「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2012年01月11日

【メモ】立て続けに「えっ、また?」となった件、および、ソースが1つしかない件(re: イラン)

今日はイランについて、「えっ、また?」と反応したニュースが立て続けに2件ある。

1件目は日本時間では夜中で、イランの船(に乗っている人々)が米国の船に救助された、というニュースだ(漁船が救難信号を出し、米沿岸警備隊に救助された)。ガーディアンに掲載されているAP記事では、US rescues Iranians at sea – again などというタイトルがついているが、先週木曜日に同じように米国の船がイランの漁師たちを救出するというニュースがあったばかりだ(こっちはソマリアの海賊関連で、救出したのは米海軍)。木曜日の件については、テヘランは「人道的行為であった」と述べ、一般人の日常生活でいえば「助かりました〜、ありがとうございます」未満の「ああ、どうもっす」というようなお礼なのかどうなのか微妙、というような反応をみせている(カナダのCBCの記事では、米軍人が漁師を抱きしめ、横に立っている米軍人も安堵の笑顔を浮かべている写真がある)。

帰国した漁師たちが嫌がらせを受けたり、何らかの圧力にさらされたりしなければよいが、とは思うものの、この1件目の「えっ、また?」は、方向性としては、「よいニュース」に属する。しかし2件目はそうではない。

「2件目」はこれだ。

Iran car explosion 'kills nuclear scientist' in Tehran
11 January 2012 Last updated at 08:19 GMT
http://www.bbc.co.uk/news/world-middle-east-16501566
(→版が変わるかもしれないので魚拓も念のため)

A university lecturer and nuclear scientist has been killed in a car explosion in north Tehran, reports say.

Iranian media sources named the casualty as Mostafa Ahmadi-Roshan, an academic who also worked at the Natanz uranium enrichment facility.

BBCが参照している「イランのメディア」がどこなのかは、全部は示されていないが、記事の後ろの方に「Farsによると」という記述がある。

そのFarsの記事(英語版)は下記。
http://english.farsnews.com/newstext.php?nn=9010170677
(→一応、魚拓っておく)

今回の爆弾事件(爆殺事件)の詳細や、これが「えっ、また?」である点については、BBCの記事を見れば誰にでもわかると思うのでここでは説明を割愛する。

なお、ここで「英語メディア」といってNYTなどを見たりすると、情報処理としてたぶん非常にめんどくさいことになるのでご注意。米国の報道では、現状、NYTよりWaPoの方が地に足がついているようだ。(私はイラン関連で、英国の報道があるときに、わざわざ米国の報道を見ようとは思わないが。)

閑話休題。

で、この「核科学者爆殺事件」について、BBC以外の英メディアの報道を見てみようと思ってガーディアンに飛んだら、爆殺事件の記事はまだ上がっておらず、その代わり、「3月の議会選挙で立候補を禁止される現役議員たち」という報告があった。

Iran bans MPs from standing for re-election to parliament
Saeed Kamali Dehghan
Tuesday 10 January 2012 18.24 GMT
http://www.guardian.co.uk/world/2012/jan/10/iran-bans-mps-re-election

At least 33 Iranian MPs were told on Tuesday that their candidacies had not been approved even though they currently serve in the parliament, local news agencies reported.

Many reformist MPs and even some conservatives are among those barred from running in the March vote, which the country's intelligence minister has described as "the most sensitive elections" since the 1979 Islamic revolution.

