「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2012年01月11日

デリーで爆発音、原因は不明。でも「パニック」状態。

現地時間10日(火)午後5時少し前、デリーで爆発音がしたそうだ。

爆発物が仕掛けられた場合、通例、「爆発音がした」ときたら、死傷者の有無、建物などへの損害の有無が報じられると同時に、「警察が一帯を封鎖し、住民を避難させた」的なことが記事になり、続いて→「警察が爆発物はかくかくしかじかのものであると説明し、このようなことをすれば人が死傷すると非難の声明を出した」&「その地域の選出議員が連中の居場所はないと怒りをあらわにした」→「警察は武装組織ほにゃららの犯行と見ている」and/or「武装組織ほにゃららが犯行を認めている」→「警察と軍の爆発物処理班は一帯の安全を確認し、封鎖を解除した」というような流れで1セット、これが数時間から12時間くらいの間に完了する。

しかし火曜日の「爆発」は様子が違う。何しろ、現地水曜日の午後2時(日本時間午後11時)になってもこうなのだ。いくら「爆発音」のしたときにはもう暗くなっていたので現場の確認が十分にできなかったとはいえ、20時間近く経過しようというときになっても、これ?


つまり、「爆発音」があったことは確かだが(それも「平日の夕方に、10キロ離れた場所でも聞こえた」、「窓ガラスが振動した」などの報告がある)、原因がまだわかっていない。

「爆発」といえば、普通に考えてボムか、ガス爆発の類の事故だが、いずれの場合であれ痕跡は残るし、その痕跡を警察や記者が見れば何らかの情報が出てくるはずで、20時間経過しても「原因不明の爆発音」のままでいるということはまずない。現地では「トラックのタイヤが破裂した」との説も取り沙汰されているが、それだったらなおさら、「自分のトラックのタイヤが破裂しました」という人が出てこないのは不思議だ(→川の対岸で目撃情報&タイヤ片あり)。大陸で、短時間の間に別の国・言語圏に移動してしまったという可能性があるならともかく、ここはアイルランド(島)だ。

……いやまて、そのトラックの運転手がプラヴォ・ヤズディさんだった場合は、英語(およびアイルランド語)のニュースはわからないかもしれない……それにしても、タイヤが破裂すれば気づかないはずがないし。

ともあれ、最初に「爆発音がした」という話が広まったときのTwitterのログ:

一番下は北アイルランド警察のツイート(タイムスタンプは11日02:21 JST)。これで「爆発音がした」ということが事実として確定したのだが、その先が進んでいないのだ。一時、議員か誰かのコメントとして、「警察を標的とした攻撃事件の可能性もある」といった報道もあったが、その発言自体、特に具体的根拠があったわけではなく「噂が本当ならば」という前提条件つきだった。(chirpstoryに含めてはあるが、ここではリンクはしない。)

事実として確定していることを改めてみてみよう。報告・報道によると、火曜午後5時前に「爆発音」がしたのは、デリーの旧市街側(シティサイド: カトリックのボグサイド地区のある側)ではなくフォイル川を渡った東岸のウォーターサイドで、ここは基本的にプロテスタントのエリアである。報道に出ている地名としては、Spencer Road... 聞いたことあるな、と思ったら2010年8月のアプレンティス・ボーイズのパレードのときにボム・アラートがあった通りだ。(ちなみにこの年のこのパレードのときには、ラーガンでゴミ箱に入れられたボムが爆発し、子供が負傷している。)以下、当時のTwitter(ブログに貼り付けてある)から:

さっきはてブ経由でtweetしたデリーでのボムアラート他の記事 http://htn.to/3GWoxR アップデートされている。デリーでアラートの現場に行った警官にペトロルボム5発が投げられた。陸軍爆発物処理班が現場に呼ばれた。地域のゲストハウスからは人々が退避させられた。 
at 08/14 17:47
→この「アラートの現場」がSpencer Road.

