「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2003年10月04日

ブレアの目には涙。

「鬼の目にも涙」と言えば,「どんなに冷酷な人でも涙を浮かべてしまう」のことですが,「ブレアの目に涙」は「極度の自己陶酔」とか「信じこんだ挙げ句の気分の高揚」のことであるようです。

労働党の党大会でブレアの目には涙が。

ガーディアンに1コマ漫画を連載しているスティーヴ・ベルは,次のようにコメントしています。(出典
This speech is positively disturbing. His air of self-obsession is such that he has actually moved himself to tears. He almost chokes on his own words, his vein throbs more alarmingly and the tracks of a tear appear in the corner of his barmy eye. His chin is flecked with drool. This is truly unprecedented.


いやもう,とにかく,党大会というものを感情が支配するということだけで,ものすごーーーーーーくウンザリしてしまう話なので,記事をいろいろ読もうという気にもなりません。なので記事探しもしてません。まあ一応Google Newsは見ましたが。

ブレアはかつて役者志望だったそうです。(あまりにいろいろと読み散らかしているので出典は忘れてしまいました。)日本でもよく知られている「ロックスター志望のオックスフォード大学生」というブレアのイメージが本当だったとしたら,そしてブレアの大学生時代(1953年生まれだから,1970年ごろ)の「ロックスター」というのを考えると,って頭に雑音,映画『ジーザス・クライスト・スーパースター』の画像が。何しろブレアは熱心なキリスト教徒です。私の頭に雑音が入るからといって,誰が私を責められましょう。

英語で「大根役者」の意味を表す表現に,ham actor というのがあります。語源としては「切っても同じだから」という説もあるようですが,「ハムレットを演じたがる役者にロクなのはいない」という説が有力なようです。(ちなみに「大根役者」は「(大根はどんなに食っても)当たらない」が語源だそうです。)

悪いことに,私が勝手にイメージしている「ハムレットをやりたがる役者」というのは,映画Withnail and I の影響もあるのですが,あの手の顔なのです――面長で痩せ型,瞳はブルー,唇は薄め,みたいな。

ここまで頭の中で調合すれば,猿芝居(おっと,「猿」まで出てきた)の完成です。更にブレアとブラウンの権力闘争も絡めると,お昼の連続ドラマくらいに波乱万丈になりそうです。

暗い上におもしろくもない冗談はさておき,こういう場合,一番切れ味がよいのは保守系のテレグラフなので,昨日はとりあえずテレグラフだけ見に行きましたが(ここです),その後ガーディアン記事(Moved to tears. But that was just Tony)を在英の知己が知らせてくれました。その人からのメールの内容を援用させてもらいます(許諾済み:文章は改変)。

党大会での,対イラク戦争に関するブレアの発言……"I do not apologise"とか"I' proud of what we've done"という首相の表現について,子供は「それって,よく小さい子が泣きながら言うよね」と言っていました。


……「生きた英語」を教えてくれてありがとう。>子供さんとブレアさん。

ついでなので,発言全文にもリンクしておきます。
Blair speech: Text in full (BBC)

もっとついでながら,LabourをNew Labourに変えた主役,トニー・ブレアについて,とても簡潔にまとめられている日本語の文章もリンクしておきます。
http://www.yomiuri.co.jp/nenkan/nenkan2000/nenkan02/15.htm
↑に「簡単な言葉を伝道師のように劇的に使い、聴衆を魅了する」とあるのですが,それを念頭においてBlair speech: Text in full を読むと,今はもう秋で怪談でぞっとする必要のない気温ですが,そんな気分になれます。

もっともっとついでに,この党大会の締めくくりが,Old Labourのテーマソングだったという記事もリンクしておきます。
Tony and the gang pay lip service to an old standard

もっともっともっとついでながら,2大政党制の片割れ,(IDSだのポーティロだのといったネタの宝庫として)愛しの保守党は,地方自治体議会の補選ですら,LibDemに議席を取られたそうです。Tory shocks ahead of conference

トニー・ブレアが何かをドラスティックにラジカルに変えたとすれば,それは「労働党と保守党による2大政党制」という図式かもしれないとほんとに思う今日この頃。

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■追記:
「ハム役者」だと思ったら,演説にズバリそのもののシェイクスピアの引用が。

Give up on it. Or get on with it? That's the question.


↑これを見て「ハムレットだ」と思わない人はいないと思います。まあ,To be, or not to be. That is the question. は呆れるほどに引用されているので(携帯電話か何かの広告に2p, or not 2p というのもありました),この引用が特別な意味を持つとは考えない方がよいでしょうが。

※この記事は

2003年10月04日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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