……という次第で、改革派はおろか、保守派でも立候補できないことになる現役議員がいる、という。

そういった保守派として記事で言及されている1人が、Ali Motahari議員だ。この人のお父さんはアヤトラ・モルテザ・モタハリ、1979年イスラム革命のキーパーソンの1人。アリ・モタハリ議員は政府の政治・経済の舵取りについて歯に衣を着せぬ批判をおこなっており、アフマディネジャド大統領に対する弾劾決議を主導したとの由。

アリ・モタハリ議員は「外国の報道機関の取材には応じることができない」との理由でガーディアンのインタビュー依頼を断っているという。別の議員も「英国の報道機関の取材には(以下同文)」との理由で直接の取材に応じていない、と記者は書く。

そして、テヘランのHamidreza Katouzian議員(保守派で、09年はムサヴィ支持)も立候補できないと述べたあとで、イラン国内の通信社(the semi-official Ilna news agency)の取材を引用して、Peyman Forouzesh議員のコメントを紹介している。「過去において私たちが大統領に疑問を呈したことが、私たちが今回立候補できない理由である」と議員は述べている。

このサイードさんという記者は、2009年の選挙不正抗議運動のときにテヘランから伝えていた人(あのときは匿名だったはず)。ガーディアンのプロフィールの記述を見るに、今は国外拠点だろう。サイードさんは、ガーディアンで名前を出して書くようになってから何度か、「この件についてはこの人しか書いてない」という記事を出してきている。

今回のこの「現役議員が立候補できない」という記事も、内容はかなり深刻だし憂慮される事態なのだが(「緑の海」のムサヴィさん、カルビさんはいまだ自宅軟禁下にある)、私の探し方が悪いのだろうが、他の英語圏メディアの記事が見当たらない。

探し方が悪いというのは、キーワードが iran election ban 程度では、「経済制裁(原油の禁輸)について、米共和党の大統領候補候補たちはこのように述べた」みたいな記事ばかり出てくるということだ。じゃあどうすればっていうのも途方に暮れる。

しょうがないのでサイードさんのガーディアン記事で一番目立っていた保守派のアリ・モタハリ議員の名前で検索すると:



…… (;_;)

Payvand(米西海岸拠点のイランについてのニュースサイト)は記事2件あるけど、12月15日のは選挙関係ないし、26日のは「ムサヴィ&カルビ支持者や選挙不正抗議参加者が立候補できないようにするのは誤りだ。まともな選挙をやって、わが国に敵対的な態度を取る者どもをあっと言わせよう」と発言しているというイラン国内の報道(どこの通信社なのかが書かれていない)の英訳リレー記事だ。

その後、「立候補禁止」ということになった、というのがガーディアンの記事で、私が探しているのはそれについての報道である。

Google Newsにヒットした記事のうち、イラン国内筋はPress TVの12月25日記事1件だけだが、これはPayvandの26日記事と同じ(ただし文言が「イラン公式」モードなので、読みなれてない人はアタると思う)。

以上、メモ終了。

あ、そうだ。The Atlanticですばらしい写真集があったので、ぜひ。結婚式、クルドの踊り、皆既月蝕、絨毯織り、最近できたばかりの動物保護センター(犬を保護している)、本当に「アングラ」の音楽バンド、サッカーのサポさんたち、相変わらず派手目のクリスマス、基督教徒、ユダヤ教徒(イラン国内にいるんですよ)、稲の収穫(東南アジアっぽい光景)、小さな羊飼い、流鏑馬(としかいいようのないもの)……全部で42点。

A View Inside Iran
Jan 6, 2012
http://www.theatlantic.com/infocus/2012/01/a-view-inside-iran/100219/

絨毯を織る職人さんの手なんて、「ホルムズ海峡がー」、「開戦がー」みたいなセンセーショナリズムばかり見ていると、そういうものが存在するという可能性すら、念頭に浮かばない。(これは例えばシリアの報道などでも同じ。パレスチナであれアフガニスタンであれナイジェリアであれソマリアであれ、何らかの形で伝えられるときは「混乱」、「紛争」ばかり、という場所については常にそう。)

なお、北アイルランド関連の下書きが10件以上あって(要領悪すぎと思うでしょ。私もそう思う)、それを片付けないうちに月末(1972年1月30日から40年)になるという悲惨な状態にはなりたくないので、イランにはほとんど時間を割くことはできないと思います。元々、私は基本的に英メディアを見てるだけで、特に知識もないので、イランについては読んでるもの以外については質問されても答えられません。宜しくお願いします。

※この記事は

2012年01月11日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 19:00 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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