ロンドンデリー・センティネルまで見てようやく見つかった、デリーでのセキュリティアラートの顛末。アラートが出たのが午前2時、火炎瓶投げは午前3時。そんな時間にゲストハウス全員退避か… /Security alert cleared… http://htn.to/pWCH6Z 
at 08/15 04:37

デリーのセキュリティ・アラートで火炎瓶投げがあった通りはロンドンデリー・センティネルの編集部のある通りだ。左手前が全員退避となったゲストハウス。 / Spencer Road, Derry - Google マップ http://htn.to/DXdm3G 
at 08/15 04:43

14日朝2時ごろデリーのウォーターサイドでパラミリタリー・スタイルの襲撃(バラクラバ、ゴルフクラブに金槌)があり、20代男性が頭と手に負傷。 / RTÉ News: Man injured in Derry paramilitary-s… http://htn.to/ohDSCz 
at 08/15 08:12


このSpencer Roadという通りには、デリー/ロンドンデリーのプロテスタント側の地域新聞であるLondonderry Sentinelの編集部がある。しかしこの新聞、早速見てみるとオンライン版がものっすごい縮小されていて(前に見たときは、カトリック側の地域新聞であるデリー・ジャーナルより少し規模が小さいかな、程度の内容はあった)、自分たちの編集部のある通りでの非常事態についての記事がない、という状態だ。



場所は、BBCの下記映像は:


この地点のようだ:

大きな地図で見る

見ての通り、普通の2車線(+駐車スペース)の道路の両脇に、商店や住宅がぎっしりと立ち並んだ、built-up areaだ。

警察はとりあえず、この一帯の人々を公民館的な施設に避難させている。ベルファスト・テレグラフ:

Dozens forced to flee Derry bomb alert
Mysterious explosion is probed by police
By Donna Deeney
Wednesday, 11 January 2012
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/northern-ireland/dozens-forced-to-flee-derry-bomb-alert-16101858.html

この記事には、フォイル川対岸のJohn Streetで窓ガラスが割れたという報告がある。(この記事だけでなくほかにもあったかもしれない。)地図を見ると、川を挟んで300〜400メートルは離れている。爆風ということはないだろうし、もしもこの爆発が原因なら衝撃波だろうけれど、そんなことがありうるのかどうかよくわからない。記述から判断するに、周囲ではそんな被害は出ていなさそうだ。

現場(がどこなのかもよくわからないが)近くにいて、爆発音を聞いた人々の中には、このエリアに住んでいるSDLPの地方議会議員もいる。その人の証言。
among those who did hear it was SDLP Councillor Gerard Diver (right) who lives in the Waterside.

He said: "Honestly, I would be surprised if this was just a tyre blow-out which I would have thought would have been short and sharp.

"This explosion reverberated around my house.

"My daughter who was upstairs at the time said she could feel the floorboards vibrate under her feet.

"It certainly sounded as if it was a lot more substantial than a tyre − even one from a HGV.

"But it is strange that hours after it happened the cause of it is still unclear."

まさにおっしゃるとおり。

でもボムだとしたら、残骸がないのはおかしい。

どこかよその土地だったら、「タイヤの破裂の音と衝撃が何らかの原因で増幅したのだろう」といった方向に思考が向かうかもしれないが、ここはデリーだ。それも、2010年の夏のアプレンティス・ボーイズのときに、ディシデント・リパブリカン(ONHだったそうだが)の標的にされた地域だ。

しかも、この「爆発音」の前日には、フォイル川の対岸(シティサイド)だが、ナショナリストの地域とプロテスタントの地域を分けている(互いの地域を他方の襲撃から守っている)ピースウォールが、金槌で壊されるという事件が起きているのだ。

やられたのはだいたいこの場所(ユニオン旗が掲げられているポールの向こうの植え込みのさらに向こうがの壁)。たぶんこの建物の裏手に非常に近いところの壁だ。


大きな地図で見る

ナショナリスト側から見た映像は、UTVにある。
http://www.u.tv/News/PSNI-seek-pair-over-peace-wall-attack/b78303da-dae9-4001-afd3-32912574a887

映像レポートでも言ってるが、レンガの壁をとんかちでこんだけ壊したら、かなりうるさいと思うんだけど……。冬だから窓がっちり閉めているだろうし、テレビでもつけていたら聞こえないのかもしれないし、聞こえたとしても、「また若いのが騒いでいる」程度に流してしまったのかもしれないが。

ともあれ、ここで特に「問題」とされたのは、監視カメラ(CCTV)があるのに、何ら抑止力にならなかった、ということだった。

街全体が(というかプロテスタントのエリアが)そんなふうに過敏になっているときに、かなり最近標的とされたことのある場所で、報告されているような「ものすごい爆発音」があれば、パニック的な反応になるのも無理はないと思う。

ベルテレ記事から:
Residents in the Waterside told of their alarm after police arrived to evacuate them from their homes four hours after the mystery explosion.

