「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2006年06月15日

「マンチェスター爆弾テロ」から10年。

ドイツ対ポーランドの「因縁の対決」の際に大規模な暴れが発生し、300人が逮捕というようなことが起きるなか、イングランドでのあの爆弾テロから10年が経過した。そういえば、あの爆弾テロはEURO 96の大会期間中に起きた。

どの爆弾テロかわかんない人も多いかもしれない。そもそも日本ではそんなに大きく報じられていないし、あれから5年後に米国で起きたひどい事件のあと、あまりに何度も「テロ」と叫ばれ、そしてあの爆弾テロを行った「テロ組織」は和平を結び、その政治部門は政治プロセスに参加し、昨年には、その「テロ組織」は武力をともなう行動を完全にストップし、武器はコンクリ漬けにされた。今日もこんなふうに「世界のどこか」での「爆弾テロ」が報じられるなか、あの爆弾テロは、歴史年表の1行であるようだ。

BBC ON THIS DAY | 15 | 1996:
Huge explosion rocks central Manchester
http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/june/15/newsid_2527000/2527009.stm

1996 Manchester bombing
http://en.wikipedia.org/wiki/1996_Manchester_City_Centre_bombing

BBCの特集、Manchester Bomb
http://www.bbc.co.uk/manchester/features/Manchester_bomb/index.shtml

Memorial service marks 1996 bomb
Last Updated: Wednesday, 14 June 2006, 20:29 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/manchester/5081552.stm

1996年6月15日、土曜日、午前11:20ごろ、マンチェスターの中心部の大きな商業地区(繁華街)で、Marks & Spencerの正面に駐車されていたトラックが爆発した。一帯がむちゃくちゃに破壊されて200人あまりが負傷したが、不幸中の幸いというべきか、死者はゼロ。例によって「予告電話」があり、例によって警察が事前に一帯を封鎖し、人々を退避させていたからだ。それでも爆発の勢いは警察による立ち入り禁止区域の外にまで及んだ(封鎖区域外で負傷した人々がいる)。その理由は私は知らない。警察の考えが甘かったのか、爆発物のパワーがすさまじすぎたのか。

トラックには積まれていた爆発物(多分肥料爆弾)の重量は、3,300ポンド。ただし新しい記事(2006年6月8日)では、3,500キログラムとなっている。3,500キログラムは3,300ポンドの倍を軽く超える。タイポか?(複数の記事でそうなっているんだが。)

いずれにしても、「商店街のゴミ箱に爆発物」の規模ではなかった。IRA (Provisional IRA) は自動車爆弾で本気で破壊に出た。しかも政治・経済の中枢であるロンドンに対してではなく、マンチェスターに対して。

10年にわたって警察の捜査が続けられてきた。しかしこの6月、警察は立件を事実上断念したという内容の報道があった。
'No justice' for city's bombers
Last Updated: Wednesday, 7 June 2006, 12:45 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/manchester/5055218.stm

法廷に持ち込む可能性がほとんどなくなったことで、警察はこれまで公にしていなかった爆発の映像を公開した。爆発の瞬間だ。マンチェスター警察のサイトに、防犯カメラの映像がアップされている。

http://www.gmp.police.uk/mainsite/pages/manchesterbombing.htm
※Flashなのですが、IEじゃないと見られないかも(私の環境ではFirefoxではダメでした)。この映像はBBCの記事からも見ることができる(WMPかRealPlayer必要)。BBCの映像には、ヘリから撮影されたものも含まれている。(BBCの映像が再生できない人は、YouTubeで。ちょっと内容が違うけど。。。)

爆発と消火後の現場の様子はマンチェスター警察のサイトのフォトギャラリーで。(これもFlashでIEの方が確実。)

