うが……。

なお、シリアにはアラブ連盟の監視団が入っているが、「監視団がいてもアサド政権はデモ隊を殺すことをやめようとしない。監視団はいてもいなくても同じ」ということでやる気を失ってしまった人が離脱、というニュースもあった。
http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/middleeast/syria/9006774/Arab-League-monitor-quits-Syria-in-disgust.html

イランの核科学者については、ガーディアンのエルサレム特派員、ハリエット・シャーウッド記者が、非常に興味深い記事を書いている。

Iran nuclear scientist's death followed Israeli warning of 'unnatural' events
Wednesday 11 January 2012 15.57 GMT
http://www.guardian.co.uk/world/2012/jan/11/iran-scientist-death-israeli-warning

イスラエルのあの機関が「警告」をしていたというのは、特に興味深いわけではない。そこではなくこれ。
Le Figaro, the French daily, swiftly weighed in with a report claiming that Israeli intelligence had recruited Iranian dissidents from Iraqi Kurdistan to gather information on Iran's nuclear programme and target its experts.

フランスでイランといえばこの人だが、そっちもニュースが出てこないかどうか、注目しておかないと。

※この記事は

2012年01月12日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 07:20 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。