kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2006年06月15日

「暴力」の持つ意味――「マンチェスター爆弾テロ」に関連して

ちょうど10年目を迎えた「マンチェスター爆弾テロ」だが、この事件が街にとってどういう意味を持つか――10年目にあたって、BBCなどでも記事が上がっている。

Bomb 10 years on: Where were you?
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/manchester/5036034.stm

あのとき、マンチェスターの反応は複雑なものだった。ひとことで言えば、"Why Us?"。マンチェスターにはアイリッシュが多い。

マンチェスターは19世紀の産業革命期の工業都市として大きくなった。工場の労働者は「英国各地」からやってきた人々で、その中には当時「英国」の一部だったアイルランドからの「移民」が多く含まれている。(19世紀半ばのいわゆる「じゃがいも飢饉」――これは英国が武力を用いてアイルランド人から食物を奪ったジェノサイドであるという説得力のある主張もあるのだが、慣例的に「飢饉」としておく――の前に、すでにマンチェスターの人口の1割が、アイリッシュだったという。)そんなわけで、マンチェスターにはアイリッシュが多い。「アイルランドの完全独立(United Ireland)」を支持する人たちも、もちろん多い。確か、ユナイテッド・アイリッシュメンとのつながりもある。

ちなみに、「マンチェスターのアイルランド人」には著名な人も多い。以下に挙げる人々の政治的スタンスははっきり知ってるわけではないが、簡単に列挙しておくと、音楽の分野では、Oasis(ギャラガー兄弟)をはじめモリッシーやらジョニー・マーやらフィル・リノットやらとにかく大勢、ほかにも例えばテリー・イーグルトンも郊外のアイリッシュ・エリアの出身だ。(イーグルトンには、皮肉と冗談で「アイルランドなるもの」を語る極めて批評的なThe Truth About the Irishという著作がある。日本語版あり。もちろんこれを「主著」とは言わない。笑)(イーグルトンのこの著作はうっかり「英国的」と言いたくなるんだけど、実はそれは必ずしも「英国的」ではない、というひねりがある点も私にはおもしろい。)

私も、そんなにダイレクトにではないけど、偶然の重なりで、この事件のことをわりと生々しく思っている。

1999年、欧州チャンピオンズリーグを制したマンチェスター・ユナイテッドが、トヨタカップのために日本に来た。私は友人たちと都内のアイリッシュ・パブでトヨタカップの試合を見ていたのだが、「おっしゃー」な結果で試合が終わったあとしばらくダラダラ過ごしてそろそろ帰るべというとき、店のドアのあたりから、がやがやと声が聞こえてきた――マンチェスター弁が。教えてもらわんでも、あれはサポご一行様だ。勝ち試合で楽しく過ごせるからあとしばらくいるべぇ、と私たちは帰るのを取りやめたが、ドア近くで「何でまた、『アイリッシュ』パブなんだ」とマンチェスター弁でつぶやいて固まっている男性と私は1対1になってしまった(目が合った)。私は状況を適切に判断した。すなわち、「東京は、こういうスタイルのお店で十分に大きなところは少ない。それに、Britishの店があってもディプロマットやビジネスマン御用達、だからポッシュだし、無駄に高い」ということを、淡々と、なおかつposhに侮蔑を込めるようにして説明し、ちょっとニヤリを勝ち取ったところで、既に店に入っていたその男性のお友達が「こも〜ん (Come on)」と彼を連れにきた。男性は店に入り、あとは楽しく過ごしていたと思う。(あの夜の店内は、ひたすら「めでたいめでたい」だった。QueenのWe are the Championsを何度聴かされ合唱させられたことか。)

あの男性のあの反応はもっともなものだ。あのとき、1996年の爆弾からまだ3年半しか経っていなかった。実際にはあの爆弾では結果的に誰も命を落とさなかったけれども、爆発のひどさを写真で見れば、それはあくまで「結果的に」でしかないことがわかる。それほどの規模の破壊だった。(写真とかはさっきの記事にリンクあり。)あれだけの爆弾を仕掛けておいて(IRA語ではこれを「プレゼントする」と言う)「殺すつもりはなかった」とは言えない。

なお、マンチェスターではその前にも3件の爆弾事件があった。96年3月の国会の記録文書に、死者・負傷者を出していない爆弾も含めた年表(1980〜96年2月)がある。この年表で、manchesterでページ内検索で確認できる。中でも92年12月には負傷者64名(あるいは65名)と、PIRAがイングランドで暴れまくっていた92年だけで見たときにシティ爆弾テロ(2月、死者3名、負傷者91名)に次ぐ規模の爆弾テロが起きている。(シティのは、IRAの「停戦破棄」の行動である。)

(社会的に「ベッカム様」になる前の)ベッカムやキーン親分のいたマンUがCLを制し、「世界一決定戦」のトヨタカップが日本で行われ、私が友人たちとその試合をパブで観戦し、そして、マンUサポご一行様のツアーをプランした人がたまたまその同じパブをブッキングしていたという偶然の重なりで、私は、「あの暴力」にさらされた人と、一瞬であれ、1対1になった。これがなければ私はこういう「暴力」について真剣に考えてみることをしていなかったかもしれない。(IRAは「一握りの凶悪な連中」ではあるが、歴史的背景を知れば知るほど、その「凶悪」さは、例えば東京で化学テロを起こした集団とは別なところから発していることがわかる。)