Many people enjoying a quiet night in were shocked as officers advised them to clear out of their homes as they probed the cause of the early evening blast.

The explosion shook floorboards and rattled windows in homes across the city during rush hour and as people prepared dinner.

The blast sparked a multitude of calls to the police, but strangely there was no obvious cause. As darkness descended senior police officers took the decision to evacuate families from the mid-Waterside area of Spencer Road, Dunfield Terrace, and Moore Street as a precautionary measure.

Among those who hastily gathered their belongings, not knowing if they would be out of their homes for a few hours or all night, were Ellen Plews and her husband Don. ...

避難した人たちの中には、EU域内から来ている人たちもいて、リトアニアの人は「こういうことには慣れていない」と困惑している(そりゃそうだろう)。

まあ、この時間帯、デリーでUFOの目撃談もあるので、「UFOが何かした」のかもしれない。そうですよね、矢追さん!



上で場所を示すためにキャプチャしたBBCの映像(キャプチャでは「今は再生できませんでした」のエラーメッセージが出ている)に、シティサイドでのタイヤ破裂(残骸あり)が報告されている。
http://www.bbc.co.uk/news/uk-northern-ireland-16515971

現地11日午後に、スペンサー・ロードの封鎖は解除され、住民も帰宅を許可されたそうだ。
http://www.bbc.co.uk/news/uk-northern-ireland-16495342
Police have said the Spencer Road reopened at 13:00 GMT on Wednesday.

They have also said that Fountain Hill and Moore Street has reopened. Police searches in the area over the coming days will focus on the car park at the Quarry Steps behind Spencer Road.


で、映像にも記事にもあるのだけど、ファウンテン・ヒルのほうで(だと思う)覆面の男2人が立ち去るのを見た、という目撃情報があるが、これがまったくよくわからない。「そこで爆発があった」という地点が見つかっていないのだから当然だ。この日、雨で寒そうだし、ダウンジャケットのフードをかぶるとかニット帽をかぶるとかして、黒っぽい色のマフラーで顔の下半分を覆っていたら、「覆面男」に見えるし。

ほんとに意味わかんないです……。

UTVも映像あり。BBCより説明がわかりやすいかも。
http://www.u.tv/News/Confusion-remains-over-Derry-blast/6e1604a4-c056-4bb9-a8c5-a9ab1f8cf6f7

タイヤの破裂の件:
Such a tyre blow-out did happen at the time in the John Street area in the Cityside, directly across the River Foyle, with eye-witnesses claiming it did "sound like a bomb" - but it's not yet clear if that would have been heard across such distances as have been reported.

……にしても、10キロ離れたところまで音が聞こえるようなことにはなりえないし。(コメント欄でも何人かがそう言ってる。「タイヤ破裂の音が6マイル先で聞こえたり、窓を振動させたりはしないだろう」と。)

シティサイドでのタイヤ破裂と同じタイミングで、ウォーターサイドでは例えば子供が爆竹で遊んでいて、空港(10キロ離れたところ)で別のタイヤが破裂……などという偶然が重なることは、考えられないし。

やっぱりUF(略



シティサイドのピース・ウォールの件:
http://www.bbc.co.uk/news/uk-northern-ireland-foyle-west-16465343

木曜日に住民たちの抗議行動が行われるようだ。たぶんサイレント・プロテストの形だろう。

Residents protest over 'sectarian' peace wall attack
Wednesday, 11 January 2012
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/northern-ireland/residents-protest-over-sectarian-peace-wall-attack-16101871.html

これはNIでよく行われる "Not in my name" の抗議ではなく、「被害住民一同」の抗議。といっても自分たちだけで固まろうというのではなく、ピースウォールの向こうにも参加を呼びかけている。
People from the Fountain will gather tomorrow under a banner reading ‘Ceasefire on Fountain Residents’, and are hoping residents from Bishop Street will join them.


シティサイドのファウンテン地区は、フォイル川西岸で唯一のプロテスタント居住区で、周りはカトリックの地区なので(東ベルファストのショート・ストランドと逆の構図)、本当に「包囲の心理」もあると思うけど、Google Street Viewでこの地区を見ると、(^^;) ←こんな顔にならざるを得ません。

撮影が「2009年7月」とあるし、つまり下記はゴミではなく、7月12日のお祭りの前夜祭のボンファイヤ用の木材なのだけど、「UDA」とか「UFF」とかいう文字がね。何でこの組織の名称がこんな板に、というのは即断はできないけど。


※この記事は

2012年01月11日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