kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年06月06日

6-6-06

The world readies for 6/6/06
http://movies.monstersandcritics.com/news/article_1169573.php/
The_world_readies_for_6_6_06

The original 'Omen,' directed by Richard Donner, starred Gregory Peck as the United States' ambassador to London, Lee Remick as his attractive but neurotic homemaker wife, and the young Harvey Stephens as their long-awaited child, Damien, who had a 666 birthmark and arrived at 6 am on the sixth day of the sixth month. Unknown to Robert and Katherine Thorn, their child is the devil's spawn, literally marked with the number of the beast.


というわけでついにその日のその時刻ですが、リメイクのほうはガーディアンではかなりボロクソ言われてます

Mirrorではオリジナルの『オーメン』のダミアンを演じた元子役が語ってます。

オリジナルのダミアンによると、リメイク版で最もよいのはデイヴィッド・シューリス(写真家役)だそうです。採点は……お約束。

なお、ミラー記事にはリメイク版についてだけでなく、英国の70年代の子役事情も語られていて、特に冒頭部分であのダミアンが今何をしているかも書かれているので、感慨深いものがあります。

Google Newsの画面を記念撮影。「6」がいくつあることやら。。。

new66.png

なお、神父を演じた俳優さんのお兄さん(弟さん?)が、映画撮影中に急死なさったそうです。

オリジナルの公開時、私は学童でしたが、一時は「そうめん」とか「ラーメン」はことごとく「オーメン」というスラングで表されていました(例:「昨日何食った?」「みそオーメン」)。むろん、テレビCMの「おぉぉ〜めん」という言い方をして、怖い顔をします。多分、特に何だかわかんないけどみんな騒いでるから自分も便乗しちゃえっていう「ブーム」というものの最初の体験のひとつだと思います。

※この記事は

2006年06月06日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