1996年6月15日の爆弾テロというのは、私にとってはこんな意味を持つ。

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IRAのテロ事件@イングランドについては、昨年7月にこのブログに書きました。
http://ch.kitaguni.tv/u/917/todays_news_from_uk/07july2005/0000243565.html

ただし北アイルランド絡みの「テロ」は、IRA(PIRA, RIRA, CIRA, OIRA)の専売特許ではありません(<日本語が古いな)。IRA同様、ナショナリスト/カトリック側のINLAも、IRAほどではないかもしれないけど、数々の「テロ」を行ってきたし、また彼らとは反対側、つまりユニオニスト/プロテスタント側も、UDA, UFF, UVF, LVFなど、いくつものロイヤリストの組織が、リパブリカンを標的に、あるいはイノセントな民間人を巻き込んだ「テロ」を行ってきました。ロイヤリスト側には治安当局との癒着がありました。(例えば、治安当局が超法規的に誰かを殺したいときに、ロイヤリストのガンマンを使った。)ただしイングランドで「攻撃」を行ったのは、PIRAとRIRAだけです。それゆえ、PIRAやRIRAの「テロ」は大きく報じられる、ということです。

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転記前コメント:

ビー
99年のトヨタカップは家で見ていたよ〜。そのとき、こんな隠された逸話があったとは……(って、ちょっと大げさ)。しかし、96年の爆弾事件について、リアリティがちょっと出てきました(私は事件そのものを知らなかった)。

今、「様」率いるイングランド×トリニダード・トバゴを見ているけれど、あれれな展開に。と、書いた途端に試合が動いた。

何にせよ、バイアスがかかった報道を超えて、両面を知らないで語るというのは怖いことだと思った次第です。
投稿者: ゲスト at 2006 年 06 月 16 日 02:43:56

>ビーさん
どうもです。「様」(ex-Man U<無理やりつなげる)は「ベッカム様」で。(笑)

アイルランド問題についてのニュースは、外部から見る場合、「両面」があることさえ知るように努めれば、「両面」を見ることは比較的簡単かもしれません。その情報を「誰が」出しているのかで、スタンスもわかるので。(例えば「アイリッシュ・アメリカン」を打ち出しているところの情報は、ナショナリスト側である、というように。)司馬遼太郎が『アイルランド紀行』であれかこれかの二律性にびっくりしたという印象を綴っていますが、実際に基本的には「あれかこれか」がベース。でも「アイリッシュ・ナショナリズム即ちアイルランドのカトリック」というのは必ずしも当てはまりませんし(ここがちょっとややこしい)、すべてが「あれかこれか」であると決めてかかると、たぶん何も見えません。

マンチェスター爆弾(96年)が複雑なのは、その「両面」の「境」が明確ではない点です。どこまでが「この面」でどこまでが「あの面」なのか? アイリッシュ・ナショナリズムに好意的な場所を、アイリッシュ・ナショナリズムが破壊したということは、英国における「(北アイルランド絡みの)テロ」への見方に決定的な影響をもたらしたはずで、政治レベルでは、保守党から労働党への政権交代というきっかけもあってこの後「和平」へとつながっていくのですが、ではそこに暮らす人々は、ということになると、私にはわかりません。自分もそういうのの中に、一時期とはいえ身をおいていたのですが。。。マンチェスター出身の友人(90年代初めの不況期ゆえ、当然のように失業者で当然のように保守党嫌い)もいたのですが、96年の時点ですでにコンタクトをなくしていたので、その人がこの爆弾テロをどうとらえたかはわからず、です。

ただ、イングランドにいて「アイルランド憎し」のあからさまな敵意は感じたことがなかった。毎日のように爆弾が「プレゼント」されるロンドンで、「どうせ脅かすための威力のないやつだから」とか「どうせ狙われるのは俺らじゃなくて金融と政治だから」とか「いずれにせよ保守党政権など倒れて当たり前」(^^;)とかで(私の周囲はほとんど100%、労働党支持でした。多分「階級」による)。んなわけで、私の知ってることも無茶苦茶偏ってはいるんですが、実際周囲がそうだったんで。

ただ、外部の人間には、その「人」に対して軽々しいことはいえないのですよ。決して。

1992年、同じフラットにサラエヴォから来た人がいたのですが、台所で偶然会って挨拶して「あなたどちらから?」と訊かれた(あまりに普通のやり取り)ときに、私は何ごともなくFrom Tokyoと言えたのだけど、彼女がSarajevoと言ったとき、私は何も言えなかった。ただI'm sorry about what has happenedということしか言えなかった。彼女は肩をすくめて、ちょうど沸いたお湯をカップに注いで、台所から出ていきました。何も言わずに。私にも彼女にも「言葉の壁」があったし(お互いに英語は母語ではない)、あれが最大限のコミュニケーションだったのかもしれない。しかし、何とも軽々しい「同情」を口にしてしまったものだと(彼女はそれを何度となく言われて飽きているだろうと)後悔しました。ま、自分が彼女に対して「サラエヴォですか、で、あなたはなに人ですか」と訊かなかったことはよかったとは思っていますが。
投稿者: nofrills at 2006 年 06 月 16 日 09:23:11

※この記事は

2006年06月15日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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