BBCはthe day changed Manchester foreverとして、この警察の映像公開を報じた。PIRAが犯行を認めているこの爆弾テロについて、警察が容疑者特定と起訴を事実上断念したことを「残念なことだ」と伝えている。が、その背景について多くは語られない。警察は「証拠が不十分」を容疑者特定の断念の理由と説明している。警察では今後も情報提供を受け付けるが、問題は、現実に起訴にまで持ち込めるかどうか、ということだ。(「捜査打ち切り」と言ってもよいだろう。)

10年目当日のBBC記事では、事件の3年近く後(1999年)に、警察が第一容疑者を特定したとの書類が、地元の新聞にリークされた件とその顛末についても述べられている。そのとき新聞は「第一容疑者」の実名までも掲載した。だが警察は、逮捕には持ち込めても起訴には持ち込めないと判断したそうだ。なお、爆弾製造は、Provisional IRAのSouth Armagh Brigadeによると判断されていた。実名を報道された人は弁護士を通じて「自分は無関係だ」との声明を出している。

2006年2月に放映されたBBCのInside Outという報道番組では、Professor David English(北アイルランドで調査している)の考えを紹介している。
"The kind of acquisition of informal evidence that you can pursue as a journalist, or as a commentator is one thing, but getting people to tell you on the record the kind of things they'll tell you off the record is different for obvious reasons in a place like Northern Ireland.
_
"The other explanation... During the peace process period, the British government and the British authorities were keen, above all, that the IRA shift from something like war to something like peace...
_
"There was a desire not to rock the boat... there was a sense that you could forget the past atrocities if the future was going to see Republicans be political, rather than being violent."


最初の部分は、言葉を慎重に選んで非常に微妙なことを述べているために具体性に欠けるが、そのあとははっきりしている。"The other explanation..."のあとの部分で、Professor Englishが言っているのは、peace before justice(法的正義よりも紛争のない状態を優先)ということだろう。1998年のグッドフライデー合意(ベルファスト合意)でpeace processが開始された。その合意は、アイルランド島の人々のレファレンダムで圧倒的支持を得て成立したものである。イングランドの人々は、英国政府が合意に関わった範囲を超える関わりは持たない。そのことを考えずにいることは、やはり難しい。

1999年に調査の上で実名報道をしたマンチェスターの地域紙『マンチェスター・イヴニング・ニューズ』は、10年目にあたり、次の記事を出している。

10 years on - and still no apology
David Ottewell
http://www.manchestereveningnews.co.uk/news/s/215/...
The day more than 200 people were injured and one third of the city centre's shopping space was wiped out. And still the people of Manchester are waiting for an apology from the IRA.
_
Sinn Fein, the political party historically linked to the IRA, said yesterday it continued only to "regret" the physical injuries to those caught up in the nightmare that gripped the city centre. It made no reference to the 200m pounds of damage or thousands of people who lost their jobs.


シン・フェイン/IRAがregretはしていてもapologiseはしていない、ということの意味は小さくはない。新聞は続けて、
And it blamed the then prime minister, John Major, for "running away" from all-party talks and "squandering the opportunity" of a ceasefire announced in 2004.

と書いている。これは明確な非難だ。(実際、この論点すり替えは非難されて当然だ。いつものことだけど。)

いつかこの事件について、"IRA 'Sorry'"の見出しで報じられることがあるだろうか。

IRAは、2002年7月、Bloody Friday事件の30年目の日に、「すべての非戦闘員(民間人)の死について謝罪する」という声明を出している。(下記はその声明そのもの。)
http://edition.cnn.com/2002/WORLD/europe/07/16/ira.statement/index.html

IRAが謝罪したのは「死」に対してだけだ。でも暴力がもたらすのは「死」だけではない。それを考えるためには、マンチェスター爆弾よりも、2001年9月11日にNYCのWTCを崩落させたあの「暴力」のことを思い出せばよいかもしれない。

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なお、マンチェスター・イヴニング・ニューズがこの事件についてまとめた書籍を出している。
http://www.manchesteronline.co.uk/shopping/products/024.html

※この記事は

2006年06月15日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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